第3話 流行

 幸い、隠しごとを誰にも咎められることもなく一日が終えることができた。店長に「お疲れ様でした」とあいさつをして、僕はそそくさと店を出た。

 脇目も振らずにZ駅に停めてある自転車を目指す。

 おそるおそるカゴの中を確認するが、生首は入っていなかった。またバイト終わりを待ち伏せされていたら、たまったもんじゃない。

 緊張が解けた途端、坂道でペダルを漕ぐ気力も失せてしまった。国道へつづく坂道を自転車を押して登ることにした。

 カラカラというホイールが回転する音と、背後の線路を電車が通り過ぎるゴーッという音に挟まれながら、無心に足を動かす。やはり歩いているだけだと、僕の存在はたちまち輪郭がぼやけて曖昧になってゆく。スニーカーの裏面が地面を踏む反動で踵が上がり、つま先がようやく重力を引き剥がす。夢の中では何故か速く走れないように、僕はこの世界でスムーズに生きることができないでいる。

 ようやく国道に出ると、大型トラックが信号に引っかかるまいと速度を上げ、僕に排気ガスを浴びせて走り抜けて行った。


 アパートに帰ると、生首が床に転がっていた。首だけでどのようにもがいたら布団から脱出出来るのだろうか。

「やっと帰ってきた。ちょっとどこかに立てかけてもらえないですかねえ。これじゃ天井しか見えないからもう退屈で。出来ればテレビが見えたり、窓の外の景色が見えたり、気晴らしになるものがあると助かるなあ。あ、床はほこりが溜まるから勘弁」

 やたら注文をつけてくる生首を抱え上げ、一人暮らし用の冷蔵庫のてっぺんに置いた。出来る限りキッチン以外余計なものが視界に入らないように向きを調整する。

「ところで自炊はする方なの?」

「袋のラーメンなら時々作るけど」

「そんな体に良くないものばっかり食べて。野菜炒めくらい作りなさいよ。冷凍のほうれん草とかさ、ああいうのでもいいんだから」

 僕が返事をするなり、調子に乗って生首はベラベラと喋り出す。

「貴方に関係ないですよね」

 小言にカチンと来た僕は、突き放すように言い捨てる。すると生首は「貴方なんて、そんな他人行儀な言い方イヤだなあ」と口を曲げた。

「俺にもちゃんとダイキって名前があるんだよ。佐々木大輝。大輝って呼んでよ」

「学年にもう一人同じ名前の人いそうですね」

「…………」

 皮肉を込めて返してやると、佐々木大輝の生首は少し黙っていたものの、「好青年って感じの名前でしょー?」とダメージを受けた様子もなく笑った。

「俺が生まれた年の名前人気ランキング一位だからね。で、そっちはどうなの? おたくの名前」

「……カイト。八木橋海斗」

「八木橋くんかあ!」

 渋々答えると、生首は目と口を大きく開いた。身振り手振りができない分、顔芸でカバーしているらしい。

「いいなあ。海斗は名前ランキング二位でよくある感じだけど、八木橋って苗字がなかなか良い味出てるよね。フルネームで名前が被ってる人なんて滅多にいないんだろうなあ」

 生首は何度も僕の苗字を復唱している。

(やっぱり自分が良くある名前だってこと、気にしてるんじゃないか——)

 そう突っ込んでやろうかとも思ったが、彼とは打ち解けるつもりもないので、僕は黙っていることにした。

 

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波打ち際の僕と崖っぷちの首 送水こうた @okurimizu5502

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