第2話 湖
次の朝、バイトに行こうと玄関を出てみると、自宅の前に停めてある自転車のカゴに昨日の生首が入っていた。
「どういうことなの」
呆然と立ち尽くしている僕に、生首は少し気まずそうな顔をして目線を泳がせてから、「来ちゃった」
と言ってえへへ、と笑った。
来ちゃったってなんだ。まさかコイツ、自分で崖をよじ登ってここまでたどり着いたってことか。そもそもなんで僕の住所知ってるんだ。手も足もないのにどうやってまたカゴに入った。呪いとか祟りとかそういう類のものかとも思ったが、それにしてはこの生首からは恨みつらみは感じないし、こちらに害を及ぼそうという意気込みも伝わってこない。
「…………」
顎の下に手を添えて持ち上げてみると、温かい人肌の温度を感じる。首の切断面がどうなっているのか、覗き込む度胸はない。
「ところで、どこかに出かけるつもりなんじゃなかったの?」
生首に尋ねられて、ハッと我に返る。
そうだ、今日はバイトの早番なんだった。
行きがけにまた崖から首を投げ捨てようかとも思うが、まだ日の高いうちから生首を持ってあの住宅街をうろつくのはマズイ気がする。カバンに生首を詰めて連れ歩くのも落ち着かない。アパートの一階の住人には小さな庭が割り当てられているが、そこに埋めようにも隣人の目が気になるし、そもそも穴を掘っている時間もない。
「ねえ、時間大丈夫?」
「あ、貴方にはカンケイないですから!」
グルグルと思考が空回りしているところを急かされて、僕は裏返った声を上げた。
「とにかく静かにしててください」
慌てて部屋に駆け戻ると、生首をベッドに放り投げてバスタオルを何枚か被せ、さらに冬用の布団で覆い隠した。
「真っ暗だし、息苦しいよお。まあ、息はしなくても大丈夫なんだけど」
アハハ——と、布団の下から聞こえるくぐもった笑い声を無視して、僕は部屋を後にした。急いでいたけど、玄関や窓の施錠がされているか、二度ほど引き返して確認した。
バイト先であるZ駅前のコンビニに向かう。品出しやレジ打ちをしながらも、不意に誰かに声をかけられるのではないかと、内心気が気ではなかった。けれども、毎朝新聞とタバコを買いに来るじいさんも、公共料金の支払いにくるばあさんも、誰もがいつもと変わらない。店の前を巡回のパトカーが素通りしてゆく。海水浴場の方へゆく道路が、この時期しばしばネズミ捕りのための潜伏場所になっているのだ。
ソワソワしながら過ごしていたら、やたらと疲れてしまった。
昼の休憩時間は、コンビニの二つ隣にある中華食堂であんかけ焼きそばを食べることにした。アツアツのあんでコーティングされた白菜やキクラゲを食べていると、食堂の片隅に設置されたテレビからローカルニュースが流れて来た。
『日本国内で屈指の透明度を誇るS湖で、最寄神社の例大祭が行われました……』
顔を上げると、小さなテレビには褌姿の男の人たちが映っている。彼らは小さな神輿を担いだまま、バシャバシャと水飛沫をあげながら湖に突入して行く。やがて映像は湖周辺の景色に切り替わった。
九月上旬の現在、まだ湖を取り囲む山々もまだ紅葉ははじまっていないようだ。湖畔でレジャーを楽しむ人たちも多い。
「……ふむ……」
この湖は、死体が浮いてこないことで有名な自殺の名所でもあったはずだ。
(……今の時期に捨てに行ったら、目立つかなあ)
ちょうど車も使えないしなあ——。
僕がぼんやりと考えを巡らせている間に、あんかけ焼きそばのあんはすっかりシャバシャバになっていた。
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