第23話 ヴィンスが視たいもの
ヴィンスの告白に、アーティカは虚を突かれた思いだった。
一度、二度。パチリと目蓋を瞬かせ、ぐるりと思考を巡らせる時間が必要なほど。
そうして吸ったまま止めていた息を吐き出して、アーティカはヴィンスに問うた。
「過去? 視たいものは未来ではなく、過去だったの?」
「ああ。……私の過去は前に話したけれど、まだ話していないことがある」
返ってきたヴィンスの声は、重苦しかった。
もしかしたら、アーティカが問わなければ、ヴィンスはずっと胸の内に抱えたままでいるつもりだったのかもしれない。
きっと、話すのを躊躇うような内容なのだろう。それをヴィンスは、アーティカに話そうとしてくれている。
アーティカは、ヴィンスを急かすことなく静かに待った。
なにから話そうか、と逡巡しているヴィンスの横顔を、そっと盗み見る。暖かな橙色に照らされてヴィンスの美しい輪郭が星空の下で浮かび上がる。
焚き火が何度も爆ぜた後。何度も何度も口を開けては閉じ、閉じては開けてを繰り返していたヴィンスが静かに語りはじめた。
「私は知っているんだ。私が母胎にいたときに悪魔に魅入られた、と言ったけれど、それは違う。今日、ザーフィル陛下の身の上を聞いて確信した」
「ヴィンス……気づいてしまったの」
「ああ。私は母によって悪魔に捧げられた。母は生まれたばかりの私の眼を斬り裂いて、悪魔に捧げたんだ」
それは、アーティカも薄々勘づいていた。
ザーフィルが、父帝に生きたまま心臓を切り裂かれた、と語ったとき。もしかしたらヴィンスも……と考えていた想像が真実だった。
悪魔に身体の一部を捧げることで、悪魔が持つ超常的な力を手に入れる。新鮮であればあるほど力は強く、悪魔の気を引きやすいという理由で、生きたまま切り裂かれる
上手く悪魔の気を引くことができれば、強大な力が手に入る。同情を得れば、生命を存続させることもできる。
それがヴィンスであり、ザーフィルだ。
「母胎にいた頃、私を悪魔に捧げたなら、私は悪魔の四肢を手に入れていたのだろう。でも、そうはならなかった。悪魔の力が宿ったのは、私の眼だ。捧げられたのは私の眼。生まれたばかりの赤子の眼を、母は悪魔に差し出した」
淡々と語られるヴィンスの真実が、アーティカの胸に突き刺さる。
ヴィンスが視力を得たまま生きていること。悪魔の力を宿す眼を持っていること。それこそが、ヴィンスの過去になにがあったのかを証明している。
パチパチと爆ぜる炎をジッと見つめたまま、ヴィンスは自分の考えを垂れ流しているかのように不安を語った。
「私は母に望まれて生まれたのか? 私は母に愛されていたのか? 私の父は悪魔ではなく人間なのか? 物心ついたときからずっと考えてきたけれど、答えが定まったことなんてないんだ。——今日を除いて」
「……ヴィンスは、真実を確かめたいの?」
アーティカは、ヴィンスと同じ炎を見つめながら、ボソリと問う。問いに対するヴィンスの反応は迅速で、アーティカが思うよりも明瞭な答えが返ってきた。
「私は母がなんのために、私を悪魔に捧げたのか知りたい」
「きっと後悔するわ。それでも視たいと思うの?」
「望まぬ真実を知ったとしても構わない。アーティカの言うとおり、後悔するんだろう。でも、明日を向いて生きるために、過去を知りたいんだ」
ようやくアーティカを見た碧眼が炎の光を反射して、こんなときでも美しく輝いていた。
ゆらゆらと迷うことも揺らぐこともなく、まっすぐアーティカを見つめている。
悪魔や魔女では辿り着けない高潔なる魂。
きっと、これが人間だ。
アーティカは、こんな時でも気高くあろうとするヴィンスに胸打たれた。どうしようもなく心臓が痛い。泣きたくなるほど、美しい。
「——わかったわ。わたしは不可視の魔女。あなたが望む過去を視せて差し上げましょう」
ヴィンスの覚悟と思いを受け止めたアーティカは、まだ使っていなかったレンズを一枚取り出した。
アーティカが取り出したレンズが、焚き火の光を集めて反射して、キラリと一度、輝いた。
「アーティカ、君は過去を視ることができるのか?」
ヴィンスは驚いたようで、目を瞬かせながらポカンと口を開けていた。
これにはアーティカも驚いた。自分が不可視の力を持つ魔女であることは、説明したつもりだったのに。
「なにを驚いているの。わたしは未来しか視ることができない魔女じゃない。わたしが観測できるのは、肉眼では見ることのできないもの、すべてよ」
「なんだって……?」
「もちろん、なにもかも視れるわけじゃないけれど。……人間はだいたい、過去よりも未来を視たがるものだから。ヴィンスもてっきり未来を視たいのだと思っていたの……ふふ、違ったわね」
不可視の力は、なにも未来視だけじゃない。過去だって見通すことができるから。
アーティカは、自分の膝を曲げて抱え込む。その膝に頭を乗せてヴィンスを下から覗き込むようにして、柔らかく見つめた。
「ねえ、知ってる? 夜空の星々の瞬きは、遠い遠い過去の瞬きなのですって。わたしたちは夜空を見上げるたびに、生命が生まれる以前の遠い遠い過去の光を見ているのよ」
夜空に浮かぶ数多の星。その星々を観測する、ということは、過去を観測しているのと同じこと。
「だから、わたしのレンズで過去を観測することは可能です。ただ……」
「アーティカ、なにか問題があるのか?」
ヴィンスの問いに、アーティカは悔しそうに顔を歪ませて、渋々頷いた。
「ある。わたし、過去を観測する過去視のレンズの製作は、あまり得意ではないの。だから、ええと……」
「いいよ、ありがとうアーティカ。私を気遣ってくれるその気持ちだけで充分だ」
「待って。どうしてすぐに諦めるの。ちゃんとわたしの話を聞いて。方法はあるのだから」
「それは私が助力できる方法か?」
やや被り気味で口早に告げたヴィンスの目には、諦める気配など少しも滲んでいなかった。
「ふふ。全然諦めきれてないじゃない。いいのよ、ヴィンス。わたしの前では諦めないで。本心を隠さないで。どうせわたしには、なにもかも視えてしまうのだから」
「アーティカ……」
「今のわたしなら、不得意な過去視のレンズも造れる。魔女としての力が研ぎ澄まされて、人と魔の境界を揺らぎながら存在しているような、今ならば」
こうなることを狙っていたわけじゃないけれど、寝食を忘れてレンズ製作に没頭してきた甲斐があったというものだ。
今のアーティカは、どちらかといえば魔に近い。
以前、ヴィンスに焼かれた火傷の痕が、高まり集結した魔力によって蒸発してしまうほど。
だからどんなレンズでも造れる——というわけじゃない。
「それでも、必要なものがある」
「それがなにか教えてくれ、アーティカ」
「一つ目は、ヴィンスが視たい過去の時間を特定するような
アーティカが人差し指を一本立てて告げた。そうして次に、中指を立てて口を開く。
「二つ目は、その時間の中で、どの場面……場所を視たいのか」
「わかった、用意しよう。私が視たい過去の時間と場所を特定できるものがあればいいのだろう?」
そんなことを言いながら、ヴィンスが懐を探り出した。
しばらくして彼が取り出したのは、切られた指輪と、ぼろ切れのような布だった。布に至っては相当年季が入っているようで、折り畳まれてはいたものの、端がほつれて糸が垂れ下がっている。
「アーティカ、これを。過去を視ることができるなら、壊れてしまっても構わない」
ヴィンスが指輪とぼろ切れを差し出した。アーティカは差し出されたそれを受け取って、指輪を摘んで持ち上げた。
黄金で作られた小さな指輪。小さな宝石の欠片が惜しげもなく散りばめられている。けれど、完全なる環は断ち切られ、不恰好に楕円に開いていた。
アーティカの手に残ったぼろ切れはくすんでいて、ところどころ赤黒い染みまである。
「この指輪と布きれは……なに?」
「その指輪は、母が私を産んでくれた際に、母の安全のために切断されたものだ。指先が浮腫んで鬱血しかけたらしい。それで切断したのだと乳母が言っていた」
「じゃあ、この布きれは……もしかして、ヴィンスが産まれたときに使ったもの?」
「ああ。アーティカ、これで足りるだろうか。私は、私が産まれた時の真実を知りたい」
ヴィンスのどこまでも真剣な眼差しが、アーティカを貫く。
真実を知ることで痛みを得ても、その痛みを許容する覚悟を持った強い意志を帯びた眼。
そこには諦めも希望もなく、ただあるのは、真実への渇望のみ。
なんて、美しい。自分の欲求を
だからアーティカは口を挟まず、ヴィンスの結論を待った。柔らかく微笑んで、彼の決断を見守った。
そして。
「母がなにを考えていたのか、知りたいんだ。頼む、アーティカ」
「わかったわ、ヴィンス。……やりましょう」
アーティカが過去を視るために取り出して見せたレンズは、まだ磨ききれていない未完成の硝子レンズだ。
だから、あとは完成させるだけ。ヴィンスから受け取った指輪とぼろ切れで、時間と場所に対する指向性を持たせることができる、ということ。
アーティカは、どうして自分が未完成レンズを持ってきたのかわからなかった。けれど、今、未完成レンズは未完成であるが故に意味を持った。
すべて運命の采配か。それともただの偶然か。そのどちらであってもいい、とアーティカは首をひと振りして邪念を祓う。
今はただ、ヴィンスが望む過去を。過去を観測するためのレンズを造るだけ。
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