第22話 決着

 アーティカから新たなレンズをはめ込んだ半仮面を受け取ったヴィンスは、時間にして一秒足らず。すぐに破顔して、ザーフィルの猛攻を凌ぎながら半仮面をつけた。


「ありがとうアーティカ。これでこの先が視える!」

「はっ! たかが蛍石の天候予知レンズで、一体、なにができるというのか!」


 ヴィンスがつけた半仮面にはめ込まれた蛍石レンズを見たザーフィルが、馬鹿にしたような声を上げる。

 けれどアーティカは、少しも怯まずにザーフィルの言葉を冷たく否定した。


「それはどうかしらね?」


 アーティカが見守る目の前で、ヴィンスがザーフィルに肉薄する。青い焔で作った盾で青黒い焔を抑え、剣でザーフィル自身を押さえ込む。

 ヴィンスは、アーティカが渡した蛍石レンズで未来を視ていた。

 ヴィンスが視ている未来は、数秒先の未来だ。ほんの少しだけ先の未来を視るレンズをうまく使い、ヴィンスが優位を取り始める。


「なんだと!?」

「あら、気づいていなかったの? 素材が決まれば用途が決まるわけじゃない。レンズに付与する力は、わたしの心のままに。——魔女の魔術クラフトを舐めないで」


 アーティカの言葉に応えるように、ヴィンスがザーフィルの動きを止めた。まるで檻のように蒼炎を巡らせて、ザーフィルを包み込んだのだ。


「貴様の軍師は魔女だったのか。そうか……魔女よ、それがお前の答えか?」

「諦めろ、もう貴殿の未来はない」


 剣を下ろしたヴィンスが首を振る。もう終わったのだ、と告げるかのよう。

 けれど。ザーフィルは諦めが悪かった。身動きが取れない状況で悪魔の力を解放し、青黒い焔でザーフィル自身を焼いたのだ。


「諦める? 俺の未来は俺が決める。この俺を、たかが悪魔の眼ごときが抑え切れると思っているのか!?」

「な、に……!? ……くそッ、なんて無謀な!」


 怒り猛る青黒い焔。それに対抗すべく、ヴィンスも死に物狂いで悪魔の力を解放し出す。

 いけない、それ以上は。と、叫びたい思いを抱えて、アーティカは震える口元を手で押さえた。

 黒く濁っているか、澄んでいるか。その違いしかない焔が混ざり、生命が燃えてゆく。

 拮抗する焔。優位に立っていたはずのヴィンスが次第に押され、ザーフィルが自由を取り戻してゆく。


「ほう。眼程度の侵食度の浅いお前では、それ以上燃やせば、生命すら燃え尽きるぞ」

「それが、どうした。できるできないじゃない、やるんだ」

「魔女を得るために生命をかけるのか、お前は。」

「当たり前だ、アーティカは俺を救おうとしてくれた唯一のひと。生命をかけても救い出す」


 と。答えたヴィンスの言葉の、なにが愉快だったのか。ザーフィルが突然、悪魔の焔を打ち消して、腹を抱えて笑い出した。


「は。はははは! ここまで滅茶苦茶な男ははじめてだ。そうまでして魔女を追いかけたお前に興味が湧いた!」

「なん、だって……?」

「お前の話を聞いてやる。ただし、これ以上は燃やすな。宮殿にも後宮にも、俺の大事な罪なき民が大勢いるのでな」

「わかった。……焔はすぐに鎮火するだろう。別働隊が悪魔の焔を消化する人工物アーティファクトを持っている」

「……そうか。それは、ありがたい」


 そう告げたザーフィルは、穏やかな顔をしていた。

 柔らかく目を細め、今もなお青く燃える宮殿を憂うように眺めている。

 ほんの少しだけアーティカの胸がキュッと痛んだけれど、戻ってきたヴィンスの手の温もりによって、その痛みは和らぎ消えてしまった。



 そういうわけで、ヴィンスとザーフィルは明朝、会談を設けることになったのである。



 アーティカは後宮の自室には戻らなかった。

 明朝に会談を控えたヴィンスと、エラやジャックを含む砂漠班の騎士たちと夜を過ごしたかったから。

 ザーフィルが彼らに用意した場所は、半焼した後宮の中庭だ。水場はあれど屋根があるわけではないその庭で、騎士たちは持参した野営装備を展開し、あっという間にテントが等間隔に立ち並ぶ。その内のひとつがアーティカに与えられた。

 そのテントの前で焚いた火にあたっていたアーティカは、思い切り腕と腰を伸ばして呟いた。


「何日振りかしら、ようやく手足を伸ばして寛げたような気がする」

「アーティカ様。まさかあの皇帝に拘束のうえ監禁などされていたのですか。許せませんね……少々お待ちください、腕がよろしいですか、脚がよろしいですか?」


 隣に座っていたエラが、また物騒なことを言い出した。その表情は真剣そのもので、目には殺気がチラついている。


「待ってエラ。削いで来なくていいから。皇帝の手足を削いではいけない。ヴィンスが会談の約束を取り付けたのよ、今、騒ぎを起こしてはいけないわ」

「……そうですか、アーティカ様がそうおっしゃるのなら仕方がありません」

「ひ、姫様……なんなのですか、この騎士様は。とても騎士には見えない物騒なことばかりおっしゃって……」


 目の据わったエラに怯えながら、サリアが言った。

 蒼い焔を鎮火させてひと段落した後、アーティカは無理を言ってサリアの元まで行き、彼女を連れて来たのだ。

 サリアはなにが起こったのか知らされておらず、部屋でひとり怯えながらアーティカを待っていたという。


「サリア、彼女はエラ。エラ、こちらはサリア。わたしの世話をずっとしてくれているの」

「ああ……、あのときアーティカを裏切った女か」


 と。不意にヴィンスがあらわれて、冷たい視線をサリアに向けた。

 今はもう落ち着き、普段通りの美しい碧眼だったけれど、睨まれたサリアは「ひっ!」と短く悲鳴を上げた。そうして隠れるように、アーティカの後ろへ回る。

 いけない。美貌が怒ると世にも恐ろしいことをヴィンスは自覚していないのだ。アーティカはサリアを庇うように前へ出た。


「待って、ヴィンス。サリアの首を斬っては駄目よ。サリアはわたしを後宮に売るくらいなら、ヴィンスたちに連れて行ってもらった方がいいと思って、ああしたの」

「……アーティカは許しているのか?」

「許しているわ。だからお願い、仲良くして。ね?」

「アーティカがそう言うなら、仕方がない。……エラ、お前も殺気を抑えるんだ」


 いつの間に剣を抜いていたのか。エラが渋々剣を収めて殺気も鎮めた。それでもサリアは怯えたままだ。

 歯の一番奥をガタガタ震わせて、顔から血の気も失せている。そんなサリアに、ジャックが微笑みながら近づいた。


「ははは、レディを怖がらせるなど騎士の風上にもおけない奴だな。レディ・サリア、どうです、私とあちらで話しませんか?」

「えっ、え? あ、あの……」

「大丈夫、私はあのふたりとは違って野蛮ではありません。すべて貴女の望むままに」


 完全にジャックのペースに呑まれたサリアは、ポカンとして戸惑いながらも彼に従うことにしたらしい。ジャックに手取り腰取りエスコートされて、サリアは別のテントの前の焚き火に案内されてしまった。

 ポカンとしたのは、サリアだけじゃなかった。アーティカも大きく口を開けて、紳士的で騎士的なジャックの姿に唖然とすることしかできない。

 ふたりの姿が騎士たちの姿に埋もれたころ。思わず、といったように疑問がこぼれた。


「……だれ?」

「ジャックだよ、アーティカ。奴はその……好みの女性の前では紳士に変わるんだ」

「局長、サリアさんが心配ですので私が行きます」

「エラ、……いいの?」

「ええ。私の淑女レディが寛大な心で許されたのです。私も同じように許さなければ。ご心配なく、アーティカ様。サリアさんがジャックの魔の手に落ちないよう見張っておきますから」


 そういうわけで、アーティカとヴィンスはふたりきりで肩を寄せ合い、焚き火を見つめることになったのである。



 乾いた木々が、パチパチと爆ぜる音を聞きながら、話を切り出したのはアーティカだった。


「……ねえ、ヴィンス。聞いてもいい?」

「好きなだけ聞いてくれて構わない」

「あなた、どうして魔女を求めたの? 身の内に潜む悪魔シャイターンに抗うため? 未来を変えるため? 違うでしょう?」


 アーティカの唇からするりと溢れていったのは、ヴィンスへの疑念とわだかまりだった。

 砂漠域の人間でもないヴィンスが、なぜ砂漠に出向いてまで魔女を求めたのか。その理由を聞く前に、アーティカはヴィンスから逃げてしまったから。

 本当に聞きたいことは、こんなことじゃない。ないのだけれど、アーティカの口と舌と喉が勝手に震えて動き出し、滑らかに言葉を紡いでしまう。


「わたしの魔術クラフトは、確かに普通の人間には視えないものを視る力。だけれど、悪魔シャイターンを退けるような力はないわ」

「知っている。……魔女を生贄にしたところで、悪魔を祓うことなどできないことも。私はずっと、不可視の魔女を探していたから」


 焚き火の中で、パチリとひとつ木が爆ぜた。アーティカの胸の内も、小さな爆発が起こったみたいにズキリと痛む。

 はじめて見つけた美しいひと。はじめて興味を持った他人。

 だからヴィンスには、魔女を、不可視の魔女を探していたとは言われたくなかった。


「どうして? 魔女なら誰でもよかったのではなくて、不可視の魔女がよかったの?」


 はじめから不可視の魔女を、アーティカを探していたのだと言われてしまったアーティカは、どうしてもずりずりと下がってしまう眉尻を隠すように、指で眉を押さえて言った。

 ああ、言ってしまった。アーティカがヴィンスに本当に聞きたかったことを言ってしまった。

 魔女なら誰でもよかった、と言われたくないくせに、不可視の魔女がよかったとも言われたくない。

 だってヴィンスは、アーティカを魔女扱いすることなく、ザーフィルのように野心を突きつけて魔女であることを強要することもなかったから。

 ヴィンスはいつだって気高くて、どんなときでも優しくて、そして頼りになる男性だった。

 彼が年下であることを忘れてしまうくらい、いや、年齢差など気にするほうが馬鹿馬鹿しくなるほど、その魂に惹かれている。

 だからアーティカは、固唾を呑んでヴィンスの答えを待った。

 ——どれくらい沈黙が流れただろう。幾度か火を絶やさぬよう薪をくべてから、ヴィンスがようやくその重い口を開いた。


「……私には、視たい過去がある」



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