第20話 わたしが望むもの
「ヴィンス、どうしてわたしのために? あなたは
アーティカの震える問いに、ヴィンスがふるり、と柔らかく首を振った。
「対立しているのは、私と君じゃない。それに、アーティカはそれをわかっていながらも、私のためにレンズを造ってくれたじゃないか」
アーティカにはヴィンスの表情が見えていなかったし、魔力を使って視ることもしなかった。けれど、ヴィンスの顔が柔らかく微笑んでいるであろうことはだけは、確信できる。
ヴィンスはとても優しいひとだ。
悪魔に魅入られたせいで不当な扱いを受けて生きてきただろうに、美しい魂を持っている。
魔女だから、悪魔の力を持つヴィンスに惹かれるのか。
魔女だから、与えたレンズを使うヴィンスの行く末が気になるのか。
魔女だから、ひとりの女性として気を遣ってくれたヴィンスに惹かれるのか。
きっと、そのどれもが正解なのだろう。ボタンを掛け違えるように、どれかひとつでも違っていれば、アーティカはヴィンスに惹かれなかった。
それに、魔女であるアーティカを利用すればいいのに、ヴィンスはしない。それどころか、ザーフィルに捕らえられたアーティカを助けに、こんなところまで来てくれた。
なぜ、どうして。ああ、もしかして。膨らむ期待は身勝手な思いばかり詰まっているから、アーティカは天邪鬼な言葉を選んで心の中で呟いた。
(ヴィンスは、レンズの恩返しとして助けてくれたの。ただ、それだけよ)
思い上がってはいけない、と思うアーティカに、ヴィンスがチラリと振り返った。
その眼差しが。熱く揺らぐ碧眼が、アーティカをとろけるような眼差しで見つめてくるから、心臓が大きく跳ねてしまう。
ああ、いけない。いけないのに、望んでしまう。ヴィンスの愛を、悪魔の力を振るうヴィンスを、レンズを使うヴィンスの姿を。
欲張りにも程がある。どれかひとつなんて選べずに、どれもこれもを望んでしまう。そんなアーティカの戸惑いを察したのか、ヴィンスの凜とした清涼な声がアーティカの耳を打った。
「アーティカ、君はなにを望む?」
「わたしが望むものは……」
問われたアーティカは、瑠璃色の眼を瞬かせた。
魔女としての自分と、ただの人間としての自分。それから女性としての自分が、心の中でせめぎ合う。
そのどれもが本当で、どの思いを優先させるか、という話なだけだ。
(わたしはヴィンスに、なにを望む? わたしはこの先、どうやって生きたいの)
アーティカは一度、眼を瞑った。そうして、暗い闇を見つめて自分自身と向き合った。
目蓋の裏に浮かんだのは、ただひとつ。アーティカの胸を高鳴らせたのは、ただひとつだけ。
それを口にするのが憚られるのは、ヴィンスが異端審問官だなんていう身分を持っているから。アーティカはヴィンスが持つその身分が、彼を生きながらせるための祖父の愛だと知っているけれど。
(大丈夫、今ならわたし、ヴィンスを信じることができるわ)
アーティカは瑠璃色の眼を開き、ヴィンスを真っ直ぐ見つめた。そうして、はっきりとした声で自分の意志を告げた。
「ヴィンス。あなたのために
アーティカは魔女だ。不可視の力を持つ砂漠の魔女。
見えないものを見る以外に脳はないけれど、アーティカにはこれまで寝食を忘れて磨き続けたレンズがある。そのレンズが
「あなたと共に、戦うわ」
「わかった。でもここは、どうか見守っていて欲しい。この先の未来を変えるために、私が来たのだから」
ヴィンスはそう告げると、決意に満ちた表情で頷いて前を向いてしまった。
「話はついたのか?」
「ああ、待たせたようで申し訳ない。——それでは闘いをはじめよう」
そこから先は、常人の目では観測できないスピードと威力を持った戦いだった。
一瞬の気の緩みが死をもたらす行動に繋がる。張り詰めた緊張感のなかで、ヴィンスの目は半仮面のレンズの奥で金色に輝いていた。
悪魔の眼を、意図的に暴走させている。
(観測した未来まで、決して死なないとわかっているからできる無茶だわ!)
なんてひとなのだろう。ヴィンスが観測した未来に辿り着くまで、無茶をし続けるだなんて。
アーティカは、ジュードと剣を打ち合わせるヴィンスを。固唾を呑んで見守ることしかできないもどかしさに震えた。
「……くっ、……はぁッ!」
「ははは、やるなぁ優男。お前は誇れ! 俺と互角に闘える人間をザーフィル以外ではじめて見たぞ!」
「余計な、お世話だ……ッ」
叫びとともに、ヴィンスの手から青い悪魔の焔が放たれた。
ヴィンスが手を振るうたび、蒼炎が壁のように燃え上がり、ジュードの進路を塞いでゆく。
悪魔の焔に触れでもしたら、あっという間に身を焦がし焼き尽くされてしまう。それをジュードも知っているのか、ヴィンスとの距離を慎重に取り出した。
「ああ、いいな! そんな闘い方もできるのか!? はは、こりゃいい! 愉しくなって来たなぁ!」
「……ッ、真面目に戦えないのか、あなたは!」
「真剣に剣を合わせているから、愉しいんだろうが!」
愉悦に満ちた笑みを見せるジュードに対し、ヴィンスは険しい表情を浮かべていた。
アーティカは、ヴィンスの背に守られてハラハラしながら見守ることしかできない。握りしめることしかできないアーティカの手は、じっとりと汗で濡れていた。
「アーティカは、必ず連れて帰る……!」
「させるかよ、魔女はザーフィルのもんだ!」
それは、ほんの一瞬だった。
叫んだジュードがヴィンスの剣を受け流し、ひらりと躱してアーティカに迫る。
「いけない、アーティカ! ……くそッ!」
「ああっ! ヴィンス……!」
ジュードが振り上げた曲刀が、アーティカ目掛けて振り下ろされる——前に。
「ぐ、ぅ……ッ!」
上段から放たれたジュードの重い曲刀を、ヴィンスがしっかり受け止め弾く。
ヴィンスの横顔には、冷や汗がひと筋。つつつ、と流れて伝い落ち、地面に落ちて弾けて消えた。
その一方で、攻撃を無効化されたジュードが驚愕と歓喜に満ちた表情で嗤い出す。
「ふは! お前、俺の曲刀を逸らしたのか。面白い!」
「……ッ、私は、少しも、面白くはない!」
嗤いながら曲刀を振るうジュードと、それを見事な足捌きと体捌きで躱すヴィンス。
次も、その次も、ヴィンスは不自然なくらいジュードの曲刀を避け続けた。
剣を振るい、受け流し、時には悪魔の焔を放出して距離を取る。そんなヴィンスの振る舞いに、ジュードの笑みがますます濃くなってゆく。
「ははは、この悪魔の焔はどうやって出しているんだ? 面白い、面白いなぁ!」
「ぐ、ぉ……ッ、あああッ!」
ヴィンスの叫びは、苦痛に満ちていた。
悪魔の焔は、宿主の感情に左右されるのだ。心を燃やし、感情を燃やし、そうしていつかは魂をも火種にして燃え広がる悪魔の焔。
そんなものを自在に出せるわけがない。ヴィンスの限界が近づいていた。
「やめて、ヴィンス! これ以上は、あなたが悪魔に呑まれてしまう!」
アーティカが、衝動のままにヴィンスの腕に縋りつく。焔を恐れないその行動に、ヴィンスは寸でのところで踏みとどまった。
それが面白くなかったのか。ジュードがアーティカを睨みながら舌打ちをして見せた。
「チッ……お嬢さん、邪魔をしないでくれないか」
「それはあなたの都合でしょう! わたしにもわたしの都合というものがあるのよ!」
恐れ知らずのアーティカは、ジュードの発言を真正面から受け止めて、そのまま強気で言葉を返す。
そうして今度はヴィンスの腕を引き、静かに低く叱咤した。
「ヴィンス……しっかりして。どうして、こんな無茶な真似をするの」
「……ああ、すまないアーティカ」
「わたしもあなたと戦いたい、と言ったでしょう。いつまで待てばいいの!」
「私はただ、君を救いたいだけなんだ。それだけじゃない。ようやく見つけた不可視の魔女。そんな君を失うわけにはいかない」
「わたしを救うために、あなたがボロボロになっていい訳なんてない!」
感情的に叫ぶアーティカの目尻には、うっすらと水の膜が張っていた。
こんな戦い方をするなんて、聞いてない。アーティカは目尻に溜まった涙が溢れてしまわないように、奥歯を噛み締めてヴィンスを睨んだ。
無理矢理に悪魔の焔を出し続けたせいで、ヴィンスは酷く消耗していた。それなのに、アーティカの目にはいつだって美しく映るのだ。
だから余計に気を引き締めて、眉を吊り上げ、瑠璃色の目に力を込める。
すると、である。
微笑むヴィンスが静かに手を伸ばし、アーティカの煤で汚れた頬を撫でたのだ。
「君を助けるための無茶だ。見逃して欲しい」
消耗してやつれて見えるせいか、はかなく微笑むヴィンス。その双眸の色は碧眼と金眼を行ったり来たりして明滅していた。
「……あなた、まさか——」
もしかして、と続けようとしたアーティカの言葉は、喉の奥のほうでとどまった。
屋上の木扉がバタンと開き、見知った顔がふたりあらわれたから。ジャックとエラだ。
ジャックは腰に履いた剣を抜きながら、壁になるようにジュードと対峙する。
「おいおい、局長。なんだこりゃ。ひとりで勝手に暴走してんじゃないですよ」
「邪魔をするな、オッサン。悪魔憑きと剣を交える機会を俺から奪うんじゃない」
「待て、誰がオッサンだ。——局長、こっちの男は引き受けるんで。これ以上、無茶しないようにしてくださいよ」
ジャックはそう言うと、ヴィンスの返事も待たずにジュードと剣を打ち合わせはじめた。
剣戟を振るう甲高い音が、爆ぜる焔の音と混じって、どこか美しい音楽のよう。体格がよく似ている二人は、まるで運命の相手にでも出会ったかのように嬉々として剣を振るっていた。
彼らを苦々しく眺めるザーフィルは、蒼炎によってアーティカとヴィンスに近づくことはできない。けれど、屋上の木扉は蒼炎の壁の内側にあった。
だから、ジュードを見送ったエラが、アーティカたちの方へと駆けてくる。
「局長。どこもかしこも燃やしてしまうなど……いくらアーティカ様のレンズがあるとはいえ、これはやりすぎです」
「やっぱり! ヴィンス、あなた……レンズを使って未来を観測しながら戦っていたのね」
「アーティカが残してくれた私の希望だ。だから、君のために使えてよかった」
続け損なった言葉をようやく吐き出せたアーティカがヴィンスに詰め寄ると、彼は少しも後悔などしていないことが窺える柔らかな声でそう告げた。
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