第15話 わたしにレンズを造れと言うの

 砂漠班の騎士たちを集めたヴィンスは、母の要請でもなく、教団の使命でもなく、ただ自分のためだけに騎士たちに呼びかけていた。


「これは任意作戦であり、私の我儘でしかない。作戦に参加しなくとも咎めることはない」

「——それは、砂礫の帝国と開戦するということで?」


 ヴィンスの言葉を静かに聞いていた騎士の中から、質問の声が上がる。その声に、ヴィンスはひとつひとつ丁寧に答えてゆく。


「結果的にそうなるかもしれないが、可能な限り開戦は回避する」

「——このことは、本国のお偉方は知っておられるので?」

「今朝方、郵便鳥に手紙を託した。今頃、国王陛下の手に現在の状況が伝わっているだろう。手紙には、現在の状況と私の意向、それから援軍は不要であることを記載している」


 援軍は決して来ない、という言葉に、騎士たちがどよめいた。顔を見合わせて話しだす騎士たちに、エラが一歩前へ踏み出し声を張った。


「私は当然、同行します。囚われの淑女レディを救い出してこそ、騎士の本懐を遂げることができますので」

「俺も同行しますぜ。あのお嬢さんのおかげで砂嵐に呑まれず、こうして生きている。で、お前らはどうするんだ?」

「——つまり、我らの殿下がはじめて我欲によって動く——という理解でよいので?」

「ああ、そうだ」


 騎士の中から上がった問いに、ヴィンスは言い訳することなく肯定する。

 ヴィンスは、アーティカを救いたかった。彼女が残してくれた未来視レンズで観測した未来の先を、どうしてもよい方向へ変えたかったから。

 そして、このどうしようもない我儘が叶うことも、ヴィンスは知っている。黄緑色のレンズの向こうに未来を視たから。


「わかりました。我らはもとよりヴィンス殿下の騎士。同行いたしましょう」

「ありがとう、私の我儘に付き合ってくれて。——では、行こう。私の魔女を救いに行くぞ」


 勇ましく言い放つ一方で、ヴィンスの背中はゾクリと冷えて震えていた。観測した未来への無謬感に畏れて、身体の震えが止まらなかった。


◇◆◇◆◇


「寛大な心でザーフィル陛下を受け止めろ、ですって? わたしの国や家族、国民を滅ぼし、殺した相手に優しくしろだなんて、虫がよすぎない?」


 アーティカは震える拳を握りしめ、自分を見上げるスレイマンに鋭く言った。言葉の形をした短刀を突き刺すかのように。

 怒気がほとばしるアーティカを諌めたのは、サリアだった。サリアは真っ青な顔でアーティカに縋り付く。


「ひ、姫様っ! スレイマン様は帝国の宰相様です。後宮奴隷にすぎない私たちが刃向かっていい相手ではございませんよ!?」

「サリア、大丈夫。大丈夫だから黙っていて。わたしは宰相殿と話をしているの」


 アーティカはサリアの忠言をまるで無視して、スレイマンを見下ろした。

 瑠璃色の目は、驚くほど冷えていた。以前、ザーフィルが「怒っているフリをしているだけだ」と指摘したことがあった。それは確かに、間違っていない。けれど、正解でもない。

 三年の年月の中で、熱く燃える怒りが冷えて固まってしまっただけ。燃やし尽くされて灰になって、消えてしまったわけじゃない。

 アーティカは、心の中にヴィンスの姿を描くことで、それを思い出していた。


「ザーフィル陛下の傍若無人な振る舞いが、傲岸不遜な態度が、ただ『寂しい』という理由で許されるとでも思っているの?」

「同情の余地もない、と……そうおっしゃるのですか」

「寂しさや理解されないことを言い訳にして、他人に寄り添うことをやめてしまったひとに興味はないの」


 確かにアーティカの家族は、未来視レンズの製作をアーティカに望んだ。確実性のある未来をアーティカのレンズに要求した。

 けれど国が滅ぶとき、真っ先にアーティカを逃そうと助力してくれたことも事実だ。彼らのおかげで、今、アーティカは生きている。

 静かに怒るアーティカに、スレイマンがこうべを垂れる。表情を隠されていい気がしないアーティカは、スレイマンの後頭部を睨みつけるように見るしかない。


「……差し出がましい真似をいたしました、申し訳ありませんでした。ですが、私個人としては、砂漠の魔女あなたこそ、砂礫の皇帝に相応しい女性ひとであると思っております」

「はぁ……、買い被りすぎよ。わたしは無力な魔女だもの」

「いいえ。砂漠の魔女は我々、砂漠の民の希望であり支えでした。天候が不安定で、いつ雨が来るともしれない砂漠を生きる民にとって、あなたが造ってくださった天候予知のレンズは大変ありがたいものでした」

「……あなた、もしかして生粋の貴人ではないの?」


 のろのろと顔を上げたスレイマンが、ニコリと笑う。明確な回答を拒絶する笑みを浮かべたまま、スレイマンが言葉を続けた。


「そんなあなたに、私の皇帝陛下の支えになっていただきたい、と……夢を見てしまうことだけは、お許しいただきたい」


 にこやかな笑顔とは裏腹に絞り出すように吐かれた言葉は、スレイマンの本心だったのかもしれない。

 けれど、それを叶えることはできない。アーティカは無言でスレイマンと視線を交わした。

 どれほど時間が経過したのか。あるいか根負けしたのか、時間が迫っていただけか。スレイマンが話を切り替えるように手を打った。


「さて、アーティカ妃。後宮ハレムで部屋を構え、陛下の寝室に招かれた以上、あなたのことは後宮奴隷ではなく、ひとりの妃として扱います」

「そうなの。ありがたいことね。わたしにとっては、迷惑なことだけれど」

「そうおっしゃらずに、アーティカ妃。陛下より言伝ことづてがあります。——下賜した素材と道具を用いてレンズを造って献上せよ。遂行できなければ、アーティカ妃の侍女を殺す、と」


 ザーフィルの言いそうなことだ、と呆れながら、アーティカはその命を聞いた。

 サリアの命を賭けるような余計なひと言がなければ、少しは見直しもしたかもしれないのに。少しだけ残念に思いながら、アーティカはスレイマンに告げた。


「宰相殿、ザーフィル陛下にお伝えください。承知した、と」



 スレイマンが退出した後、アーティカはサリアとともにザーフィルから贈られた木箱の中身をあらためていた。

 研磨材も貴重なものだったけれど、なによりアーティカの心が躍ったのはレンズの素材となり得る原石や硝子板だ。

 水晶や緑柱石。気泡や混合物が混ざってはいるけれど砂漠領ではなかなかの透明度を誇る硝子板。アーティカを後宮に入れてから用意したのか、それとも、アーティカを後宮にとどめておくつもりで用意したものか。

 どちらであっても、アーティカには関係ない。

 ザーフィルは皇帝命令としてレンズの製作をアーティカに課したし、アーティカは頭の中で思い浮かんだレンズを片っ端から造り上げたかった。

 それまで抑え込んでいた魔女としての欲望を解放したアーティカは、原石や硝子板を手に取って、うっとりと眺めてため息を吐いた。


「……他人に言われてレンズを造るだなんて、魔女わたしもヤキがまわったわね」

「姫様、お手伝いできることがあれば、いくらでもお申し付けください」

「ありがとうサリア。でも、手伝ってもらうような作業はないの」


 アーティカは原石や硝子板を寝台の上に並べながら、ふ、と笑った。

 硬度も高く、透明度や混合物が少ない上に、小さな素材はひとつもない。宝石を磨くのも、レンズを磨くのも手順は同じ。削れば小さくなってしまう。宝石であれば、小さくとも価値を生み出せる。けれどレンズはそうもいかない。

 それをわかっていて、ザーフィルは手のひらよりも大きな素材しか寄越さなかった。


「ザーフィルは本気でわたしに未来予知のレンズを造らせる気なんだわ」

「造って差し上げるのですか、姫様。姫様のレンズは、特になにもせずとも未来を予知するレンズになるのでは?」


 サリアの素朴な疑問に、アーティカは首を横へ振って否定した。


「わたしがなにも考えずにレンズを造ったら、浅い未来か狭い未来を視るレンズになるか、レンズをかざしたものを透視するレンズになるだけよ。天候を予知したり、物体を透視したりするレンズにね」

「ええっ、そうなんですか?」

「ザーフィルが望む未来予知のレンズは、そういうものじゃない」


 砂礫の帝国ディマシュカの皇帝であるザーフィルが望むのは、狭い範囲を観測するレンズじゃない。

 誰もが望み、誰もが求める、未来を見通す観測レンズだ。


「政治利用できるような精度が高くて応用の効く未来予知のレンズは、今ここにある素材では造れない。透明度と高度が足りないもの。未来を観測している途中で割れてしまう」


 アーティカはラウフバラド国が滅ぶ以前、未来を観測するレンズを偶然造り上げ、好奇心で覗いたレンズの中でラウフバラド国の滅亡を視た。それを誰かに話したことはない。

 偶然が重なって完成した未来観測レンズは、偶然手に入れたウェネティアの硝子だった。

 当時手にしたウェネティア硝子はまだ試作品で、若干の混合物や気泡が内包されていたにも関わらず、アーティカの魔術クラフトに耐えて遠い未来を観測した。

 それ以降、様々な原石でレンズを造ってきたけれど、あのときほどの観測レンズを造ることはできていない。できたとしても、すぐに割れてしまう不完全なレンズしか造れない。

 アーティカは、素材を寝台に並べる手伝いをしてくれているサリアに言った。


「ここに来る前にひと組の未来予測のレンズを黄緑柱石ヘリオドールで造ったの」

「姫様……異端審問官に捕らえられた自覚はなかったのですか?」

「だ、だって仕方がないじゃない! あのひとったら、わたしを魔女としてじゃなくて、国を滅ぼされて行き場をなくした亡国の王女として……客人として招いてくれたのだもの」


 ほんの数日前のことでしかないのに、どうしてか遠い昔のような感覚でアーティカは懐かしそうに目を細めた。心なしか、目元が熱い。

 ヴィンスやエラ、ジャックと過ごした時間を思い出すアーティカは、自覚なく柔らかい表情を浮かべていた。



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