第13話 魔女が犯した罪

「来たか、魔女よ。……ああ、美しいな。やはり魔女はそうでなくては」


 皇帝の寝室でアーティカを待ち構えていたザーフィルは、琥珀色のドレスを着て黄金色の紅を引くアーティカを歓迎した。

 機嫌よく嗤うザーフィルに対して、アーティカの反応は冷ややかだ。

 寝台に腰掛けるザーフィルの前で膝をつき、取りたくもない臣下の礼を取る。けれど決してザーフィルとは目を合わせない。


「……わたしに、なにをお命じになるつもりですか陛下」

「やめてくれ。後宮ハレムに入れた途端、つまらない女になるな」

「なんて寛大なんでしょう、その寛大さをラウフバラド国にも見せて欲しかったわ!」


 嫌味半分、怒り半分のアーティカに、ザーフィルがスッと琥珀色の双眸を細めた。たったそれだけで、ザーフィルの雰囲気が冷たいものへとガラリと変わる。

 アーティカを見下ろすザーフィルは、頬杖をついてため息を吐いた。


「怒っているフリはよせ、魔女よ。三年も憎悪を滾らせていた、と? 違うだろう? お前はずっと、別のことを考えて生きてきたはずだ。魔女よ、俺の前では素直に話せ」

「……あなたこそ、わたしのことをわかっているフリはやめて」

「ははは、手厳しいな。そうでなくてはつまらん」


 投げやりに吐いたアーティカの言葉のどこが面白かったのか。ザーフィルが膝を叩いて嗤い出した。

 ザーフィルはひとしきり嗤った。嗤いすぎて濡れた目尻を指で拭うと、支配者の顔でアーティカに告げる。


魔女アーティカよ、俺のために未来を映すレンズを造れ。永久に壊れないものを。俺が望む未来を映し出すレンズを、だ」

「ザーフィル皇帝陛下は、不可視のレンズをお望みですか」


 アーティカはザーフィルの要求を聞いて、瑠璃色の冷めた視線を投げた。

 魔女アーティカになにを期待するのか。いつだって誰だって、同じことを言う。

 ため息を吐かなかった自分を褒めてやりたい気分で、アーティカは肩をすくめて胸の前で腕を組んだ。


「つまらない男ね、予想の範囲内だわ。わたしは見えないものを視ることができる魔女。そこには未来も含まれる。誰だってわたしの力を知れば、未来を視たがるもの」

「当たり前だ、誰だって未来を視たい。お前のレンズは、観測した未来を確定させるのだから」


 ザーフィルの言葉は、真実だ。誰だって未来を視たい。

 アーティカが不可視を観測する魔女であることを知った父王は、アーティカにラウフバラド国の未来を観測するレンズの製作を望んだ。

 兄だって、未来を垣間見るレンズが欲しいのだ、とアーティカに訴えていたし、母だって同じ。

 ああ、でも。と思う。でも、ヴィンスだけは違った。

 アーティカの魔女としての力を聞いても、なにも要求しなかった。それどころか、国を失ったアーティカを気遣うような優しさがあった。


(会いたい。ヴィンスに会いたい。あの美しい魂に、触れたい)


 けれどアーティカは、ヴィンスを恋しいと思う迷いを振り切るように息を吐いた。ヴィンスは結局、悪魔の力を消し去りたいだけの人間だ。

 呼気を吐き出して空になった胸が痛い。痛みを無視するように、アーティカは口を開いた。


「わたしが造った未来視のレンズは、観測結果を現実に固定する。絶対に逃れられない運命に変える。……どうしてそれを、あなたが知っているの」


 ザーフィルがニヤリと嗤った。寝台を降りて、アーティカの元へゆく。

 一歩ずつ距離が狭まるごとに、喉の奥から込み上げてくる切迫感。アーティカは、近づいてくるザーフィルを真正面から見てしまった。

 視線が合わさった途端、ザーフィルが、ふ、と表情を緩めた。


「言っただろう、魔女よ。俺はすべて承知している。魔女であるお前の本性を愛してやれる、と」

「それがなんなの……」

「まだわからないのか? 愛しい魔女。砂漠の悪魔の寵愛を受ける資格がある魔女よ」


 そう告げたザーフィルの琥珀色の目が、誰もが魅了される黄金色に輝いている。

 ぼう、と妖しく浮かび上がる黄金色。人ならざる存在がもつ色。その色の持ち主の名を、アーティカは無意識のうちに呟いていた。


「……悪魔シャイターン。砂漠の悪魔」


 ザーフィルもまた、砂漠の悪魔に魅入られし者だったのだ。

 もしかしたら、ヴィンスよりも侵食深度が深いかもしれない。アーティカは、ザーフィルからじわりと漂う悪魔の気配に背筋をゾクリと震わせた。


「どうして、悪魔が楔石を——」

「俺は言ったぞ。奇跡や神秘が滅びようと、それが一体、なんなのだ。ラウフバラドの楔石を抜いたところで、なにも変わらない。俺は決して滅びない。俺が滅びないのだから、魔女であるお前も滅びない」


 金色の目を輝かせてアーティカに迫るザーフィルの言い分は、自分本位で強欲だ。

 欲深いザーフィルがアーティカの美しく波打つ黒髪を手に掬い取り、目蓋を伏せてそっと口づける。次に目線を上げたときには、ザーフィルの目は金色から琥珀色に戻っていた。

 だからアーティカは、ますますザーフィルが何者なのかわからなくなった。

 ヴィンスのように悪魔に魅入られて、制御ができない負の力を押し付けられた状態とは、また違う。自分の意思で悪魔の力を制御できているような。


「……あなた、悪魔のなんなの。悪魔そのものじゃないのでしょう? でも、まともな人間じゃない……」

「そこまで見抜くか、魔女よ。俺は砂漠の悪魔の心臓だ」


 ザーフィルが誇らしげに自身の左胸を掴んで、そう言った。


「幼い頃、父帝が悪魔召喚の儀式を行なう際に俺の心臓を悪魔に差し出した。新鮮な心臓を捧げるために、俺は生きたまま胸を裂かれたよ」

「なんてこと……」

「だが、その時の絶望が、俺の心臓よりも美味かったらしい。だから褒美として心臓を譲り受けた。いや、あれは同情か。悪魔も人間に同情するらしい。そんなことよりも知っていたか、砂漠の悪魔の心臓は複数あるらしいぞ」


 壮絶な過去をなんでもないことのように語り、ザーフィルは嗤った。

 砂礫の帝国ディマシュカの先代皇帝でありザーフィルの父であった男は、ザーフィルが成人した直後に変死している。死因は今も解明されていない。

 ザーフィルが復讐を果たしたのか。それとも悪魔が新たなる贄を求めたのか。

 悪魔を宿し、魅入られた者は、ヴィンスがそうであるように、その運命を狂わされる。

 ヴィンスのことを思い出すと、アーティカは心臓を掴まれたかのように胸が苦しくなってしまう。

 もしかして、ヴィンスもザーフィルと同じように? もしそうだったなら、なんて辛く苦しい運命だろう。その苦しさが、アーティカにザーフィルへの疑問を吐露させた。


「……あなたもわたしを生贄にして、自分の心臓を取り戻したいの?」


 その問いに、ザーフィルが虚を突かれたように瞬きをした。

 けれどすぐに、はははと嗤い飛ばしたものの、燃えるような怒りを見せたザーフィルの目が、金色に妖しく揺らめく。

 ザーフィルは、その怒りをぶつけるかのように力任せにアーティカの腰を抱き寄せた。


「どうして心臓を取り戻さねばならんのだ! この心臓は俺に馴染んでいる。おかげで、魔女でさえ俺を探れない」

「……あなたの正体を読めなかったのは、まさか」

「そうだ。悪魔の心臓のおかげだ。俺に魔女の力は効かない。なんの不都合もない心臓ものを元に戻してどうする」


 一時の怒りをすぐに収めて、ザーフィルが悠然と嗤う。アーティカの腰を抱く男の手が、燃えるように熱い。じわりと染み込むその熱は、ザーフィルが胸の内に収めた怒りだろうか。

 アーティカは、ようやくザーフィルという男が見えてきたように思えた。基本的には嗤っているけれど、内側に激しい怒りを抱えている。

 感情を抑え込むことで、悪魔の支配に抗っていた。彼もまた、ヴィンスと同じく悪魔の被害者なのだ。

 そう思ってしまったアーティカの心が揺れた。腰を抱かれて密着している分、ザーフィルの体温の変化を機敏に感じてしまう。

 ザーフィルは国を滅ぼした張本人で、世界から神秘や奇跡が消えたとしても気にしない男だ。

 けれど、魔女アーティカを強く望んでいることに違いはない。清々しいほどの傲慢さは、かえってアーティカの関心を引いている。

 揺れる瑠璃色の目を琥珀色の目がまっすぐ見つめた。


「俺が望むものは未来視のレンズ。ただそれだけだ」


 静かに告げるザーフィルの声には、強い意思と切実さが滲んでいた。

 だからアーティカも真剣な眼差しでザーフィルを見つめ返して、ふるりと首を振る。首を横へ振ったアーティカは、亡国の王女ではなく、魔女としての顔をしていた。


「それはできないわ」

「なぜ」

「素材が耐えられないから。未来を視れるようなレンズを造れる素材がないの」

「どういうことだ?」


 疑問を呈したザーフィルに、アーティカが魔女として答える。


「未来を視るだけじゃなく、望む未来を視るようなレンズは、ただの宝石や硝子じゃ造れない。無色透明で透明度が高く、混合物も気泡もなく、わたしの魔術クラフトに耐えられる硬度を持ちながらも加工しやすい素材でなければ」


 少し早口になりながら答えたアーティカになにを察したのか。ザーフィルがくつくつと喉を鳴らして嗤いだす。


「その口振りだと、お前、レンズを造って未来を視たな?」

「……っ」

「ははは、未来を視たのか。どうだった、お前の視た未来は。望む未来を手に入れたか?」

「……わたしが好奇心に負けて未来を観測したせいで、わたしの国は滅んだ。どう足掻いても未来は変えられなかった。レンズも負荷に耐えられず割れてしまったわ」

「傑作だな! そうか、お前が俺を導いたのか。ますます気に入った」


 ニタリと嗤うザーフィルに、アーティカの背筋がゾクリと震えた。

 ああ、この男には勝てない。この男の前では、後悔も怒りも、なにもかも無意味だ。こうも受け入れられてしまうと、抗うことに虚しさを覚えてしまう。


「なあ、魔女よ。未来視を実現させるレンズの素材だが……あるんだろう、候補となる素材が。だが、砂漠域では手に入らない……違うか? 言ってみろ。俺は砂礫の帝国ディマシュカの皇帝だ。不可能はない」


 アーティカを強く抱きしめたザーフィルが、耳朶を擽ぐるような甘い声で囁いた。

 なんて魅力的な誘いだろう。アーティカは、魔女としての自分が、期待で震えていたことをようやく自覚した。

 アーティカはずっと、自分の魔術クラフトを思う存分振るいたかった。

 観測した未来を確定させてしまうレンズだとしても、それが悪用されようとも、悲劇を生み出そうとも、そんなことは関係ないのだ、と。

 本当はずっと、人のことわりを捨てて、魔の道に堕ちてしまいたかった。

 王女としての役目も希少価値のある魔女としての役目も、すべて無視して望むまま生きたかった。観測して確定させてしまった未来の責任なんて取りたくなかった。

 欲望の赴くままに技巧クラフトを磨きたい。昼夜問わず頭を巡らせていたい。崇高な理由なくレンズの存在を広めたい。

 ずっと隠していた本性が、鍵をかけて閉じ込めていた本望が、今は溶けて漏れ出してアーティカを揺さぶっている。


(今、ここで望めば、最高級の素材が手に入る)


 ずっとひとりで抱えてきた魔女としての欲望を刺激され、アーティカは思わずゴクリと喉を鳴らしていた。



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