第2話 魔女をいつ殺すのか?

「皆、動くな。ここに魔女がいると聞いて来た。魔女はどこにいる」


 魔女はいる。アーティカこそ、魔女だ。

 審問官の腹に響くような重さを感じる声に呼びかけられて、アーティカは思わず名乗り出そうになった。そんなアーティカを、サリアが腕を掴んで引き留める。

 サリアが険しい顔で首を横へ振っている。

 いけない。あんまりにも綺麗だから、近くで見たくなってしまった。アーティカはふるふると頭を振って、向こう見ずな自分を省みる。

 そうしている間にマルワーンが、とぼけた顔で魔女の存在アーティカを否定した。


「なんのことかわかりませんね。ここは皇帝の後宮へ献上する女奴隷を扱う商館です。魔女などいるわけが……」

「なるほど。お前、死にたいのか」


 審問官が表情ひとつ変えずに、腰に下げていた剣をずらりと抜いた。

 天井から吊り下がる灯籠のオレンジ色の光を受けて、刀身がギラリと光る。部屋がたちまち女たちの悲鳴で包まれた。

 部屋の中は半ばパニック状態だ。逃げ惑う女たちと、それを抑え込むマルワーンや下男たち。アーティカだけが冷静で、ジッと審問官たちの様子を窺っている。


「はーいはいはい。ヴィンス局長、そのやり方はいけません」


 すると、審問官の中でも、ひと際体格のいい男が陽気な振る舞いで手を叩いた。空気が振動する大きな音に、女たちの動きが止まる。


「いいですか、ここは砂漠の国。オレらが魔女を寄越せと言ったところで、素直に渡すはずがない」


 陽気な男はそう言うと、人の良さそうな笑みを浮かべた。そうして、友好的な態度にホッとして気を緩めた女たちへ冷酷に告げる。


「制圧せよ。ひとり残さず拘束しろ。——魔女は誰だ? 素直に差し出せば、命までは取らないぞ?」

「やめなさい、ジャック。あなた局長とやっていることが同じよ」


 ジャックや仲間の審問官たちを止めたのは、若い女性の審問官だった。彼女はにこりと微笑むと、怯える女たちに向かって柔らかな声で話しだす。


「ごめんなさいね、どうか魔女を差し出してくれないかしら。魔女は災いを呼ぶって、知っているでしょう? 隠し立てするなら、私たちがあなた方の災いになるだけよ」

「エラ、お前もジャックと同じ穴の狢だ。……聞いたな、女たちよ。魔女を差し出せ」


 ヴィンスの鋭い眼光が、呆気に取られていたアーティカたちを貫いた。マルワーンに値踏みされるような視線とはまた違ういやらしさ。

 突然向けられた凍えるような視線と唐突な生命の危機に、女たちが震え上がる。

 ヴィンスが遠慮することなく、抜き身の剣の切先を女たち——いや、サリアに向けたことで、思いも寄らぬ事態に陥った。


「ひ、姫様が……姫様が魔女です!」

「サリア!?」


 アーティカは、信じられないものを見る目でサリアを見た。剣を向けられたサリアが、喉をひっくり返したかのような声でアーティカを告発したのだ。

 これまでともに過ごしてきたサリアに、アーティカは裏切られた。

 サリアは歯の根をガタガタ震わせて、真っ青な顔をして手を握っている。アーティカと目を合わせようともしない。彼女の視線は、ヴィンスの剣に釘付けだ。

 それ見たアーティカは、サリアを責める気が失せてしまった。


「ありがとう、あなたの魂が天国の門をくぐれますように」


 ヴィンスは剣を鞘に収めると、サリアの肩にそっと触れて微笑んだ。

 その柔らかな笑みが、魔女であるアーティカに向けられることはない。代わりに、凍てつくような鋭い視線を真正面から浴びせられる。


「お前が魔女か」

「わ、わたしは……」


 アーティカは、ヴィンスの視線に耐えられず、無意識に自分の荷物鞄へと視線を逸らしてしまった。

 その細やかな視線の動きを逃すヴィンスではない。


「エラ、彼女の荷物を探せ」

「待って、なんでもないの! お願い、触らないで!」


 ヴィンスに指示されたエラが、アーティカの荷物鞄を探る。エラが鞄の中から探り当てたのは、アーティカが思いを寄せていたものと同じ。一冊の本だ。

 書物の名は、アルハーゼンの書。アーティカが魔女の力を注ぎ込み、異界から召喚した本——異界文書だった。


「魔女よ、それは異界文書だな。異界から悪魔の書を召喚できるのは、魔女しかいない」

「待って、アルハーゼンの書をどうするつもり? それは悪魔の書ではないわ!」

「異界文書は然るべき処置を行わなければならない」

「焼くってこと? 焚書にするの? やめて、お願い。それは貴重な知識の泉なのよ!」

「それは私の知ったところではない。——連行しろ」


 アーティカの胸をヴィンスの冷たい声が貫いた。愕然とするアーティカの腕を、エラとジャックが捕まえる。

 その拍子に、アーティカが握りしめていた蛍石レンズが、手のひらからカラリと転がり落ちてしまった。


「あっ……!」


 ころころと転がるレンズがマルワーンの足にぶつかり、ころんと止まる。

 マルワーンは腰を屈めてレンズを拾うと、ピンと器用に片眉を跳ね上げさせた。


「お前、奴隷の分際で蛍石なんか隠し持っていたのか!? 異教の旦那様、これは私がいただいてもよろしいでしょう? その女の代金として!」

「駄目よ、駄目! それはわたしの大事なレンズよ!」

「うるさい、魔女め! この蛍石は、皇帝が支払うはずだったお前の代金のかわりだ。……構いませんよね、旦那様!」

「構わない。——魔女よ、行くぞ」

「そんな……!」


 ヴィンスのひと声で、アーティカは審問官たちに引きずられるようにして部屋を後にした。

 サリアにも、マルワーンにも売られてしまった。魔女アーティカに待っている未来は、断罪と処刑だろうか。それとも、死の嵐シムーンに呑まれて乾涸びる運命か。

 レンズも異界文書も奪われた。せめてアルハーゼンの書だけでも取り返さなければ。

 アーティカは審問官たちに連行されてゆく中で、ひとり固く誓ったのである。


◇◆◇◆◇


魔女わたしをいつ殺すの?  磔刑にして燃やすのはいつ?」


 アーティカは、後宮に売られる女奴隷ではなく、異教の審問官に裁かれる魔女として奴隷商館を後にせざるを得なかった。

 人生とは理不尽なものだと知っていたから、アーティカは商館から出るなりヴィンスに問うた。

 アルハーゼンの書をいつまでに取り戻せばいいのか。自分の寿命リミットを知っておきたかったから。

 問われたヴィンスはギョッとしたように動きを止めて、沈黙したままアーティカを見つめている。


「そんな手間をかけなくても、今夜、バルガの街の外れにでも打ち捨てておけば、朝にはカラカラに渇いて砂になるけれど」

「待って。待ってくれ、私が君を処刑するだって?」


 せっかちなアーティカの発言に、こめかみの辺りを片手で押さえながら、ヴィンスが首を捻った。戸惑うヴィンスの様子に、アーティカは怪訝な表情を浮かべて問い詰める。


「違うの? 異教の信徒は魔女を捕らえて殺すのでしょう? そのためにわたしを捕らえたのではなくて?」

「私たちは不用意に人を殺さない。魔女である君を捕らえたのは、殺すためじゃない」


 ため息とともに吐き出されたヴィンスの言葉は、嘘か真か。アーティカには判断ができない。けれど少なくとも、今すぐ生命が獲られるようなことはないらしい。

 安堵したアーティカは、思わず頬を緩めて微笑み返す。


「ところで、君。さっき気になることを言ったね。今夜、なにが起こるんだ?」

「砂嵐が来るのよ。熱風を孕んだ死の嵐シムーンが」

「こんなに天気がいいのに、砂嵐が来るって?」


 アーティカは砂嵐を侮るヴィンスを鼻で笑った。そうして親切心から、忠告と警告を重ねて告げる。


「異教の信徒の方々は、砂漠をご存知でないの? 砂嵐は突然起こるのよ。それにわたし、マルワーンに盗られたレンズで砂嵐がやってくるのを確かに視たわ」


 アーティカがそう言うと、ヴィンスが深刻な表情で黙り込んでしまった。その沈黙は刹那。ヴィンスはすぐにジャックとエラに鋭く指示を出す。


「ジャック、エラ。急いで荷物をまとめろ。魔女の言葉だ、従うぞ」

「イエッサー! おらおら、てめぇら。荷物をまとめやがれ、砂嵐が来るぞ!」

「各自、毛布を一枚、取り出しやすいところに備えておくこと。盾を持っているものは、忘れずに備えるのよ」


 ジャックが仲間の審問官たちを急かすように走り出し、エラも仲間たちに的確に指示を出してからうまやへ駆けて、繋いでいた砂漠馬の準備を整えはじめる。

 彼らの素早い動きに、アーティカは思わず息を呑んだ。


(判断と決断が早い。彼らは手練れだわ! まるで戦士や軍人のよう)


 砂漠は死と隣り合わせの領域だ。ひとつの判断、一瞬の躊躇が生死を分けることもある。

 サリアもマルワーンも、アーティカの警告を本気にしなかった。それなのに、今日出会ったばかりで魔女の敵であるはずの異端審問官が、どうして。アーティカの瑠璃色の目が揺れる。


「……信じてくれるの?」

「信じるさ、魔女の言葉は絶対だ」

「あなた、本当に異教の審問官なの?」


 ふふ、と笑うアーティカに、ヴィンスは真面目な顔で頷いた。


「残念ながら、私たちは異端審問官だ。……それで、ええと……」

「アーティカ。アーティカ・アッ=サーイグ。亡国ラウフバラドの元王女よ」

「ありがとう、アーティカ。私は」

「ヴィンス?」

「そう、ヴィンス・グランヴィル。驚いた、耳がいいんだな。あの喧騒の中で私の名前を聞き取るなんて」


 ヴィンスの目が、驚きと感心によって見開かれた。その様に胸がくすぐったさを覚えて、アーティカの喉から笑い声が漏れる。


「ふふふ。わたし、魔女ですから」

「それでは偉大なる魔女アーティカよ、我々はどちらへ避難すればよいか導いてくれ」


 ヴィンスのとぼけた言葉の裏に潜む真摯な態度に、アーティカの心臓がどきりと高鳴った。

 アーティカは今この時ほど、自分が魔女であることがこんなにも誇らしく思ったことはない。


「西よ。今なら、西へ走れば砂嵐を避けることができるわ」



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