3 邂逅
喧嘩の仲裁としては相応しくなかったかもしれないが、彼の言葉は喧嘩の当事者たちにはよく聞こえたようだった。「は?」という反応が出てくる中、彼は私に目を向けた。よく見ると、なかなかの美形だ。私たちと同じくらいの年齢だろうか。
「服、大丈夫ですか?」
「あ、えっと、大丈夫ではない、かも」
「お客様! Tシャツでよかったらお貸しします。どうか他のお客様のご迷惑にもなりますので」
私が答えるのと同時に、バックヤードから店長らしき男性が飛んできた。なかなかに恰幅が良い。喧嘩の間に入ることを厭わない様子に、鈴川くんと睨み合っていた男たちは「いや、もう出るし」「行こうぜ」とゾロゾロ撤退していく。結局きちんと謝られていないが、どうやら鎮火できたようだった。
「すみません、よかったらこれ……」
「ごめんなさい、ありがとうございます」
「いえ、私たちもすぐに止められず申し訳ありません」
「とんでもないです。Tシャツまで貸していただけてありがたいです。今度、洗ってお返ししますね」
「いいんです!」
「いやいやいや」
「いやいやいや!」
「とりあえずカブさん、着替えてきなよ」
「あ、そうだね」
「ごめんね、俺またカッとなったね」
「うん。その件は陽子さんに怒ってもらうから大丈夫だよ」
「マジかー俺は大丈夫じゃないかなー」
陽子さん、怒ると怖いんだよなぁ。そんな呟きをする鈴川くんに笑った。
15分後、ボロボロの陽子さんは、居酒屋の名前が入ったTシャツを着る私を見て驚き、事の顛末を話すと鈴川くんを怒った。鈴川くんは「今日は陽子さんの慰労会ですよ! 怒るのやめましょ!」と誤魔化すけれど、陽子さんのお叱りは止まらなかった。
「私を慰労するなら黙って話を聞け!」
怒りをおさめようとする鈴川くん、騙されそうで騙されない陽子さん。二人のやりとりで、私は一週間分くらいケラケラ笑ったのだった。
◻︎◻︎◻︎
「こんばんは」
「あら」
数日後、居酒屋の店内に顔を出すと、先日Tシャツを貸してくれた店長らしい男性が笑った。前回はドタバタしていた中での会話しかできなかったけれど、改めて対峙すると話しやすそうな雰囲気の人だ。頭には白いタオルを巻き、黒いTシャツはパツパツで、こだわりの強そうな髭を蓄えているのに。笑顔が優しい。40代くらいのおじさまだ。
「この前は本当にごめんなさいね。シャツ、良かったのよ」
失礼。オネエさんでしたか。
「こちらこそお騒がせしてすみませんでした。せっかく綺麗にしたので、お返しさせてください」
「律儀ねぇ。ほら、かっくんも挨拶したら?」
「……どうも」
「あ」
カウンターに座るかっくんと呼ばれた男は、先日鈴川くんたちを仲裁? した男性だった。今日はワイシャツをラフに着崩し、一人で飲んでいるようだ。
「この前はありがとうございました」
「いや、別に。ケンさんの声が聞こえなかっただけなんで」
「ケンさん」
「あの時隅にいたのよ、白髪のおじいちゃん」
「あー……」
言われてみれば、いたかもしれない。私たちのいざこざには我関せずといったような様子で、ちびちびと焼酎らしきものを飲んでいた。
「ケンさん、店ん中だと全然声通ねぇんだよな。そこがまた渋いんだけどさ」
「ほんと好きねぇ」
「ケンさんは、何者ですか?」
「何者って……。……玄人?」
「くろうと?」
「とにかく釣りとかバイクとかすげー詳しい。すげーかっけぇ。でも滅多に飲みに出てこねぇからレアキャラ」
「なるほど……私たちはそんな邂逅を邪魔してしまったんですね。ごめんなさい」
「邂逅って……」
「やだカブちゃん、すげー面白いじゃない」
「カブちゃん?」
「って、呼ばれてなかった?」
「あ、はい。そうです」
「カブ乗ってんの?」
「カブ?」
「バイク」
「いえ、無免許です」
「車も?」
「はい」
「つまんねーな」
「え、待って、つまんないは酷くないですか?」
「そうね、今のはかっくんが悪いわ」
「さすがに傷つきました」
「……一杯奢る」
「ええっ、そんな悪いですよ……じゃあ生一つ」
「私カブちゃん好きだわ」
◻︎◻︎◻︎
「だから俺は基本的に良い服って別に生地云々の話じゃねぇと思うんだよ」
「分かる。生地は確かに大事だけど、それに見合った形があってこそ活きるんだよね。だからってオーダーメイドが全てってわけでもなく」
「そうなんだよな、オーダーメイドって結局その時の採寸でしかないんだよ。三ヶ月ありゃ人の体型って変わるもんだし、アレ着こなせるのって自分の体を管理できてるやつだけなんだよな。分かってんじゃんカブ、もう一杯飲め」
「やだ〜もう四杯目だよ〜。ハイボールで」
「カブちゃんいける口ねぇ〜」
前回会ったときに着ていたアウトドアブランドのTシャツが似合ってなかったという話から、ついついヒートアップしてしまった私たちである。借りていたものを返すだけのつもりだったのに、どうしてこうなったのか。分からないけれど、とりあえず今日のお酒はやけに美味しいということだけは分かった。
「まさか二人がこんなに気が合うなんてびっくりよ」
「気が合う……か?」
「趣味とかは今のところ全く合わないね」
「だな」
「でも話しやすい。地元一緒? みたいな感じで」
「あー分かる」
「かっくん、一応お坊ちゃん高校でしょ?」
「一応ってなんだよ」
そのやりとりを聞きながらハイボールに口をつけた。
お坊ちゃん高校か、なるほど。だからオーダーメイドの話も分かるし、そこはかとなく漂う上品さが私の育った世界と似たところにあるから話しやすいんだろう。でもそんなことはいちいちこんなところで言いたくなかったから、今度は枝豆で口を塞いだ。
「カブちゃん、来週の土曜日暇? 結構常連が集まる日なんだけど、楽しく飲めると思うわよ」
「へー。かっくんもメンバー?」
「まぁそんなもんだな。明確なメンバーはいねぇけど。コイツの匙加減」
「コイツじゃなくてマミちゃんでしょ」
「マミって顔かよ。百歩譲ってマイクだろ」
「え、マイク・タイソンってこと? 逆に有りね」
「有りかよ」
「強くありたいわね」
「分かる」
「分かんのかよ」
「かっくんも来週来るでしょ?」
「何時から?」
「来週は16時ね」
「あー多分行ける」
「カブちゃんは? 何かある?」
お見合いがあります、なんて言えるわけもない。
この前聡子から聞いたお見合いの予定は10時だった。バックれる予定とはいえ、上手くいかなければ参加する羽目になる。まぁ、参加したとしても16時には終わるだろう。憂鬱な予定を、少しばかり色付かせるのも私的には大有りだ。
「よろしくお願いします!」
◻︎◻︎◻︎
「瑛子です。よろしくお願いします」
お見合い当日10時、そう言って下げた頭を上げれば、そこにはかっくんがいた。
あれー? おかしいなー? 16時に居酒屋『ダーリン』に待ち合わせじゃなかったかなー? まだアルコールが残ってるのかなー?
利害が一致したので契約結婚しようと思います 朝野毛布 @moufu_
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