2 仲裁

「えーこちゃん」

「はい」

「今日私、頑張ったよね?」

「はい。陽子さん、頑張りました。だって部長のミスをかぶって部長に謝罪までしたんですから」

「いやおかしいよねほんと。お前がしたミスをお前が指摘してお前が許すんかいっていう。何? この茶番」

「陽子さん頑張ったよ」

「じゃあ今日飲んでいい?」

「いいに決まってるじゃないですか、言わせないでください」

「一緒に行ってくれる?」

「言わせないでください」

「鈴川くんも行く?」

「行きます。僕も今日一日禁煙頑張ったんで」

「おい私の苦労と一日禁煙を一緒にすんなよ」

 

◻︎◻︎◻︎


 一日禁煙を頑張った同期の鈴川くんは、同日19時、本日一本目の煙草を吸っていた。ざわざわと騒がしい大衆居酒屋の一角で、その吸った煙は今まさに彼の鼻から噴出されている。


「か〜〜〜ッ! うめぇ〜〜〜」

「オッサンくさ……」

「おい同期」

「一日禁煙って何のためにしてたの?」

「いや単に忙しかっただけ」

「じゃあ鈴川くんも今日頑張ったね」

「カブさんいい人すぎん?」

「だって鈴川くんヤニカスなのに」

「そういう言葉どこで覚えたの! 深窓の令嬢が!」

「そうやって揶揄わないでよ。前鈴川くんが言ってたじゃない」

「俺か……ごめんな、なんか」

「陽子さん、遅いね」

「部長にあの件で話しかけられてたもんな」

「気付いたかな? 部長」

「いや、あの感じはクレームだろ」

「陽子さん頑張ってるよ……」

「それな」


 私が頭を抱えるのと同時に、いつもの元気のいい店員さんが「生でーす!」と二つの生ビールを持ってきた。どん、どん、と私たちの前に置かれたそれに、鈴川くんは迷いなく手をかける。


「陽子さん来てないのに」

「連絡もねーししばらく来ないって。場をあっためておくのも後輩の務めだろ」

「ええ〜でも〜」

「と言いつつジョッキ掴むカブさん、さすがだな」

「一日禁煙おめでとう!」

「ありがとう!」

「「かんぱーい!」」


 がちんっ ごくごくごく

 喉越しという言葉を、生ビールを飲めるようになってから知った私である。二人して喉を鳴らしてビールを流し、ああ、ここ! というタイミングでジョッキをテーブルにどん、と置いた。


「っか〜〜〜!」

「さいっこう……」

「カブさん年々オッサンっぽくなってるよね」

「皆さんのご指導の賜物です」

「え? 俺たちのせい?」


 そんな話をして笑っていたら、隣のテーブルに座っているグループが「ぎゃー! ははは!」「お前マジやめろよ!」と騒ぎ始めた。だいぶ出来上がっているグループだ。一人がびしゃびしゃになったおしぼりを隣の男に投げ、またその男がびしゃびしゃおしぼりを向かいの男へ投げる。ビールでも溢したのだろう。私たちのテーブルまで、たちまちビールの香りが漂ってきた。

 私と鈴川くんはそれを横目で見ている。にしても、危なっかしい。こっちに飛んできて被害を受けそうだ。


「あっ」


 あーあ。受けた。

 一人の男が取り損なったおしぼりは、びちゃん! と私の腕にぶつかった。その衝撃でおしぼりのビールは弾け飛び、顔にまで飛沫がかかる。今しがた気持ちよく飲んだビールと同じものなのに、どうしても嫌悪感しかなかった。最悪だ。くさい。めっちゃ濡れたし。


「カブさん」

「ごっめん、ねーちゃん!」

「だからやめろって言ったろー」

「マジごめーん、酔っ払っててさー」

「ごめんねー」

「ごめんねってアンタら、他にないの?」

「鈴川くん」


 やばい、意外と短気な鈴川くんがキレてしまう。

 慌てて鈴川くんの腕を掴もうとしたけど、鈴川くんはそれを慣れたように弾いた。鈴川くんに睨みつけられた男たちは「は? 謝ってんじゃん」と逆ギレをかましているけれど、どうせ酔っ払いだ。話が良い方向に展開するわけがない。


「それが謝ってる奴の態度かよ」

「お前が突っかかってくるからだろ!」

「じゃあアレか、俺らが彼女さん脱がせて拭きあげれば満足か?」

「は?」

「鈴川くん!」


 私の声なんて鈴川くんには届いていないみたいだった。私たちの穏やかでない空気が徐々に居酒屋全体へ伝播していく。他のお客さんたちが行く末を見守る中、若い女性の店員さんがバックヤードに戻って行った。男性の店員を呼びに行ったのだろう。

 早く、早くしてください。うちの鈴川くん、意外と短気だし意外と手が早いんです!


「ちゃんと謝れって言ってんだよ!」

「謝ったっつってんだよ、しつけーなぁ!」

「さっきのが? 謝り方も習ってこなかったとかお前らどんな教育受けてんだよ、アッタマ悪そうな顔してるけどさぁ!」

「あぁ!?」

「ざけんなよ!」

「……!」


 二人の男が鈴川くんに近づいていく。どうしよう、私の力じゃ、どうしようも。

 心臓が高鳴って息を呑んだ瞬間、スッと間を割って入ったのは見知らぬ男性だった。ふわっとした前髪をセンター分けにしている彼は、理知的な目をしている。値が張りそうなメガネは細い黒縁で、使い古したアウトドアブランドのTシャツとはどうにもアンバランスだった。そんな彼は、鈴川くんと輩たちの間に入ると「あの」と切り出す。背が高いから、みんなが彼を見上げた。


「ケンさんの声聞こえないんスよ」


 誰? ケンさん。


「公園近くにあるし、そこ行ってくださいよ。ケンさん来るの珍しいんだから」


 いや、だからケンさんって誰?

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