利害が一致したので契約結婚しようと思います
朝野毛布
1 計画
「再来週の土日、どちらかで見合いをする。相手は高遠グループの一人息子だ。上手くやれよ」
父にそう告げられた私は、手にしていたカップをソーサーに置いた。かちんと音が鳴る。その音が気に入らない父は、ジロリと私を見てまた視線を元に戻した。
「まぁ、お前には期待してないよ」
少し空気が揺らいだのは、きっと私の付き人である聡子の揺らぎだろう。私は構わなかった。期待してもらわなくて、一向に、何一つ、一切合切構わない。
「ありがとう、お父さん。当日楽しみにしてます」
嫌味を吐き、にっこり笑って席を立った。さっき飲んだ紅茶の香りがいやに鼻につく。ああ、そう、お見合いね。すっごく楽しそう。
◻︎◻︎◻︎
「当日、バックれるから」
「お嬢様、後生ですからやめてください……!」
自室に戻り、私が呟くと聡子はまさに顔面蒼白という様子で私を嗜めた。あの堅物親父が激昂するのは間違いない。それを想像すると、家の使用人たちは皆一様に聡子のような顔をするだろう。これもまた間違いがなかった。
「大丈夫、聡子は連れて行かないわ」
「私がついて行かずにどうするんですか。というか、そういう話ではありません。これ以上旦那様との溝が深まってもお嬢様のためになりませんよ、どうか今回は穏便に……」
「お見合いだって私のためにならないわよ。やっと仕事が楽しくなってきたのに。冗談じゃない」
「……そうですよね」
聡子は失言でしたと言うような顔で少し下を向いた。
父親が経営している製薬会社に勤めて早三年、最初はコネ入社だと揶揄され、表面上は崇められても裏では馬鹿にされる日々だった。それでも私はいち新入社員として労働し、それがここ最近やっと認められてきたのだ。もちろん未だに「お父さんによろしく」モードの人も寄ってくるが、幸いに私が働く部署では今や誰もが私をただの「鏑木瑛子」として扱ってくれている。
そういう紆余曲折を、聡子はよく分かっていた。だから私の言葉に優しい聡子はもうなにも言えないだろう。ズルい私で少し申し訳なくなった。
「急な仕事が入って〜ってやつよ。実際、仕事が立て込んでるから休日出勤くらい調整できるわ」
「でもお嬢様、旦那様のお顔に泥を塗ることにもなるんですよ」
「塗りたくってやるっての。いい加減私を制御できるなんて幻想捨ててほしいぐらいなんだから」
「まぁ、それはそうですよね。旦那様も懲りないというか」
「しつこい」
「愛でしょうか」
「ないでしょ」
「分かりませんよ」
「ないわ」
あの男に愛なんてない。
お母さんが死んでからというもの、父親と関わり合う機会はとんと減った。やっぱりというべきか、今まではお母さんが私と父親とをわざわざ引き合わせていたんだと思った。会っても特になにを話すわけでもない、笑うわけでもない。仕事の電話のために離席しては、戻ってきてお母さんの話に相槌を打つだけのつまらない父親だ。幼心に「どうしてお父さんと会わないといけないんだろう」と思った私を否定することなんてできない。だって今でさえ、ひとかけらもその理由を掴み切れていないのだ。
だというのに一丁前に父親面をして結婚相手まで決めようなんて、傲慢にも程がある。そうは問屋が下さないという話だろう。これまでも幾度となく反抗してきたけれど、今回を決定的にしてもいいくらいだ。捨てるなら捨ててみろ。それでも私は、ちゃんと生きていけるから。
「……でも、聡子に影響が出たらごめんなさいね」
「聡子はお嬢様の幸せが何よりですので」
「例えば私が勘当されて聡子がクビになっても?」
「ええ。実は私、パン屋さんとかで働いてみたかったんです」
「……」
「朝も得意ですし」
「……ふふ、そうね。きっと似合うわ」
肩まで伸ばした黒髪を、後ろで一つに結んだ聡子を想像する。近所のパン屋さんで働く彼女に違和感などない。想像の中でさえ、その笑顔は焼きたてのパンのように温かい柔らかさだった。
「だったら私はカフェかしら。ほら、近所のパン屋さんイートインがあるでしょう」
そう言うと、聡子はパァッと笑った。まるで少女のようなそれに、私の笑みはどんどん明るさを帯びた。ああ聡子、そうなってもきっと私たち、良い友人でいられるわ。
「そうしましょう!」
そういえば、あのカフェ、制服がとっても可愛いのよね。
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