第2話

 一気に目が醒めた落合は、すぐさまメッセージの送り主へと電話をかけた。

 軽快な音だけが汚部屋に虚しく響く。だが鼓膜を揺らすのは心臓の動悸だけだ。

 とにかく今は、早く出ろ、どうしてこうなったと不安と焦燥で脳を埋めることしかできなかった。


『もしもし』


「おい、タラオが死んだって、お前!」


『待て、オレも訳わかんなくて混乱してんだよ!』


 タラオとは田村則夫のあだ名だ。いつもタラちゃんのような髪型をしていることから、落合をはじめ友人は皆そう呼んでいた。


「なんか騒がしいけど、お前そこ」


『ああ、いま現場にいる。則夫のこと知ったのも少し前だし』


「え、マジ……だな、15分前」


『こっちでは野次馬と警察でごった返しになってる。そろそろ事情聴取されるかもだから、そうなったら切るわ』


「俺もそっちに行く。場所どこ!?」


『舟木だからやめとけ。そっち最寄りから4駅のとこだろ、今日のバイト間に合わねえぞ』


「げぇ、遅刻したら生活成り立たねえじゃん」


 すかさず携帯を机の上に置き、身なりと髪だけは整えようとする。


『オレも母さんから教えてもらって直行したんだ。井戸端ネットワークって凄えよな』


「言ってる場合かよ。ってことは殺されたのは深夜か?」


『らしい。6時前から規制線載っけてるツイートあったし』


「マジかぁ」


『……すみません、菅平雅之さんですよね。ちょっとお伺いしたいことがおるのですが』


『あーやっぱり来たか。すまん切るから夜またな!!』


「え、ちょっと」


 と、困惑のまま一方的に通話を切られてしまい、部屋に再び沈黙が訪れる。

 警官に職質されたのだろうなとは予想がいったが、それにしても未だ旧知の人間が突然襲われたことに現実味を覚えられずにいた。


「……朝飯、喉通るかなぁ」


 落合にも自分の生活がある。

 パックの白米を胃に流し込み、歯を磨いて顔を洗い、ゴミを踏まないように避けながらアパートを出て職場へと向かった。


〜〜〜〜〜〜


「キミ明日から来なくていいから」


「えっ」


 その日の夕暮れ、落合は帰り際に人生の終わりを告げられた。


「納得がいきません。不当解雇ですか」


「いや、ね。前から言ってたじゃん、このまま品出しとレジ打ちのミスが続くようなら解雇するって」


「だからって」


「だからって何? 今日だけで商品の段ボールを何個崩して、何回レジに応援を呼ばせた?」


「……そうでしたっけ」


 店長から詰められるが、落合にとっては心当たりがない。

 確かに普段からミスは多く、勤務態度も悪いと客や他のパートからの苦情もあった。

 彼も自覚はしていたし、改善しようともしていたが、今日だけは本当に集中できなかったのだ。


「ともかく、こっちとしては何度も業務改善命令はしてきたし。それに他のパートさんと連携できないみたいだから」


「……っす」


「次の職場では上手くやってよね。まだ若いんだから」


 若いだけしか取り柄のない男は、ただ目の前の老婆にため息を返すことしかできなかった。


〜〜〜〜〜〜


「あーっ、クソが。最低賃金でレジも自動化されてないスーパーなんざこっちから願い下げだっての」


 空が茜色から濃紺へと変わろうとする中、独り愚痴を呟きながら駅へと足を速めていた。

 缶ビールも買えない。タバコだって吸えない。

 そのくせ彼女も金もない20代後半に差し掛かろうとしている男のストレス発散法といえば、帰って無料サイトを肴に自慰行為をすることくらいしかなかった。


「あ、やべ。あのスーパーの職割もう使えないじゃん」


 そのおかげで何とか3ヶ月は食いっぱぐれなくて済んでいたのに。今日だけで何度過ちを犯したことか。

 そう考えるのも億劫になったため、無理やり頭のスイッチを切り替えようとする。


「……はぁ〜あ、またバイト探さないとな。職歴って重曹で綺麗になんないもんかね」


 高校を出てからこれで8件目。

 クビ、転職、その他諸々。短期離職が続いた落合を雇う余裕のある職場は、みるみるうちに減っていた。


「いちおうあと2週間は持つか……いやスガに競馬の予想ガチで教えてもらうか?」


 ともかく、いまの問題は金不足。

 金さえあればギリ健でも働かずに済む。

 どうにかして収入を得なければと結論付けて駅に到着したとき。


「コイツら捕まえて一攫千金もアリ……え?」


 目に入った指名手配のポスターが、脳細胞をフル覚醒させる。


「連続殺人、鈴木太郎(25)……って」


 その名前と、幼い頃から変わらない顔。

 中学の頃、クラスメイト全員から疎まれていた虐められっ子が、今や全国中のお尋ね者になっており。


「懸賞金、1000、まん、えん……っ?」


 目眩。憤怒と当惑。

 数年も死んでいた巨大な感情が蘇る感覚に、無職となった男は自然と喜悦の形相を浮かべていた。

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