第8話 いたたまれなくて
「幸村さん、先帰って待ってるから」
映画館デートをした次の週の金曜日。仕事の後、先輩の家で映画鑑賞することになっている。
「はいっ。すみません、私、もう少しかかると思います」
「いいよ。準備しとくからゆっくり終わらせておいで」
「わかりました。お疲れ様です」
私はまだ先輩に任された入力作業が終わっていない。と言っても今は定時ちょうどだ。先輩はいつも以上に手際よく仕事をこなしていた。
先輩、楽しみにしてくれてるのかな。
先輩が帰ってから一時間程で仕事を終わらせると、いつもよりも大きな鞄を持って会社を出る。
泊まりの約束をしている訳でもないが、仕事をした服のまま先輩の家で過ごすのはどうなのだろうと思い一応服の着替えを準備していた。
途中でお酒とおつまみを買い、ドキドキしながら先輩の部屋のインターホンを押す。
「はい」
玄関のドアを開けて出迎えてくれた先輩は、Tシャツにスウェットパンツを着て髪は無造作に乾かされた後のように見える。
やっぱり、帰るとすぐお風呂に入るんだ。
「幸村さん、これスリッパ」
「あ、はい。ありがとうございます。あの、これお酒とおつまみ買ってきました。映画見ながら飲むかな、と」
「わざわざ買ってきてくれたんだ。ありがとう」
「いえ。お邪魔します」
買ってきた袋を先輩に渡すと足元に置かれたスリッパを履いて部屋に上がった。物も少なく綺麗で、整頓された部屋は想像通りの雰囲気だ。
「幸村さん、お風呂……入る?」
少し遠慮気味に先輩が聞いてくる。
「えっと……は、い」
疑問系で聞かれてはいるもののきっと先輩は入って欲しいのだろうと察し小さく返事をした。
「荷物ここに置いて。着替え、いるよね?」
「いえ、着替えは持ってきました」
ラックに鞄を置き、着替えの服を取り出したが
「準備いいね」
先輩の言葉に、泊まる気満々だったようで恥ずかしくなり急いで案内された浴室へ向かった。
何となく予想はしてたけど、来て早々お風呂に入ることになるとは……
そして予想通り水垢一つない綺麗なお風呂場に緊張しながらシャワーを浴びた。
お風呂から出ると先輩はフローリングシートで床を拭いている。どこも汚れてはいないように思えたが、シートには長い髪の毛が付いるのが見えた。
私の、髪……?
「幸村さん、お風呂早かったね」
「あ、はい。ありがとうございました」
先輩はフローリングシートを片付けるとキッチンに行き手を洗いながら
「ご飯まだだよね? 昨日からビーフシチュー煮込んであるんだ」
いつもより少し緩んだ顔をして言った。
「ビーフシチューですか! 嬉しいです」
先輩も今日を楽しみにしてくれていたのだと思い、私も嬉しくなった。
----------
「とっても美味しいです!」
「良かった」
先輩の作ったビーフシチューは本当に美味しい。にこにこしながら食べていたが、楽しく食べている途中でシチューが服に跳ねた。
「あっ」
「あ」
「えっと、すみません……」
「はい。とりあえずティッシュ」
先輩にティッシュを渡されトントンと叩き拭いたが豆粒程のシミは消えない。
「着替え、貸そうか?」
普段、家で居る時はこれくらいのシミなんて気にしない。それに先輩の服を借りて汚してしまうといけないと思い、遠慮しておくことにした。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「そう?」
----------
「ごちそうさまでした」
食べ終えた後、キッチンへ食器を持って行った先輩の隣へ行き食器を洗おうとしたが
「予洗いして食洗機に入れるから大丈夫だよ。ソファー座ってて」
あっさりと断わられた。
そしてふと、シンクの横に目をやると敷かれたタオルの上に買ってきたお酒とおつまみが並べてあるのに気が付く。
洗ったの、かな……
なんだか汚い物を持って来てしまったような感覚になり、そのままリビングへ戻りソファーに腰掛けた。私はシミができた胸元を隠すように膝を抱えると顔をうずめるように座る。
私、この後どうやって先輩の部屋で過ごすの? 映画見てたら終電なくなるし、泊まるの?髪の毛抜けない?汗かかない?このシミが付いた服で寝る?よだれ垂らしたりしない?あっお風呂の排水口、髪の毛取ってない……
考えれば考えるほどんどん怖くなり次第に涙も滲んでくる。
「っ先輩、すみません。私やっぱり帰ります」
ラックに置いてあった鞄を取ると先輩の顔を見ることなく部屋を飛び出す。
「えっ! 幸村さんっ!」
先輩がキッチンから呼ぶ声がしたけれど追いかけて来ることはなかった。
----------
「で、先輩の連絡ずっと無視してるの?」
次の日、私の部屋に咲子が来ていた。
「一応、メッセージで急に帰ったこと謝った……」
「でも、電話は一回もでてないんでしょ?」
昨日、先輩の部屋を飛び出してから何度も電話がかってきたが出ることはできていない。
「なんであんなことしたんだろう……」
「芽衣はさ、思ってること全然言わないじゃん。もっとちゃんと先輩と話した方がいいよ。なんで急に帰ったか絶対気にしてると思うけど」
「そうなんだけど、先輩の部屋に居たらなんか自分が不潔? な気がしてきていたたまれなくなって……」
「だから、それを先輩に言ったらいいでしょ?」
「ええ……」
「じゃあ、私今から凌とデートだから」
咲子はひらひらと手を振ると部屋を出ていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます