初物食いの未来(さき)失い

藤ともみ

初物食いの未来失い

 1990年代が後半に入ってからも、日本の景気は右肩上がりで留まるところを知らない。もともと大手企業だったうちの会社も、どんどん業績を伸ばしている。

 そんな我が社の社員との結婚を狙って入社する、腰掛け女子社員は少なくない。特に、顔が良くて将来有望なエリートとくれば、もう引っ張りだこだ。

「水谷さ~ん!お弁当作ってきたので良かったらどうぞ!」

「あたしはクッキー焼いてみたんです、食べてください~!」

 営業一課の若手社員、水谷くんが、今日も女子社員たちに囲まれている。水谷くんは困ったような笑みを浮かべて「すみません、今日は取引先との会食の予定で……」と彼女たちの誘いをやんわり断ろうとして、なかなか離してもらえないようだ。

「あなたたち、水谷くんだって仕事なんだからやめなさい。昼休みだからって浮かれすぎよ」

 私がたしなめると、若い女子社員たちはキッと私を睨み付けてから、水谷くんに「ごめんなさい、邪魔するつもりじゃなかったの~」と猫なで声で言って去っていく。彼の手前、文句が言えないぶん、このあと給湯室では私の悪口大会が開かれるにちがいない。お局のオバサンがウザいだの、ブスの癖に偉そうにしててムカつくだの、そんなところだろう。

「ありがとうございます、諸田もろたさん」

「あなたもはっきり断らないから悪いのよ」

「ははは、すみません気をつけます」

 正直、後輩の水谷くんのことも私は好きになれない。この甘いルックスですべての女が自分の思い通りになると思っていそうなところが癪にさわるのだ。

 彼にすら媚を売らない私を、みんなは、仕事が恋人の鉄の女だと思っている。

 会社の上司たちは、誰かいい人はいないのかと暗に寿退社をほのめかしてくるし、実家の両親も、田舎に帰ってお見合いしろとうるさい。世間的に、私はそういう年齢なのだ。

 でも、私は恋愛が嫌いなわけじゃない。

 今の私が好きなのは……

 

 仕事を終えた私は、駅に向かって走った。

 今日は金曜日。定時で帰りたかったのに上司に残業を押し付けられて、彼との約束の時間に遅れてしまった。

 駅前には、髪を茶色や金に染めて制服をだらしなく着崩した女子高校生たち……世間ではコギャルと囃し立てられている連中が、猿みたいに手を叩きながらペチャクチャしゃべって座り込んでいる。私は眉をひそめた。こんな連中が集まる駅前を待ち合わせ場所にするべきじゃなかったかもしれない。急いで彼の姿を探す。

 待ち合わせの目印にしていた犬の銅像の前に、人影を見つけた。紺色のダッフルコートを着て黒いランドセルを背負った彼が、姿勢よく立っている。私は大声で彼を呼びながら手を振った。

「りっくん! 待たせちゃってごめんね!」

 私が駆け寄ると、りっくん……理一郎くんは、花のように愛らしい笑顔を見せてくれた。

今日子きょうこさん! ううん、ぜんぜん待っていないですよ!」

 そう言うけれど、頬が林檎のように真っ赤で、この寒い中私を待っていたことがよくわかる。なんて健気なの……。

 彼の手を見ると、手袋をしておらず、しもやけで真っ赤になっている。私はりっくんの手をぎゅっと握った。

「お腹すいたよね、何が食べたい?」

「じゃあ……ラーメンが食べたいです」

「ラーメンなんかでいいの? 遠慮しなくていいのに」

「ううん、普段なかなか食べられないから、ぜひ食べたいんです」

 ご両親の教育が厳しいのだろうか。確かに、上品な美少年のりっくんに、ラーメンはアンバランスな気がした。

「わかった、とびっきり美味しいラーメン屋さん知ってるから、お姉さんと一緒に行きましょ」

「ありがとう今日子さん! 大好きです!」

 あーーーーかわいいーーーーーやっぱり男は美少年に限るわ……大人の男たちと違って、純粋で、大人の私に従順なところが最高すぎる。

 りっくんは小学4年生で、通勤バスの中で出会った。あまりにもかわいい男の子だから、私から声をかけてしまったのだ。彼は中学受験のために、毎日夜まで塾で一生懸命勉強しているらしい。今時の小学生って大変なのね。子どもにあんまり負担をかけるのはどうかと思うけれど、彼が夜まで塾で勉強していなかったら、私は彼と出会うことはなかったわけで。巡り合わせには感謝している。

 行きつけのラーメン屋に入り、私は野菜塩レモンラーメンを2つ注文した。透き通ったあっさりとしたスープに、チャーシュー無しのヘルシーなラーメンだ。これならりっんくんにもふさわしい。彼は一瞬目を丸くしてから、いただきますと挨拶して、おずおずと麺を啜り始めた。ふふ、緊張してるのかしら、かわいい。

 ……こんなに可愛い子でも、中学生になると、男は一気に臭くなるから駄目だ。

 この美少年をこのまま自分のものにできたらどんなにいいだろう。愛らしいこの顔にやがて髭が生え、私を追い越す背丈になって、透き通った美しい声が、低い大人の声になるのかと考えるだけでゾッとする。

 店内の冷水機でコップに水を入れ、私はりっくんに渡す方の水に、持ってきた薬を溶かした。

「りっくん、喉が乾くでしょう?はい、お水よ」

「ありがとうございます」

 彼は疑いもせずにゴクゴクと水を飲み干した。

 よし、ここまでうまくいけばこっちのものだ。

 私たちは他愛のない世間話をしながら、仲良くラーメンを口に運んだ。

「……ごちそうさまでした、連れてきてくれてありがとうございました」

 礼儀正しいりっくんは、ラーメン屋から出ると私にちゃんとお礼を言った。 

「いいのよ。ところで……りっくん、今日はお家にご両親が帰ってこないって言ってたわよね?」

「はい、だから今日子さんと一緒にごはんが食べたかったんです」

「ねぇ、りっくん……おうちに帰ってもひとりで寂しいでしょう? これから今日子お姉さんと、じっくり二人きりでお話しできるところにお泊りしに行きましょう」

「えっ、でも……」

 言いかけたりっくんが、眠そうに目をこすり始めた。そしてそのまま、気を喪ってふらりと倒れてしまうのを、私は抱きかかえた。

 自宅は会社から近いので駄目だ。今日のために目をつけていたラブホテルがあるので、電車に乗って向かう。

 夜に大の男が少女を連れて歩いていたら不審に思われるだろうが、私が少年を抱っこして連れ歩いても怪しまれる事は殆どない。

 それでも、人にあまり見られないよう注意しながら路地裏を通り、私はりっくんを抱きかかえたまま、フロントで鍵をもらって中へと入った。

 ああ、私ったらこんないたいけな美少年をラブホテルに連れ込むなんて……いけないことだと思えば思うほど。私は興奮して胸がドキドキしてしまう。早く彼のうるうるの口唇としなやかな肢体と純潔を私のものにしてしまいたかった。

 ベッドに横たわったりっくんは、童話に出てくるお姫様のように可愛らしい。でも王子様が眠っている話ってあんまり聞いたことがないわね。かわいい男の子をお姫様が起こすお話があったって良いのに。……まぁ私は起こさないんだけど。

 今の私は、お姫様というよりも悪い魔女の気分だ。興奮で高鳴る心臓の音を感じながら、震える手で彼のシャツのボタンを外していく。現れたお腹がとても綺麗で、たまらずその白いお腹に口付けた。

「ああ、ほんとにかわいい、ほんとに綺麗……綺麗なそのままで、ずっといさせてあげるからね」

 鞄の中にしまっておいた道具を取り出そうとした、その時。

「おはようございます今日子さん」

 はっきりと声をかけられて私は跳び上がった。

 りっくんが、横たわったまま私を見てにっこり笑っている。

 なんで? 朝まで何をしても起きないはずだったのに???

「ど、どうして起きてるの」

「はは、イヤだなあ今日子さん。ひとりで楽しもうなんてずるいじゃないですか」

 いきなり、りっくんがぐいと私の腕を引っ張った。

「きゃっ!」

子供とは思えない強い力で、私は彼の上に倒れ込んでしまう。彼の整った顔が目の前に迫った。

「それじゃあ早速いただきます」

 りっくんが私の頬を両手で挟み、私に口づけて舌をねじこんできた。

 とても甘美で気持ちよくてうっとりしていたら、突然激痛が走り、口いっぱいに鉄の味が広がった。

 りっくんが私から唇を離す。彼は、大きく口をあけて、赤い舌を出して笑った。……彼の舌の上に、何かたらこのようなものが乗っている。

「あえ…………???」

 あ  うそ  舌  わたしの ち ぎ  れ  

 え?


※ ※ ※

「あ、テツオさんお疲れ様です」

 ラブホテル清掃の仕事を終えて外に出て、声のしたほうを振り向けば、見知らぬガキが俺を見てニコニコ笑っている。

「ガキがこんな朝っぱらからラブホの裏口にいるんじゃねえよ。とっとと帰りな」

「イヤだなあ、わからないんですか? 僕ですよ、水谷理一郎です」

「誰だそりゃ」

「もう! この前教えたじゃないですか! 僕の名前ですよ!」

「あぁ……」

 言われてガキの顔を見れば、普段は二十五歳くらいのサラリーマンの姿で馴染みのある、あいつの顔の面影があった。水谷理一郎、そんな名前を聞いたことがあるような無いような。

 こいつはその気になれば女の姿になれることも俺は知っている。ガキの姿になることも、簡単なのかもしれない。

「今日はなんでガキになってんだよ」

「この姿が興奮するって女の人がいたんですよ」

「あっ、そう……」

 何も言うまい。俺に客の性癖をどうこう言う権利はないのだ。どんな善人だろうと悪人だろうと変態だろうと、人喰いの怪異であるこいつに誑かされた被害者には変わりない。

 俺が部屋を掃除したときの様子から見るに、その女の骨のキワまでしゃぶり尽くしたはずなのに、水谷は物足りなさそうに腹を撫でる。

「今日の女性、ちょっと肉が足りなかったからもう少し何か食べたいなぁ。朝ごはん食べに行きましょうよ」

「嫌だよ、俺が朝っぱらからガキ連れてたら目立つだろうが」

「親子ってことでひとつ……」

「無理だろ」

 いかにも良いとこの坊っちゃん、といった風の水谷の姿に対し、俺はよれたスウェットにジャンパーだ。どう見たって親類には見えない。下手すりゃ誘拐犯だと思われるだろう。実際は俺のほうがコイツに無理やり連れ回されてる被害者なんだが。

「僕ラーメン食べたいなぁ。脂たっぷりで、こってりして、チャーシューいっぱい乗ってるやつが良いです。にんにくもドバドバ入れたいですね」

「朝からラーメン屋やってるわけねーだろ」

「ええっ、今流行りの二十四時間営業じゃないんですか!」

「いや、朝からラーメン食いたがるやつがいねえんだよ普通」

「えー僕ふだん営業でにおい強いもの食べられないから休みの日くらい思いっきり食べたいのに」

「臭いが気になるなら、なんで人の肉は食っても良いんだよ。てめえの都合なんか知るか、カップ麺でも食ってろ」

「じゃあ作り方教えてください」

「自分でカップ麺の説明見て作れ」

「まだ人間の字に慣れてないんですもん」

「大企業で営業マンやってるお前が読めねえわけ無えだろうが……言っとくけどお前がガキになってるからって俺は甘やかさねえからな」



※ ※ ※

 年が明けてしばらくして。出勤前に何気なくテレビをつけてみたら、「行方不明の女性宅から、少年の剥製見つかる」というとんでもないテロップが画面に映っていた。

「先月、行方不明になった女性会社員、諸田今日子、三十二歳の自宅から、大量の児童ポルノと、少年の剥製が見つかりました。また、失踪直前の夜に少年を抱きかかえて○○坂を歩いていたという目撃情報があり、警察は諸田と少年の行方を追っています」

「オイオイ職場の近くじゃねえかよ……」 

 ガキを剥製にするやべえ女に遭遇したくねぇ。この女も水谷と同じ怪異なんじゃないか。うちのホテルに泊まりに来てガキの剥製作り始めたりしねえだろうな……

「……まあ、俺には関係ないことだけどな」

 部屋にガキの剥製があったらと思うとゾッとしない話だが、たとえそうであっても俺は淡々と清掃の仕事をするしか無いのだ。そうでなければ、生きていけない。

 俺はテレビを消して、服を着込んでカイロをポケットに入れると、仕事場へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

初物食いの未来(さき)失い 藤ともみ @fuji_T0m0m1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る