54.合流の先で

 シリスの目は薄暗がりに慣れていた。だからこそ、視界の端に消えようとしていた僅かな灯りの反射に気付けたのだろう。


「なに、これ?」


 悠長にしている場合ではないとは理解していながら、明らかな違和感を持つ煌めきについ足を止め、シリスはそれに手を伸ばした。


「ブローチ……?違う、ペンダントかな?」


 手のひらほどのやや大きい楕円型。金属だと思ったが、ひっくり返すと周囲と同じ色の石が埋め込まれている。

 意匠の施された金属台座に、浮遊石。明らかにアクセサリーのたぐいだが、金具が通っていたと思わしき穴は破損し、チェーンや紐は無くなってしまっている。

 ふと、指先に引っ掛かりを覚えて軽く押してみると金属の外れる音がした。


「あ───」


 貝のように開いた中に、どこにでもいる幸せそうな家族の写真。

 シリスの手の中で、今よりも幼いアーリィと彼女に似た男女が幸せそうに笑っている。


 考えるまでもなかった。

 ここに、この場所に、アーリィの写真が落とされていたというのはつまり、この落とし物が彼女の父親のものである事に他ならない。


 ヴィクター・エリィ。


 儀式用の鏡を破壊して逃亡したという彼が、この道を通ったのだ。


 辺りを見回しても、当たり前だが人影など見当たらない。ここに来るまで誰かとすれ違うこともなく、ヒトの痕跡が残っているような事はなかった。

 そもそも彼が行方不明となったのは1年も前の話である、未だこの場に留まり続けていることなんてないだろう。


 シリスは写真の表面を軽く撫でる。大して古くもないだろうに褪せた色は、持ち主がどれだけ陽の元でそれを眺めたことがあるのかを窺わせた。

 そんな大切なものを、捨て置くだろうか?そもそも、金具が壊れた原因だってあるはずだ。

 あまり根拠のない憶測を立てたくはないが、シリスの脳裏には2つの可能性が浮かんでいる。


 即ち、ヴィクターが逃げた時に金具が壊れ落とした可能性。拾っていないということは、鏡像に襲われて拾う余裕がなかったのかもしれない。

 もしくはここで───。


「……やめよ、考えてすぐ分かることじゃないし」


 シリスの中で、ヴィクターが鏡像と関係していることはもはや疑いようのない話になった。だが、今はそれを裏付ける時間も方法もない。






 奥歯を噛み締め、ロケットの蓋を閉めた彼女の耳に乾いた破裂音が届いた。






「クロの銃……!」


 音の根源は近い。鏡像の咆哮と合わせると、間違いなく戦いの火蓋は切って落とされている。


 シリスは急ぎロケットを服の中にしまい、音の元へ駆け出した。

 アーリィへ渡すのは後でもできる。むしろ、彼女のメンタルへの影響を考えれば落ち着いてからの方が良いのかもしれない。今はそれよりも敵に直面しているだろう友人の方が優先だ。



 都合よく道の分岐はない。行手を阻むトラップもない。

 迷うことなく足を進め、はじめに飛び込んできたのは暗がりに慣れた瞳を眩ませる蒼。


「眩し……っ」


 明るさに慣れた視界に次に飛び込んできたのは、青白い光に照らされる広い空間。遠巻きには黒くひしめく塊たち。光を反射する見覚えのある鏡と、その前に立つ友人たち。


 そして、ディランの掲げた黒いモノ。



「───う、わ」


 再会を認識して噛み締めるよりも先に、えも言われぬ不快感がシリスの背筋を走った。


 気持ちが悪い。

 なぜだかわからないが、を鏡に近付けてはいけない。

 そんな漠然とした感覚。ただ、強すぎるその感覚はシリスを突き動かすには十分だった。


「クロ、ディク!止めて!!」


 飛び降りながらシリスは叫んだ。重力に従うだけではきっと間に合わない。

 彼女の意図に正しく応えたクロスタがディランを撃ち、そのから黒いモノを零させる。

 ディクシアの結界魔術の兆しも見えたが、そちらも声に気付いたのだろう。一瞬にして構築されかけていた術は解ける。結界に弾かれることもなく、シリスは無事に彼らの元へと着地した。


 クロスタを焚き付けた声がシリスのものだと気付いたディランが、取り零したものを抱えるように膝をつきながら険しい目を彼女へと向ける。


「何をするんですか!」

「ごめんなさい、ちょっと確認したくって」


 ちらり、と抱える羽から覗くモノは水晶にも似ている。ただその色は黒く、一見するだけではそれが何なのかの判断はつかない。

 急に撃たれたのだからディランの怒りも当たり前だと思える。だが、彼の反応は急に攻撃を受けたというよりも、行動を邪魔されたことへの怒りの方が強く感じられた。その証拠に、視線には驚きではなく憎々しさが宿っている。


「なんだか凄くイヤな感じがするんです───教えてください。"それ"、儀式に必要なものなんですか?」

「……どういうことでしょうか」

「言葉の通りです。奉納の儀レンダに必要なのって、新しい鏡じゃないんですか?」


 シリスの問いかけにディランは吊り上げていた目を僅かに伏せ、深く長い溜息を吐いた。瞳が隠されれば、そこに見えていた憎しみの色は鳴りを潜める。


「勿論それも必要ですが、力の解放のために"これ"も必要なのですよ」

「本当ですか?」

「何を疑ってらっしゃるのか分かりません。それより、悠長にしていると鏡像がまた来ますよ」


 言われて、シリスは周囲へ素早く視線を走らせた。遠巻きに見えていた鏡像は先ほどよりも距離を詰めている。鏡には波紋が広がり、やがて一体のモヤ型が生まれ落ち、それは地面に落ちると共にクロスタの放った銃弾で散った。

 ディクシアは無言でシリスの次なる言葉を待っている。このタイミングで結界を張るべきか、考えあぐねているようだ。


 確かに呑気にしている暇はない。しかしディランにこのまま任せてはいけないと、シリスの中の何かが警鐘を鳴らしている。何故なら、彼が持つに強烈な既視感があったのだ。




 大きさも形も違う。しかし、リンデンベルグの地下にあった黒い石板にも似た───。





「守ってくださると言ったのに、まさか矛先を向けられるとは思っていませんでした。……その事については、のちほどお話しさせていただきます。次はやめてくださいね」

「待っ……!」


 どうするべきか。

 ディランの言い分は正しい。飛び込んだはいいものの、勘という漠然としたもの以外に確たる指摘をシリスは持っていないのだ。

 彼は立ち上がり、大事そうに抱えた黒い玉を再び掲げようとした。




「そんな話、聞いた事ないんだけど?」




 ───それは今までの彼女の声の中で、最も頼もしく聞こえた。


 鼻にかかったような高く甘やかな声。

 語尾の間延びは控えられているが、小馬鹿にしたような色は健在だ。


 落とされた声にその場の誰もが上を向けば、たった今シリスが出てきた浮遊石横の抜け穴からレッセが飛び降りたところだった。焦った様子のアーリィが、その後を追って飛び出してくる。


「シリス、ごめんなさい……!引き留めたんだけど、守護者様がどうしても行くって進んじゃって……」

「当たり前じゃない。偉っそーなこと言われたまま引っ込めとか何様のつもりなワケ?反撃されたからってビビって黙ってるとでも思ってんの?───ディクシアくん、もう良いから結界張ってぇ」


 反論を受けた直後は戦意を喪失したように見えたが、どうもそれは一瞬のことだったようだ。シリスを映すレッセの目は完全に据わっている。

 だがディクシアが素直に魔術を発動させると、彼女はすぐにシリスから目を逸らし困惑するディランに向かって指を差す。


「で、なんだっけ?今からの儀式にその黒いヤツが必要って話だっけ。そんなの聞いたことないんだけどぉ」

「……守護者様は奉納の儀レンダに参加されたことはないでしょう?祭司にはこれを使って溜まった力を解放するという役割が……」

「あのさぁ、私のこと馬鹿にしてる?この儀式には参加してないけど、長年この世界担当してる私が手順すら知らないって思ってるワケ?」


 レッセが一歩踏み出す。ディランが一歩、後退った。


「任されたからには、必要ない知識だとしても一応教えられるに決まってるじゃない。必要なのは"力をコントロールする技術"って話でしょお?」


 さらにもう一歩。

 ディランの背が、ディクシアの発動した結界魔術に当たった。


「エーテル操作に近いものって話だったわよ。カラダひとつでやれるってねぇ。……で、ソレ何なワケ?」

「……ボクはコントロールが苦手なので、これを使って補助を……」

「はぁ?アナタ仮にも副祭司でしょ?碌に役割もこなせない奴を名指ししたって事ぉ?」


 もはや逃げ場を無くしたディランの胸倉を掴み上げ、レッセがその顔を至近距離から覗き込んだ。


「私、今すっごく虫の居所悪いんだけどぉ。さっさと何企んでたかゲロってくれない?」


 沈黙。

 聞こえるのは、徐々に近付く鏡像たちの嗤う声だけ。


「……なに笑ってんのぉ」



 否。

 


「ふ……くく、ははは。別にいいか、どうせ貴女は気に入らなかったんだ」


 黒い不協和音の中に混じる、唯一の白い笑い声。

 レッセに胸倉を掴まれながらも、逃げられない端まで追い詰められながらも、ディランは確かに笑っていたのだ。歪んだ笑みを浮かべながらモゴモゴと口が動いているが、何を言っているのかは定かではない。


「はぁ?何ワケのわからないこと───を」



 そして、レッセの言葉は不自然に途切れる。


「余計な事も言わずに見ていれば良かったのに……は、ははは。あははは」


 穴の空いた制服の背中から、じわり、と溢れ出す赤が白を侵食した。

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