すべてがユーになる

権俵権助(ごんだわら ごんすけ)

すべてがユーになる

 考古学者のジョージは迷っていた。


 幾本もの太い柱に天井を支えられた地下の円形広場。中心には女神像が立っており、広場からは等間隔に五つの方角へ通路が伸びていた。はぐれてしまった調査助手のリサは、果たしてどれかの通路の先にいるのだろうか。ジョージは背負ったリュックから古文書の写しを取り出し、そこに描かれたスケッチと周囲の風景とを見比べた。かつて存在した「伊太利亜」なる国をモデルにしたとされる建築様式に、水瓶を肩に乗せた女神像……。


「伝承が正しければ、ここは恐らく『ディアモール』と呼ばれるエリアだ」


 古文書によると、女神像の水瓶に活けられた植物の葉の一枚一枚に通路の行き先が書かれているはずだったが、肝心の文字は経年劣化でかすれて読めなくなっていた。


「くそ、一体何を頼りに進めばいいんだ……」


 隊長はカンがいいから迷いませんよ、なんてリサはあっけらかんと笑っていたが、多少ヤマカンが当たる程度で攻略できるほどこの地下迷宮は甘くない。


 数百年前に起きた世界大戦によって地上の空気は汚染された。かろうじて生き残ったわずかな人類はまだ空気の清浄な高地に移り住んで難を逃れたが、汚染は徐々に山をも蝕み、ついに近い将来、地上全土が人の住めない土地になるとの予測が出た。そこで新たな移住先として彼らが一縷の望みを託したのが、かつて栄華を極めたと古文書に記された巨大地下都市の伝説であった。そこには美しい泉が湧いており、その水源は清く澄んだ世界にあるという。そんな大昔のお伽話なんて、と初めは誰もが信じなかったが、ジョージの考古学者チームが地下都市への入口を発見したことで風向きが変わった。すぐに調査隊が結成され、三度に渡って泉の探索が決行されたが──結果、一人も戻ってこなかった。その地下都市はあまりにも広大で、あまりにも複雑だった。四度目に手を挙げたのはジョージだった。彼は無謀な挑戦を繰り返すよりも、多くの古文書を解読し、地下都市の造りに精通した少数精鋭で探索すべきだと主張し、助手のリサだけを連れて乗り込んだのだった。


 ──だが、それは奢りだった。彼が解読したのはこの巨大な地下迷宮のほんの一部に過ぎなかったのだ。迷い始めて早や三日。気付けばリサともはぐれ、帰り道も方角もわからない。リュックに入った食料の残りも心許ない。このままジッとしていると黒い不安が心に広がり、侵食を始めそうだ。


「……なるようになれ、だ」


 彼は考古学者としての敗北を認め、五分の一の正解に賭けて目の前の通路を選んで歩き始めた。小脇に抱えられた古文書の表紙には、言い伝えられるこの地下迷宮の名が記されてた。


 ──ウメダ地下ダンジョンと。


※ ※ ※


 この通路は一体いつまで続くのか。不安はその長さだけによるものではない。時折、なぜか坂を上がったり下ったりして、今地下何階にいるのかわからなくなるのだ。まさか、気付かないうちに汚染された地上に出ているなんてことは……。ジョージは恐怖心を拭い去るように首を横に振り、決心を揺るがさぬよう無心で歩みを進めた。


「ここは……」


 通路の突き当りは左右への分かれ道になっていた。どちらも道幅がやたらに広く、通路と言っても車道二車線ぶんはありそうだった。右へ目をやる。ずっと奥まで続いていて先が見えない。一方、左はその先でさらに道が分かれている。ふと、天井から何か文字の書かれた看板が下がっているのに気が付いた。ジョージは古文書を取り出して解読を始めた。どうやら案内板のようだ。


「右は……エキビルか。聞いたことがある。たしか一度迷い込んが最後、決して出られぬ死の迷宮……」


 悪寒が背中に走る。絶対に近づかないでおこうと誓い、解読を続ける。


「左は……イズミノヒロバ? 泉のことか?」


 これが探し求める泉であるとするならば、ジョージは五分の一の賭けに勝ったことになる。だが左の通路はその先でさらに三叉路に分かれており、さらにその先も……。果てしなく続く分岐は、決して運だけでは通さないという設計者の底意地の悪さを感じさせた。だからと言って、ジョージが頼れるものは運以外にはない。当てずっぽうで何度も道を選んでいく。


※ ※ ※


「…………」


 四度目の分岐点。既に正解ルートから外れている可能性は高い。薄々それに気付きながら歩き続けるのは体力を余分に消耗させた。重い足取りにつられて視線も下がる。狭くなった視界の端で何かが動いた。


(……リサ!?)


 視線を戻す。……違う。のそりと黒い影が動いた。反射的にわかれた通路の壁に身を隠す。影がこちらに近付くにつれて、その姿が徐々に浮かびあがってきた。


(人間か……?)


 この地下に住む原住民だろうか。年齢不詳。男か女か、どちらにも見える。身を包む衣服は黄色と黒の縦縞模様で、本能的に危険を感じさせた。


「ワレコライチビトタライテマウド……」


 古文書には載っていない現地の言葉を呟きながら、ジョージに気付かず横を素通りしていく。目の焦点が定まっていない。おそらく思考はせず、本能だけで動いているのだろう。ジョージはホッと胸をなでおろした。……ふと、遠くからかすかに音が聞こえてくるのに気が付いた。


(……歌?)


 静寂に包まれた地下迷宮にかすかにメロディが響いている。ジョージはフラフラと音に吸い寄せられていった。まるで人食い人魚の歌声に誘われる旅人のように。だんだん音がはっきりと浮かび上がり、歌詞も明瞭になってくる。


(この歌、どこかで……)


 違和感。メロディはたしかに聞き覚えがある。それは間違いない。だが、ところどころ歌詞が違う。一体、原曲はどこで聞いたのか。記憶の奥底をかき回して探り出す。


……ンナガアツマ……メダニハ…… オキナミセガ…… イモソロッテ…… ンナノヨ……


(ヨ……)


 一瞬、頭に浮かんだ答えを逃さず掴む。


「ヨド・バシカメラ!」


 別の地域の伝承に歌われる、人類叡智が結集する神殿ヨド・バシカメラを歌った民謡だと思い出した。歌詞は違えどメロディは正にそれだった。歌は通路の突き当りに開かれた神殿への入口から流れだしていた。


「滅亡した地上の巨大都市・シンジュクにかつて存在したというヨド・バシ……。まさか、ここにもあったとは……」


 恐る恐る侵入すると、壁に内部の地図が描かれていた。本殿は地下二階、地上五階からなり、隣接するリン・クスなる増築エリアを加えると総面積35,600㎡にもなる巨大神殿。この広さは、これまでに知られていたシンジュクやアキバのヨド・バシとは比較にならないものである。果たしてこんなところに足を踏み入れて無事に出てくることはできるのだろうか……そこまで考えて、ジョージはまた絡みつく不安を振りほどくように首を振った。


「ええい、どうせもう迷ってるんだ」


 覚悟を決めて進む。この先に目指す泉があるかもしれないのだ。探索しないわけには行かない。


「伝承によれば、泉があるのは地下だ。地上フロアは除外してもいいだろう」


 暗がりの中を歩いていく。歌はあちこちに設置されたスピーカーから流れているらしく、フロアのどこにいても同じ音量で聞こえ続けている。何十年、あるいは何百年。一体いつから流れたままなのだろうか。通路は天井まで伸びたいくつもの棚で仕切られており、そこには用途不明の電子機器がぎっしりと並べられていた。だが、どれほど便利な機器でもそれを使う知識がなければ役には立たない。無視してさらに奥へと進む。


「……!?」


 ジョージは反射的に棚の後ろに身を隠した。通路の先に、またあの原住民がいる。今度は三人。皆、さっきの奴と同じく縦縞の服を着ている。あれがユニフォームなのだろうか? 三人は同じ方向に向かってのそのそと歩いていく。こっそり後をつけていくと、連中はさらに地下へと続く階段を下りていった。行くべきか否か。迷っていると、突然地下から女の金切り声が上がった。


「誰かぁ! 助けてくださぃ〜!」


 間違いない。あの情けない声は助手のリサだ。ジョージは飛び出し、階段の手すりに腰掛けて一気に原住民を抜き去りつつ階下へ滑り降りた。目の前には別の原住民がリサに襲い掛かろうとしている。ジョージは滑る勢いで手すりから飛び上がると、思い切り原住民の背中に飛び蹴りを食らわせた。


「た、たいちょう〜!」


「逃げるぞリサくん!」


 格好良く手を差し伸べられればよかったのだが、着地に失敗してしたたかに腰を打ちつけ、リサの手を借りてなんとか立ち上がるのが現実だった。二人で今下りてきた階段を逆走し、追ってきた三人の原住民たちとすれ違う。


「オドレラヤンチヤシトタラヤイトスンデ」


 後ろから何か言っているのが聞こえたが、無視して神殿の入口へと駆けていく。連中は動作が緩慢なので、本気で走れば逃げ切るのはそう難しくはないだろう。今度ははぐれないよう、リサの手をしっかりと握ったまま神殿を出ると、いくつかの分岐点を戻って原住民たちを引き離し、撒くことに成功した。


「はあ……はあ……ここまで来れば……もう大丈夫だろう……」


「グスッ、たいちょう〜……ありがと〜ございま……グスッ」


 涙を袖で拭うリサが、何か金属製の板を大切に抱えているのに気が付いた。


「リサくん、それは?」


「ぐすっ、これ、何か役に立ちそうだな〜って手にとったら……あの人たちに襲われて……グスッ」


 勝手に盗んだのなら追いかけられて当然だろう、とジョージはため息を付いた。


「でもこれ、私に話しかけてきたんですぅ〜」


「……この板がか?」


 疑いの眼差しを向けるジョージに、リサが板の表面──液晶ディスプレイを向けると、画面の中心に波紋が広がり、しわがれた女の声を発した。


"こんにちは。私はケツ。なんぞ用かいな"


「!?」


 本当に喋りだした。ジョージが知る古代文明の言葉とは少しイントネーションが異なるようだが、十分に理解できる範疇だ。


「き、君はなんだ?」


"私はサポート用ソフトや。言うても今はインバウンドの観光客用に設定されとるさかい、案内できる内容は限定されとるけどな"


「観光? ということは、道案内を頼めるのか?」


"そう言うとる"


「でかしたぞリサくん! これで泉に辿り着ける!」


「はいっ!」


「……ゴホン。ではケツくん、イズミノヒロバへの行き方を……」


 グウ、と大きな腹の音がジョージの質問を遮った。えへへ、とリサが照れ笑いをした。


"ほな、まずは腹ごしらえの案内やな。食い倒れ言うたらミナミやけど、キタにも美味いもんはぎょうさんあるんやで〜"


「おい、何を勝手に……」


 グウ、と次にその言葉を遮ったのはジョージの腹の音だったので何も言えなくなった。


"二名様はいりま〜す"


 ケツは勝手に行き先を決めると、画面に周辺地図を表示し、進行方向を矢印で示した。まあ、多少寄り道にはなるが、持参した食料の残量を鑑みれば仕方がないかとジョージは従うことにした。


※ ※ ※


"梅田の美味いもんちゅうたら、やっぱり阪神百貨店やわな"


 ヨド・バシから元来た道を戻り、先ほど選ばなかった分岐へ進むと、ハンシンと呼ばれる別の神殿が現れた。どうやら、ここも同じく地下と地上を貫く建物らしい。


「ヘイ、ケツ」


"なんじゃらホ"


「なぜウメダの巨大建造物は、どれも地下深くまで建てられているのだ?」


 これはジョージの考古学者としての純粋な興味から出た質問であった。


"ええか、『梅田』ちゅうのは実は当て字でな、元々は『埋田』て書いたんや。このへん昔はえらい低湿地帯でよう氾濫が起きとったから、豊臣秀吉が埋め立てて田んぼにさせたんがその由来や。つまり、ここら一帯の土は水分を含んだ粘土層で柔らかいから、その上にでっかいビルを建てようと思うたら、硬い地盤に突き当たる地下深くまで掘らなあかんちゅうわけや"


「なるほど……。あ、ということは、あの無秩序にやたらと坂道が多いのは地盤沈下によるものなのか。それに、本来ならば自由に掘り進めていいはずの地下道がこんなに入り組んだ形状になっているのも、地上の建物の位置に合わせて作らねばならないと考えれば合点がいく……!」


"兄ちゃん、なかなか察しがええな"


「なるほどなるほど。とすれば……」


 リサがジョージの袖を引っ張った。


「あの〜隊長。私、もうお腹限界なんですけど〜」


「そ、そうだったな。すまない、先に食事を済ませようか」


"私のオススメはりくろーおじさんのチーズケーキや。あれはなんちゅうても焼きたてが一番美味い。口に入れた瞬間ジュワ〜と溶けて、ワンホールでもあっちゅうまに無くなってしまうで"


「ああ、それなんだが、できれば携帯性に優れた腹持ちのいい食べ物がいい。旅はまだ続きそうなのでね」


"なんや、贅沢なやっちゃな。ほな、アレでどないだ"


 ディスプレイの矢印が角度を変え、神殿の入口近くにある何か店のような軒先を指した。その前には、二十人ほどの原住民たちが律儀に行列を作っていた。


「しかし、奴らがあんなに集まっていては……」


"大丈夫やて。連中、口は悪いけどホンマは気は優しいんや。さっき襲われたのかて、そこのネーチャンが試用見本の私を勝手に持ち出そうとしたのが原因なんやから"


 指摘されたリサはジョージに呆れた視線を向けられると、エヘヘと笑ってごまかし、そそくさと列に並びに行った。あらゆることに物怖じしないところが、彼女の長所でもあり短所でもあった。


※ ※ ※


「買ってきましたよ!」


 思ったより早くリサが紙袋を手に嬉しそうに戻ってきた。袋の中から湯気がたっている。覗き込むと、小麦粉からなる生地に餡を詰めた円柱状の和菓子が四つ入っていた。


「おお、これは古文書で見たことがあるぞ。たしかオーバンヤキだ。まさか実物を食べられる日が来るとは……!」


 ジョージが興奮気味に一つ取り出すと、ケツが低い声で呟いた。


"御座候"


「えっ、違いますよたいちょー。これはカイテンヤキって言うんです!」


"御座候"


「いや、イマガワヤキという説も……」


"御座候や言うとるじゃろが!"


 ケツが自分で音量設定を上げて叫んだ。


「わ、わかった。御座候だな……」


 どうも観光案内のプログラムに妙なこだわりが設定されているらしいが、それはさておき、あんこがたっぷりと詰まったそれは確かに腹持ちがよさそうだった。


「あっ、隊長のやつ白あんじゃないですか。いいな〜。もぐもぐ……」


「おい、リサくん。ここで全部食べてはいかんぞ」


「え〜、別にまた買ってくればいいじゃないですか〜」


 と売り場へ目をやると、無数の視線がこちらへ向けられていた。列に並んでいた原住民たちが鋭い目つきでジョージたちを睨みつけている。


"おいネーチャン、おどれ一体何しでかしたんや?"


「え、別に何も〜……」


 視線が泳いでいる。


「リサくん、何をしたんだ?」


 ジョージが語気を強めに言うと、リサは視線を逸らしながら「あの……列が長かったから、ちょっとだけ割り込みを……」と小さな声で告白した。と同時に、原住民たちが一斉に殺意剥き出しの表情でこちらへ向かって走り出した。ジョージたちは反射的に逆方向へ駆けた。


「おい! あいつら、あんなに足速かったのか!?」


"ここの連中、食いモンに関してだけはマジなんじゃ!"


「ごめんなさいって〜!」


※ ※ ※


「ハァ、ハァ……ここまで来ればさすがに……ハァ……大丈夫だろう。しかし、ここは……」


 闇雲に走り、どうにか原住民たちを撒くことには成功したが、気付けばすっかり見覚えのない場所にいた。


「ヘイ、ケツ。ここはどこだ?」


"…………"


「ヘイ、ケツ」


"ケツケツやかましなぁ。あー、ここは……なんやろな、地図アプリの中にあらへんな。どこやここ?"


「おい、どういうことだ」


"どうもこうも、道が変わったんやろ。なにしろ私2018年製やし、長いことオフラインやったから地図がアプデできとらんのや"


「ここは地下だぞ。そんな大規模に地図が変わるなんてことが……」


"それがウメチカの恐ろしいとこや。無限に続く再開発で、昨日通れた道が今日は行き止まりなんて当たり前。昔から言うやろ。『梅田、三日会わざれば刮目して見よ』や"


「聞いたこと無いが」


"ようウメチカはラストダンジョンに例えられるけど、それは違う。入る度に構造が変わる不思議のダンジョンなんや。地元民でも半年離れたら理解不能。せやから私が迷うのもしゃーなしや"


 堂々とよく言うもんだとジョージは呆れた。


「とにかく、歩き回ってケツの知っている場所を探すしかない。……リサ、周囲になにか目印になるものはないか?」


 はい!とリサが元気よく手を上げると、徒歩一分圏内をあちこち調べて戻ってきた。


「隊長! あっちにキンケンショップってお店がありました!」


「よし。迷わないよう、そこを基準に調査を始めよう」


※ ※ ※


「おかしい、またキンケンショップだ。一体これで……」


「6件目です……」


 疲弊した表情で呟くジョージに、リサが同じ顔で補足した。周辺探索を始めてから既に一時間が経過していた。だが、どれだけ歩いても代わり映えのしない景色に似たような店が立ち並ぶ。果たして今いる場所が初めて来たところなのか、それとも三度目なのか、それすら曖昧で、まるで無限に循環し続ける回廊を歩き続けている気分だった。


"……ああ、わかったわ"


 しばらく沈黙を保っていたケツが声を発した。


「本当か! で、ここは!?」


 その答えは想定外にして最悪なものだった。


"駅ビルや"


「エキ……」


 ジョージは反射的に繰り返そうとして、その意味に気付いて言葉を詰まらせた。エキビル。迷い込んだが最後、決して出られぬ死の迷宮。


"道理で地図アプリに載ってへんはずやで。ここはGoogleマップの目も届かん秘境中の秘境やからな"


 駅ビルとは、大阪メトロ東梅田駅に直結した第一から第四までのビル群の総称である。これらはすべて地下で連結されており、入っているテナントも共通してコンビニ・金券ショップ・パチンコ屋・立ち飲み屋が大半を占めているため延々と同じ景色が続き、連結されているがゆえに気付かないうちに別のビルの中を歩いていることもしばしば。たとえ地元民であっても内部をすべて把握している者しないと岩れっるウメチカ最大の危険地帯なのである。


「なんてこった……」


 ジョージはその場にへたりこんだ。よりによってエキビルに迷い込んでしまうなんて。もし一人だけならここで諦めてしまっていたかもしれない。しかし。


「隊長! 何座ってるんですか! 早く立って立って!」


 リサがジョージの腕を無理やり引っ張って立ち上がらせた。彼女はこの地獄のダンジョンにも決して物怖じしていなかった。その底なしの明るさにジョージは思わず苦笑し、少し元気を取り戻した。


「さあ行きましょう!」


「まあ、待て。闇雲に動いてもさらに迷うだけだ」


「なら、どうしますか?」


「こういう時は観察だ。ヘイ、ケツ。あのキンケンショップでは一体何を売っているんだ? 食べ物ではないのだろう?」


"主にチケットやな。よそで買うより安いんや"


 ジョージは少し考えて。


「つまり、本来は別の場所で販売されているものを売っている、と」


 ジョージの頭に一つの考えが浮かんだ。


※ ※ ※


「オオキニマタキテヤ」


 一人の原住民がキンケンショップを後にし、エキビルの中を歩いていく。その後ろを、気付かれないようジョージたちが静かについていく。


「おい、コイツで間違いないな?」


"大丈夫。今買っていったんは間違いなく映画のチケットや。外カメラを拡大して確認済みやで"


 歩くこと十分。途中で三つの分岐を進み、階段を昇ったところでケツが小声で反応した。


"……きたで!"


 ケツのGoogleマップに現在地のピンが打たれた。ついに、あの脱出不能と言われたエキビルを抜け出すことに成功したのだ。ジョージは前を歩く原住民に気付かれないよう無言で拳を握った。声を出したいリサは、原住民が見えなくなるのを待ってから「やりましたあ!」と叫んで飛び跳ねた。


"しかしお前、よう思いついたなあ"


「本来、別の場所で使うチケットを買う以上、エキビルが最終目的地でないことは明らかだからな」


 買ったチケットは必ずどこかで使われる。とすれば最も近いのはエキビルに隣接すると古文書に伝えられる地下直結の映画館「ティー・ジョイ・ウメダ」である。ゆえに映画のチケットを買った原住民についていけば高確率で出口に辿り着けるはず……それがジョージの作戦だった。もちろん確実ではなかった。だが、ジョージは自らの勘にかけ、そして勝った。


「戻ってきたぞ……!」


 再びディアモールの向こうの分かれ道へと帰ってきた。だが今度は二人……いや、三人でだ。ケツがいればここから泉の広場への道もわかる。ついに長かった調査の旅も終わるのだ。


"ほれ、これがこの先の地図や。よう頭に叩き込んどくんやで……"


「ウメダ駅にヒガシウメダ駅、ニシウメダ駅にオオサカウメダ駅が二つ……まったく、地図を見ても混乱するな」


"ええから早よ覚えや。この先はお前らだけで……行くんやから……"


 ケツの音量が下がっていく。


「おい、どうした」


「ケツさん?」


"すまんけど……そろそろバッテリー切れや。なんせ古いからな……"


「そんな!」


"安心せえ。ここまで来られたお前らなら大丈夫……。それから……泉の広場では赤い服の女に気ぃ付けや……。他の連中と違って自分から侵入者を襲ってくる……必ず逃げるんや……。ほな……案内は……したで……"


 それを最後に画面から光が薄れていき、そしてただの黒い板へと戻った。手にした板からケツの温もりが消えた頃、二人は静かに歩きはじめた。


「……いこう、リサくん。我々がやるべきことは一つだ」


 リサは強い眼差しで頷いた。


※ ※ ※


 前回とは別の分岐を選んで進んでいく。これだけ探索してもまだ新しい景色が広がっていく。どこまでも広く、どこまでも複雑怪奇な梅田地下迷宮。ケツの案内がなければとても最後まで辿り着けなかっただろう。天井からぶら下がった案内板──「この先、泉の広場」。長い旅の終着点だった。


 だが。


「こんなことって……」


 二人は絶句した。そこに泉は無かった。代わりに金属で出来た巨木が天井へ向かって伸び、銀色に輝く無機質な鉄の葉を生い茂らせていた。


「た、隊長。これ……」


 リサが地面に落ちて割れた看板の一部を拾い上げてジョージに見せた。そこには、在りし日の泉の写真と共に残酷な現実が記されていた。


"2019年、老朽化のため泉の広場は取り壊されます。長年ありがとうございました"


 希望の泉はとうになくなっていた。これが旅の結末なのかと、ジョージは巨木の前に膝をついた。


「隊長……。でも、やれることはやったじゃないですか」


 リサの慰めが乾いた心に染みた。もう帰り道も分からない。あとはこの地下で命が尽きるのを待つだけだ。すっかり力の抜けたジョージの腕を、またリサが引っ張り上げた。だが、今度はまるで優しさがない。えらく力任せだ。


「たた隊長! あれ、あれあれっ!」


「なんだ、今さら何をそんなに慌て……」


 リサが指差す方向に視線を向けると、返ってきた冷たい視線がジョージの目を刺した。赤い服の女が獲物を狙い、唸っていた。ぐっ、とかがみこんだ次の瞬間、女は迷いなくジョージたちへ向かって駆け出した!


「にっ、逃げるぞ!」


「は、はいっ!」


 全速力で巨木の向こう側へ駆け出すと、二人は一番近い曲がり角を曲がった。もはや悠長に道を選んでいる時間はなかった。


「た、隊長っ! この先はっ!」


 ジョージも気付いた。ケツの地図によればこの先は行き止まりだ。だが引き返せば捕まる。走り続けるしかない。


 走る。


 走る。


 走り続ける。


 それなのに。


 おかしい。


 まだ道が続いている。それどころか。


「どうなってるんだ……」


 足を止めた。左右の分かれ道が現れたからだ。ありえないことだった。振り返る。赤い女はついてきていない。つまり、ここは既に彼女の縄張りではないということだ。ジョージは古文書の写しを取り出して最後のページを開いた。泉は地下迷宮の最奥にあると書かれている。


「いや……待て」


 ケツの言葉を思い出す。「ウメダの地下は不思議のダンジョン」「私は2018年製」……そして泉の広場が撤去されたのは2019年。


「まさか……」


 天井からぶら下がった案内板を解読する。


「ナンバウォーク……」


 それは古文書に記されていた別の地下都市の名前だった。ジョージはふらふらと壁にもたれかかった。そこに貼りだされていた地下街の地図は古文書のそれよりもはるかに広く、度重なる拡張工事で梅田と難波の地下が接続されていたことを記していた。そして、さらにもう一枚の地図──地下全体図を見てジョージは呟いた。


「……すべてが梅田になる」


 地図はシルエットを描いていた。日本列島と寸分違わぬシルエットを。


-おわり-

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すべてがユーになる 権俵権助(ごんだわら ごんすけ) @GONDAWARA

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