第52話 悪人と信頼

 握手を解いた後、ベアトリクスは大きく息を吐いた。エイクを味方につける事が出来て、とりあえず安堵したのである。

 そして、エイクに向かって告げた。

「しかし、このような窮地において、そなたのような強く善良な冒険者に出会えるとは、私の運も捨てたものではないな」


 その言葉を聞きエイクは少し気分を害した。

 自分の事を中途半端な悪人だと自認しているエイクにとって、“善良”という評価は何か馬鹿にされたような気にさせるものだった。


 エイクは反論した。

「俺は善良な人間じゃあない。

 善良な人間は、今の貴女の境遇を聞けばそれだけで無償で味方するだろう。そうせずに、身体目当てで雇われるなどというのは悪人の所業だ」

「そうだろうか? もし本当の悪人が私の身体を目当てにしたなら、最初から犯して殺せばいいだけだ。そうしないということは、少なくともそなたは極悪人ではない」


「……悪人にも、矜持とか流儀とかいうのがあるんだよ」

「そうか? だが、そなたが信頼できる人物なのは間違いないと思う。

 例えば、先ほどの契約の条件だが、勝ち目がないと思ったら降りる。などということを予め言う必要はなかったはずだ。

 命を投げ捨ててでも最後まで戦うとでも言っておいた方が耳障りがよい。それなのに、わざわざ命を捨てる気はないと言うのは、誠実な対応だと思う。

 少なくとも、そんな気概もないのに口先だけで『命に代えても』などと口にする似非騎士や貴族などよりもよほど信頼できる。

 それに、何の保証もない私の言葉を信じてくれた事にも感謝する。

 普通は、冒険者は何らかの形で報酬の保証を取るのだろう? 例えば前払いを要求するとか……」

 

(別に、心から信じているわけじゃあない)

 エイクは心中でそう反論した。

 実際エイクは、後になってベアトリクスが約束を反故にする可能性も考えていた。

 しかし、ヴェスヴィア辺境伯家の現状と自分の力を考えれば、たとえそうなっても後で無理やり“徴収”する事は可能だと考えていた。だから、依頼を受ける事にしたのである。

 だが、その事を口にするのは躊躇われた。話の流れから、何か自分が無理に悪ぶっているようになりそうだと思ったからだ。

 なので、別の事を告げた。


「まあ、俺が善良か悪人かはともかくとして、確かに信頼してもらえるのは嬉しいよ。依頼人に無闇に疑われながら仕事をするのは、俺としても願い下げだからな」

 そして、少し不愉快なこの会話を終わらせる為に別の話題をふった。


「ところで、信頼云々というなら、“雷獣の牙”の連中はどうやって、ラモーシャズ家からの信頼を得たんだろう? 何か、連中の関係性を知っているだろうか?」


 ベアトリクスは表情を歪めた。

 話しが怨敵のことに及び、エイクと話すうちに少しだけ上向いていた気持ちが怒りと憎悪へ引き戻されていた。

 そして、陰に篭った声で告げる。

「あのような者達に、信頼関係などあるはずがない」


 エイクは反論した。

「いや、相手のことをある程度は信じていなければ、こんな企みに参加させるはずがない」

「どうせ金だけの関係だ。

 先ほども言ったが、父はかなりの財を蓄えていた。その一部を渡すと告げて悪辣な傭兵を雇ったに決まっている」


「それはありえない。今のような状況で、悪人同士の間に金だけの関係など成立しない」

 エイクは首を横に振りながらそう告げた。

 そして、自分の考えを説明する事にした。


「例えば、今回の企みの中で、ラモーシャズ家の者共が“雷獣の牙”に対して、味方になれば奪った金の半分を渡すという契約をしていたとする。

 その場合、“雷獣の牙”はなんで半分で満足しないといけないんだ? 契約を反故にして、全部自分達のものにしてしまおうとした場合、何か支障が生じるだろうか?」

「……それは」

 ベアトリクスは直ぐに言葉を返せなかった。


「もちろん、普通なら契約無視は許されない事だ。無理に力ずくで全てを自分のものにしようとすれば、そんな無法行為は罰せられる。国や領主によってな。

 だが今、ヴェスヴィア辺境伯領には“雷獣の牙”に罰を下せるものは存在しない。王国政府はまだ状況を知らず直ぐには介入して来ないし、領主はいない。少なくとも“雷獣の牙”を罰するだけの武力を持った領主はいない。


 正当な領主は滅亡寸前だし、それに取って代わるつもりのラモーシャズ家も自前の兵力は50程度。それに対して“雷獣の牙”の兵力は約150。しかも実戦経験は豊富で、多分戦力は数以上に勝っている。

 そんな状況では、裏切った領兵も皆“雷獣の牙”に付くだろう。主君を裏切るような者が、あえて劣勢な方に味方するはずがないからな。

 だから、今のヴェスヴィア辺境伯領には“雷獣の牙”の行動を制限できるものは何もないわけだ。


 もちろん、国家や領主による強制がない場合でも、善人同士なら金銭による契約は成立する。互いに約束は守るからだ。

 悪人同士でも、例えば戦力が拮抗しているとか、互いに牽制しあえる状況なら成立するだろう。だが、戦力で圧倒している悪人に対しては成立しない。

 要するに、力ずくで全てを奪える強さを持っている悪人に対して、半分やるから仲良くしよう、は通じない訳だ。最低でも、契約を守るだろうと判断する何らかの理由が必要だ。


 例えば、今さっき貴女は、俺が貴女を襲わなかったから、少なくとも極悪人ではないと判断した。他の理由からも信じられると評価した。それから、俺には一度は貴女を助けたという実績もある。だからこそ、一応は俺との契約も信じる事が出来る。

 当然、ラモーシャズ家の連中も、同じように“雷獣の牙”を信じる事が出来ると考える何らかの根拠を持っているはずだ。そうでなければ、自分達よりも明らかに強い極悪人を、自分達の行いで無法地帯と化す場所に招き入れるはずがない」


 それはベアトリクスにも納得できる説明だった。

「……確かに、その通りだと思う。

 しかし、あの者達に、何か特別な関係があったようには見えなかった」

「そうか。“雷獣の牙”は、最近はレシア王国で活動していたらしいが、その前に二重王国にいたこともある。その頃に何かあったんだろうな。

 どちらにしても、この場でこれ以上考えても答えは出ない。一応そんな事も頭に入れておいた上で、これからの行動について相談しよう」


「承知した。

 ところで、偽名を使うとの事だが、何と名乗るつもりなのだろうか?」

 ベアトリクスはエイクにそう聞いた。


「そうだな……。ルキセイクと呼んでくれ。ただのルキセイクだ」

 それはかつて大陸西方から中央にかけて大版図を築いたレムレア帝国の偉人の名だった。少し古めかしい印象を与えるが、レムレア帝国にちなんだ名はさほど珍しくはない。

 例えばエイクの父の“ガイゼイク”という名もレムレア帝国の偉人にちなんだものだ。エイクは父の名を意識してルキセイクという偽名を選んだのだった。


「分かった。ルキセイクと呼ばせてもらう。改めてよろしく頼む」

 ベアトリクスもそう答えた。

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