第51話 辺境伯令嬢との契約

 ベアトリクスは、黙考するエイクを見ながら不安に駆られていた。

 彼女自身も現状を考え直して、エイクへの要求が過大なものだったと思い至っていたからだ。


 最初ベアトリクスは、自分の健在を明らかにすれば、生き残った騎士や兵士そして元兵士らが100人以上は集まってくれると信じていた。

 そこに、剣の一振りで5人もの兵士を薙ぎ払い、強敵だったはずのオスグリアの副官すら容易く屠るほどに強いエイクが加われば必ず勝てる。それがベアトリクスの目算だった。


 しかし、エイクが言うには、敵の1人である傭兵団長はベアトリクスが想定していたよりもはるかに強いらしい。

 そして、考え込むエイクの様子を見るに、エイクは味方が集まるとは思っていないようである。

 確かに、改めて考えてみれば、無条件に味方が集まって来てくれるというのは、楽観的過ぎる想定だった。ベアトリクスはそう理解できるようになっていた。


 そもそも、仮に自分に味方してくれる者達がいたとしても、領内の重要拠点を全て敵に押さえられている状況で、どうすれば敵に気付かれずにその者達を糾合できるのだろうか? それは中々の難事であるように思われる。

 自分の健在を明らかにすれば、普通に考えて味方より先に敵がやってきてしまう。

 とすれば、エイクがたった一人で戦わなければならなくなる可能性はかなり高い。


 つまり、自分がエイクに要求している事は、相当の強者を含む少なくとも200以上の敵とたった一人で戦え、というものなのである。

 それは、ベアトリクスの感覚では死ねと言っているのと殆んど同義のように思えた。

 改めて客観的に考えてみれば、そのようなとてつもなく危険な依頼を受けてくれる者がいるとはとても思えない。

 しかも、そのとてつもなく危険な依頼の報酬として提示したのは、自分の身体だけなのだ。


 ベアトリクスは、自分の容貌と身体が男たちにとって高い価値があるものだと理解していた。愛を囁かれることも露骨に欲望を向けられることも、頻繁にあったからだ。

 そして、我が身を差し出す覚悟を決めていた。


 ベアトリクスは幼い頃から、自分はいずれ政略結婚の道具となる身であると自覚していた。家の為に身を挺する覚悟など当の昔に出来ている。

 ところが、ヴェスヴィア辺境伯家が急速かつ深刻に孤立化したため、政略結婚の宛すらなくなってしまった。自分自身の使いどころを失ってしまっていたのだ。


 だから、エイクが自分に対して度々視線を向けている事に気づき、欲望を抱いているのだと思った時、都合が良いと考えた。我が身の使いどころはここだ、と。

 また、ベアトリクス自身ははっきりと自覚してはいなかったが、多くの者達が自分を助けるために命を失ったのだから、自分もまた何かを犠牲にするべきだという意識も働いていた。

 いずれにしても、その時ベアトリクスは、自分自身の身体がエイクに対して丁度よい報酬になると思ったのである。


 だがそれは、エイクが味方になれば必ず勝てると考えていたからこそだった。

 その考えが楽観的過ぎるものだったと理解した今、このような危険な依頼を、そんな報酬だけで受けてもらえるとは、とても思えない。

 ベアトリクスは、自分の身体を好きにするためならば、男たちは命を懸けてでも戦うだろうと思い込むほど自意識過剰ではなかった。


「……受けてはもらえない、だろうか?」

 尚も沈黙するエイクに向かって、ベアトリクスは心細げにそう問いかける。


 きっと断られてしまうだろう。それでも、改めて相当の金を積んででも、何としても受けてもらうように頼みこまなければならない。そう思っていた。

 せっかく幸運にも出会う事が出来た、この飛び切りの強者を何としてでも味方につけなければ、ヴェスヴィア辺境伯家を再興することなど出来るはずがない。そう確信していた。

 実際、ここでエイクに見捨てられれば、この先自分が生き残る事すらおぼつかないのだ。


 だが、心配するベアトリクスをよそに、エイクは既に心を決めていた。

 エイクはベアトリクスの方に顔を向けると、真正面からその瞳に視線あわせて答えを口にした。

「いや、受けさせてもらってもいいと思っている。

 確かに危険な仕事になる。場合によっては命を賭ける状況になってもおかしくないだろう。必ず成功させるなどと安請け合いは出来ない。

 だが、その危険に見合うだけの報酬を用意してもらっているのだから、受ける価値はある」

「そ、そうか……」


「ああ、だが、危険な仕事だからこそ、条件をもっと詰めておきたい。

 まず、俺はこの仕事に命を賭けるつもりはあるが、命を捨てるつもりはない。勝ち目がある限りは戦うが、もう勝ち目はない、戦えば死ぬだけだと、そう判断したなら降りさせてもらう。

 折角の素晴らしい報酬を用意してもらっても、死んだら受け取れないのだから、これは当然の事と思って欲しい」

「……分かった。死ぬまで戦えというつもりはない」


「それから、俺からもお願いしたいことがある」

「な、なんだろうか」

 ベアトリクスは、胸元を押さえ少し身を退くような仕草をしながらそう答えた。


「俺は、俺が今この場にいることを隠したいと思っている。

 俺には敵がいるし商売敵のような相手もいる。そういう連中に、今この場に俺がいることを知られたくないんだ。

 だから、偽名を使い素顔を隠して行動させてもらいたい。あなたも雇った者がエイク・ファインドだとは誰にも言わないようにして、俺が今この場にいる事が明らかにならないようにして欲しい」


 エイクは予定していた通り、自分の素性を隠す事にしたのだった。功績を挙げて名声を得るよりも、特殊な移動手段を持っている事を隠す方を優先したのである。


 それに、ヴェスヴィア辺境伯家の予想以上の極端な孤立状態を知って、関わりを深めない方が良いかもしれないと思ったからでもある。

 不用意にヴェスヴィア辺境伯家と深い関係にあると思われてしまうと、最悪の場合、ルファス公爵派、反ルファス公爵派の両方から敵視されてしまう可能性すらあり得ると思ったのだ。


(俺がヴェスヴィア辺境伯領の内乱平定に尽力したと知られると、名声を得るどころか、むしろ面倒毎の方が増えかねない。

 事が上手く運べば、ベアトリクスが次期ヴェスヴィア辺境伯になれるはずだ。つまり、その時点で俺はヴェスヴィア辺境伯と個人的に知己を得るという事になる。当面はそのくらいにしておいて、関係を公にしない方が良いだろう)

 と、その様に判断したのだった。


「承知した。その程度の事は構わない」 

 ベアトリクスは直ぐにそう答えた。

 ともかくエイクを味方にすることが最優先で、この程度の事に難色を示す必要は何もない。と、そう思ったからだ。 


「そうか、それでは改めて契約内容を確認しよう。

 貴女からの俺への依頼は、今回ヴェスヴィア辺境伯に対して反乱を起こした者達を討ち倒し、反乱を平定すること。その為に俺は、勝ち目がある限りは最善を尽くす。

 そしてあなたは、依頼が達成されたなら、その身を俺に委ねて、俺は貴女の事を好きなように抱くことが出来る。

 細かいことについては、相手の目的を考慮して互いに誠実に対応するという事にしよう」

(改めて言葉にすると、我ながら下衆な内容だな……)

 エイクはそう思った。


 しかし、ベアトリクスに異存はないようだ。

 ベアトリクスははっきりと答えた。

「承知した。その内容で問題ない」

 

「では、これで契約は成立だ」

「本当に、良いのか?」

 思わずそう問うベアトリクスに向かってエイクが問い返した。


「ああ、もちろん。何か気になる事でもあるのか?」

「い、いや、何もない。改めてよろしく頼む」

 ベアトリクスはそう告げると右手をエイクの前に差し出した。

 エイクはその手を握り、両者は握手を交わした。契約成立の握手だった。

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