第49話 辺境伯領の内乱②
ベアトリクスは、一つため息をついてから話を続けた。
「私だけはどうにか逃げる事ができた。だが、共に逃げる事ができた者は少なく、そのまま領外に逃れるのは無理だと思われた。
境目の街リーンツには譜代の兵だけではなく傭兵共も駐留していて、既に制圧されている可能性が高かったからだ。
なので、ワレイザ砦に向かおうと考えた。ワレイザ砦というのは、元は迷宮の上に建てたもので、迷宮が枯れた後も森の魔物に対応する兵達の駐留所になっていた。そこに詰めていたのは譜代の将兵だけだったから、身を寄せる事が出来ると考えたのだ。
砦に依って戦えば、或いは謀反人共を討つことが出来るかも知れない。そんな望みも持っていた。
だが、私達は間に合わなかった。
私達が砦に着いた時には、謀反人共によって砦は落とされてしまっていた。裏切り者共に騙されて門を開けてしまったのか、それとも砦にも内通者がいたのだろう。
しかも、悪い事に私達は見つかってしまい追っ手がかかった。
それから必死に逃げて、最後には配下の者達が囮にまでなってくれたのだが、それでも追いつかれてしまった。
そこを、そなたに助けてもらったというわけだ」
エイクはベアトリクスの話を聞きながらヴェスヴィア辺境伯領の地理を思い浮かべた。
ヴェスヴィア辺境伯領は、アストゥーリア王国の南西の端にある。それもヤルミオンの森の中に大きく突出して東西に長く伸びており、四方を森に囲まれていた。
ちなみに、ヤルミオンの森に突出しているヴェスヴィア辺境伯領は、地理的にはヤルミオン半島の一部にあたり、南に向かって森を進むと、直ぐにリーガ海という名の海に出る。
しかし、ヴェスヴィア辺境伯領の近くの海岸は全て切り立った崖になっており、港として使える場所はなかった。
その領土の中央よりやや東よりの場所に領都トゥーランがあった。
領土の東の端近くにはリーンツという街があり、そこから森の中の道を東に少し進むとルクスレク侯爵領に至る。
そして、西の端近くにはワレイザという都市があった。その近郊には地下迷宮がありかつてはワレイザの迷宮と呼ばれていた。
この三都市が辺境伯領における重要拠点だ。
このうちワレイザの迷宮は6年前に枯れてしまい、迷宮都市ワレイザは急速に衰退して今ではただの寂れた街になってしまっている。
だがワレイザの迷宮の上に建てられた建造物はその後も砦として利用されていた。
元々ワレイザの迷宮は中から魔物が出てくる事もある迷宮で、近隣に魔物があふれ出さないように周りに城壁が築かれていた。
また、地下迷宮への入り口は一箇所だけだったのだが、その直上には堅牢な建物が建てられ、そこに領兵が駐留していた。
領兵たちは、迷宮に入る冒険者を管理したり、魔物が迷宮から出来て来た際にはこれを討ったりしていのだが、それだけではなく、周りの森から侵入して来る魔物を討って近隣の村々を守る役目も担っていた。
迷宮は枯れて魔石を得る事は出来なくなってしまい、同時に魔物が発生することもなくなったが、森の魔物から近隣の村々を守る必要はなくならない。このため、ワレイザの迷宮の上に建てられた建物とその周りの城壁はそのまま砦として使われていたのだった。
この点で、ワレイザ砦がヴェスヴィア辺境伯領にとって重要である事は変わらない。
「つまり、重要拠点といえる場所は、恐らく全て落とされ、味方といえる者は誰もいないというわけか」
エイクは現状を端的にそう表現した。
「……その通りだ。だが、譜代の兵たちも1人残らず討たれているとは思えない。きっと逃げ延びてくれた者もいる。
それから、父は3月前に100名ほどの兵を解雇してしまった。その者達の中にも、当家に心を残してくれている者はきっといるはずだ。
私が健在である事を示せば、きっとその者達は参集してくれるだろう」
(それは、期待できないな)
ベアトリクスの心情を慮って言葉にはしなかったが、エイクはそう判断した。その者たちがこの状況で辺境伯家に忠誠を尽くすとはとても思えなかった。
ベアトリクスは言葉を続けた。
「それに、ヒエロニム・ロフトールという男がいる。
5年前まで当家の騎士団で参謀を勤めていた者で、ボルドー河畔の戦いでは騎士団を指揮して前線で大いに活躍してくれた。彼は頼りになる」
(やはり、そういう人間がいたのか。
ボルドー河畔の戦いでは見事に立ち回ったのに、その後の行いが愚か過ぎるのはどういうことかと思っていたが、戦いを指揮していたのは辺境伯本人ではなかったわけだ)
ベアトリクスの言葉を聞きエイクはそう考え得心した。
ボルドー河畔の戦いにおける作戦を考え、その全体を指揮したのはエーミール・ルファス軍務大臣である。
だが、現地で実際にレシア王国軍を騙したヴェスヴィア辺境伯軍の指揮官も相当優れていたといえる。
ヴェスヴィア辺境伯の偽の内通は、レシア王国軍の調略に応じた結果として行われていた。自ら仕掛けた調略の結果だったからこそ、レシア王国軍はヴェスヴィア辺境伯の内通を本物だと信じ込み、致命的な罠の中に誘導されてしまったのである。
恐らくレシア王国軍内に間者を入れるなど相当の工作を行い、レシア王国軍が自ら調略を仕掛けるように誘導したのだろう。
その上、アストゥーリア王国軍本隊と上手く連携して、レシア王国軍を完全な罠に嵌めた。
これらを上手くこなすには、現地のヴェスヴィア辺境伯軍にも相応の能力が必要だ。それなりの指揮官が居たのだと推測される。
ところが、戦後の辺境伯の行いは愚かとしか言いようがない。とても同じ人物の行いとは思えないものだったのだが、どうやら本当に戦で活躍したのは辺境伯とは別人だったようだ。
「その男は、今はどうしているんだ?」
エイクは相当の期待を込めてそう聞いた。
だが、ベアトリクスの答えは期待はずれなものだった。
「彼は、戦の後で父に幾つかの諫言し、勘気を被り投獄されている」
「……それでは、どうしようもないじゃあないか」
「いや、ヒエロニムは脱獄しようと思えば出来たのだ。1年ほど前に私がそのように手を打った。秘かに牢の鍵を渡し、警備の隙なども教え脱出経路も整え、街中に身を寄せる場所も用意した。
それでも彼は、父の許しが出るまで勝手に脱獄するつもりはないと言って牢に留まっていた。彼の忠誠に疑いはない。
そんな状況だったのだから、流石に今回の変事を察して牢から逃れているはずだ。
彼は、剣の腕は普通の兵士よりも少し強い程度だが、相当に目端が聞く。むざむざ死んではいないはずだ。
今も反撃の機会を伺っているに違いない。私の存命を知れば、きっと駆けつけてくれる」
「そうか。分かった」
そうは答えたが、エイクにはそのヒエロニム・ロフトールという者が味方に付くとは到底思えなかった。
ベアトリクスが言う事が正しいなら、ヒエロニムは何の罪もないのに5年も投獄されている事になる。
そんな人間が今更辺境伯家に忠誠を尽くすとは思えない。あえて脱獄しなかったというのも何らかの思惑があってのことなのではないだろうか?
この際、味方は一人もいないと思っておいたほうが無難だ。
エイクはそう考え、更に考察を進める。
(だが、それでも勝ち目がないわけではない。敵の総数は多めに見ても300程度だろう)
エイクはそのように判断していた。
ラモーシャズ侯爵家の私兵らが約50、傭兵団が約150。
騎士団の裏切り者がベアトリクスの予想よりも多かったとしても、少なくとも戦いにはなったのだから7割以上が裏切ったということはないだろう。多くても120から130といったところと思われる。以上を合計して、反乱軍の兵力は最大で320から330。
また、戦闘が起こっているのだから、反乱軍にも多少の犠牲は出ているはずだ。そして、少し前にエイク自身が7人を倒している。それらを考え合わせれば、現在の敵の総数が300を大きく超えるとは思えない。
そして、守るべき重要拠点は3箇所あるのだから、最低でも敵軍は3分されているはずだ。エイクならば、1人でも十分に各個撃破が望める状況だといえる。
(しかも、敵は俺の強さを誤解している可能性が高いしな)
エイクはベアトリクスを助ける為に戦った際、真の実力を隠していた。その場から逃れたオスグリア達はエイクの実力を見誤っている可能性が高い。
つまり、エイクが真の実力を発揮するだけで、敵の想定を超える事が出来るということだ。これも戦いにおいて有利に働くだろう。
だが、それでも注意は必要だ。敵の中にエイクを超える強者がいれば、それだけで情勢はひっくり返ってしまうのだから。
単独でエイクより強くなくとも、エイクに迫るほどの強者が数百の兵を率いているという状況でも到底勝てないだろう。
そのような油断ならない強者が敵の中にいるか。これも非常に重要な事だった。
エイクが問う。
「謀反を起こした者の中で、特に強い者がいるかどうか、そういったことは分かるだろうか?」
「ある程度は分かっている。
まず、ラモーシャズ家の中ではマグネイアの妹のオスグリアが最も腕が立つ。先ほど私を襲っていた者達の指揮をとっていた女だ。あの女は、ラモーシャズ家私兵部隊の隊長を名乗っていた。
それから、その副官がオスグリアに次ぐ強さだった。先ほどそなたに討たれた板金鎧を着ていた男だ。他にはラモーシャズ家に目立った強者はいない。
傭兵団の中で最も強いのは団長で、その男はオスグリアよりも強い。オスグリアと同等程度の者も2名いる。それよりも少し弱い程度の者も5・6人はいる。他の傭兵達の強さはまちまちだ。
裏切った者共の詳細は分からないが、そもそも騎士団の中で最も強かった者でもオスグリアと同じ程度だった。その者は裏切りには参加せず討たれてしまっている。
だから、それよりも弱い者しか謀反には参加していない」
「その評価の根拠を聞いてもいいだろうか?」
「当家の騎士団長だった者がそう言っていたのだ。
その騎士団長が騎士団の中で最も強かった者で、彼はオスグリアと傭兵団のうち2人は自分と概ね同格で、自分よりは弱いが侮れない者達もいる。そして、傭兵団の団長だけは自分よりも明らかに強い。と、そう言っていた」
(確かに、板金鎧の男よりも逃げた女の方が少し強そうだった。その騎士団長という者の見立てはそれほど的外れではないのだろう。
もちろん、絶対とはいえないが、参考にはしてもいいはずだ。とすれば、とりあえず問題となるのは傭兵団長か)
エイクにはオスグリア程度の強さの者なら、5・6人と同時に戦っても勝てる自信がある。その者たちが数十から百程度の兵を率いていてもやりよう次第でどうにかなるだろう。
だが、傭兵団長はオスグリアよりも強いというだけで、その実力は詳らかではない。
「傭兵団について、出来るだけ詳しく知りたい。とりあえず、傭兵団の名前はわかるだろうか?」
「“雷獣の牙”と名乗っていた」
その言葉を聞き、エイクは思わず顔をしかめた。聞いたことがある傭兵団だった。
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