第48話 辺境伯領の内乱①
ベアトリクスの提案に意表をつかれてしまったエイクだったが、少し間を空けてから言葉を返した。
「……辺境伯家が困窮しているという話は聞いた事がなかったのですが」
エイクが調べたところでは、当代のヴェスヴィア辺境伯は吝嗇な人物らしい。
迷宮から相当の収入を得ていた頃から、かなりけち臭い事をして巨額の富を溜め込んでいたというのだ。迷宮が枯れてしまった後はその傾向は更に強まったと言われている。
迷宮からの収入がなくなったとはいえ、農業や林業だけでも自活できる程度の収入はあったはずなので、瞬く間に蓄えがなくなるとは思えない。辺境伯は今でもかなりの富を抱え込んでいるはずだ。それが世間の評判だった。
その娘が我が身を報酬として人を雇わなければならないとは思えない。少なくとも成功報酬としてなら十分な金を用意できるはずだ。
ベアトリクスが答えた。
「確かに、当家には相当の財が残されている。だが、今回の謀反で犠牲になった者への補償や騎士団の再建の事を考えれば、金は幾らあっても足りない。
貴殿ほどの剛の者を金で雇うならばかなりの額が必要になるだろう。金以外で雇えるならそれに越した事はない。
だから提案させてもらった。貴殿の様子を見る限り、我が身に価値を見出してくれているようだったから、な」
どうやら、エイクがベアトリクスを盗み見ていた事に気付かれていたようだ。
エイクは羞恥心を覚えて思わず顔を伏せた。
だが、ベアトリクスのいうことは道理でもあった。
金には高い普遍性がある。極めて広い場面で有効に活用できる。それに対して、女の色香はそれに価値を見出す相手にしか有効ではない。
目の前に、非常に強くそして女の色香に価値を見出す男がいるなら、金ではなく色香で雇うというのは妥当な判断だ。
高貴な貴族の子女が、本当にそれを良しとするならばの話だが。
ベアトリクスは言葉を続ける。
「どうだろう? その、き、貴殿を満足させられる自信はあるのだが」
この言葉も意外なものだった。エイクは高位の貴族の女性は基本的に貞淑なものだと思っていたからだ。
(だが、家のせいで縁談がなくなってしまい歳も20を超えているという状況なら、案外割り切って奔放な生活を送っているのかもしれないな)
エイクはそうとも思った。そして大いに心を動かされていた。有体に言ってしまえば、この美しく高貴な女を抱いてみたいと思ってしまっていたのである。
今までエイクが抱いた女達の中では、カテリーナとジュディアも貴族の出身だ。だが、いずれの家も高位の貴族ではない。
その上、カテリーナは何年も前に家を飛び出して冒険者として暮らしており貴族らしさは殆んど感じられない。ジュディアもどちらかというと女騎士という風情で、やはり貴族らしい女性とはいえなかった。
貴族らしい高貴な女には興味があった。
(大体、今更好色だとばれて恥ずかしがるとは滑稽だ。取り繕わずに話を進めよう)
エイクはそう考えて気を取り直すと、顔を戻しベアトリクスに告げた。
「見透かされてしまっていたとはお恥ずかしいですが、確かにそのご提案は私にとってとても魅力的です。
ですが、達成の見込みがない依頼を受けるわけには行きません。その謀反の状況と敵味方の戦力を出来るだけ詳しく教えてください」
「話を聞いてもらえるだけでもありがたい。では、敬語を使うのをやめてくれ。ここからは対等な立場で交渉する事にしよう」
「……分かった。そう言ってもらえるなら、その方が俺も気楽でいい。
それじゃあ聞かせて欲しい。まず、反乱を起こしたのは何者なんだ?」
エイクの返答を受け、ベアトリクスは改めて説明を始めた。
「謀反の首謀者はマグネイア・ラモーシャズ。クミル・ヴィント二重王国の侯爵だ。10ヶ月ほど前に二重王国から亡命し、一族郎党と共に当家に身を寄せた女だ。
ラモーシャズ家は旧ヴィント王国出身の名門貴族だった。だから、その縁もあって当家に身を寄せたいと言って来た。
当家も元をただせば旧ヴィント王国の貴族。ヴィント王国に由来する名門貴族と好を通じるのは望むところだった。だから、その申出を受けた。
しかし、あの者らは当家を乗っ取るつもりだった。だからこそ、この国に亡命するにあたって、わざわざ当家に身を寄せたのだ」
(確かに、俺ですら孤立状態にあるヴェスヴィア辺境伯家なら、事実上のお家乗っ取りも不可能じゃあないと考えたくらいだ。同じ事を考える者がいてもおかしくないか)
エイクはそんな感想を持った。
ベアトリクスは説明を続ける。
「そもそも、あの者達が二重王国から亡命する事になったのは、あの者達の悪辣さゆえだった。
あの者達は、二重王国からレシア王国の影響を排し、真の独立を勝ち取るという志を持っていると告げた。叶う事ならば、その先に旧ヴィント王国の復活をも目指している。などとも。
そして、その事がレシア王国の二重王国駐留総監ヴァレンシア公爵に知られた為に亡命せざるを得なくなったのだ。と、そう説明した。
父はその説明を信じた。だが、私は不審に思った。マグネイアやその一族たちは一応それらしく取り繕っていたが、配下の私兵どもの言動からは、酷く下卑た邪さが見て取れたからだ。
だから私は、王都に人をやって、先に亡命して来ていた二重王国の貴族達からラモーシャズ侯爵家の評判を聞いた。
結果は信じがたいものだった。ラモーシャズ家には何か邪な理由の為に自らの領民や旅人などを浚って次々と殺している。などという噂があったというのだ。
私は、事の真偽を確かめるために、信頼できる者を二重王国に送り込んだ。その者はまだ帰還していないが、今回のマグネイアらの行動を考えれば、噂は真実だったに違いない。
実際、先ほどオスグリアが、マグネイアの妹のオスグリアという女が、それを認めるような事を言っていた。
要するにあの者達は、元より邪悪で、最初から当家を乗っ取ろうと考えて我が領土に身を寄せたのだ」
ベアトリクスの言葉からは悔しさがにじみ出ている。
エイクは、これもベアトリクスの言う通りなのだろうと思った。オスグリアが兵士たちに向かって「久しぶりに死ぬまで好きにしていい女を手に入れたからといって、無茶な犯し方をして簡単に殺してしまわないように注意しろ」など言うのを聞いていたからだ。
その言葉は、死ぬまで犯すなどという行為を、実際に今までに何度も行っていた事を示している。
それは、自分は悪人だと自覚しているエイクですら鼻白む極悪行為だと言えた。
もしも、そんな行為をしている動かぬ証拠を押さえられたなら、有力貴族と言えども重罰を科されるだろう。それを嫌って国から逃げ出すという事も、状況次第ではあり得る。
(ヴェスヴィア辺境伯家はとんでもない極悪貴族に目を付けられてしまったというわけだ。だが、簡単に信じてしまったのは愚かだったと言わざるを得ないだろう)
エイクはそんな感想を持った。
そして、ベアトリクスに先を促す。
「ラモーシャズ侯爵家というのがどんな連中なのかは分かった。
後は、敵の具体的な戦力と、反乱の経緯についても教えて欲しい」
「ラモーシャズ家の一族の戦える者と私兵を合わせれば50人ほどになる。そして、マグネイアの紹介で3ヶ月前に雇った傭兵団も全てマグネイアについた。当然その為に呼び寄せた者達だったのだろう。傭兵団の兵力は約150人だ。
その上、当家の譜代の騎士や兵士の中にも裏切り者が出てしまった。当家の騎士団は約200人。その内恐らく3分の1程度は裏切ったようだ。
一昨日、その者たちが一斉に蜂起して、不意をつかれて当家の騎士団はほぼ壊滅。
そして、父と、アロイス……私の弟も、殺されてしまった。他の一族の者も多くが討たれた」
「辺境伯が殺された!?」
エイクは驚きの余り声を上げてしまった。謀反とはいってもその内容は、辺境伯を幽閉するなりなんなりして実権を奪うようなものだろうと思っていたからだ。
実際、当主を殺してしまってはどう取り繕っても辺境伯家の内輪もめに収めることは出来ない。アストゥーリア王国に対する反乱となってしまう。辺境伯をこの地に封じたのはアストゥーリア王国なのだから。
「そんな事をすれば、国が黙ってはいないだろう?」
エイクはそう聞いた。
ベアトリクスは悔し気な様子で言葉を返す。
「連中は、父を殺しても誤魔化せると思っているのだ。
当家の家政全般を取り仕切っていたゴイセン・スフロスという男を味方に引き入れたからだ。あの男なら、父の筆跡を真似て幾らでも書状を作れる。諸々の偽装をする事も可能だ。
例えば、私とアロイスが何らかの理由で死んだ為に、後継者にマグネイアやその娘を指名した事にもできるだろう。
父はマグネイア共を信頼し、愚かにもあの女を後添えにと望んでいたし、あの女の娘をアロイスの婚約者にもしていたからな。
その上で、父も病に倒れたという事にしてしまえば良いと考えているのだろう。
その後で、諸々準備を済ませた上で父も死んだことにすれば、我が家は名実ともに奴らのものになってしまう」
(ヴェスヴィア辺境伯の孤立は、そこまで深刻だったのか……)
ベアトリクスの言葉を聞き、エイクは驚きとともにそう思った。
偽の書状だけでそこまでの偽装が出来るということは、子が死のうが本人が倒れようが、直接会いに来る者が誰もいないということを意味しているからだ。少なくとも、何が何でも辺境伯と直接会おうとする者はいないということになる。
信じ難い事だが、他ならぬベアトリクスがそう思っているからには、それがヴェスヴィア辺境伯家の現状なのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます