第47話 意外な提案

 やがて祈りをやめ顔を上げたベアトリクスに向かって、エイクは道具袋から取り出した布と水袋を差し出した。

「汚れを落とすのに使ってください」

 そして、極力優しげに聞こえるように気を使いながらそう告げる。


 確かにベアトリクスには大分汚れが付いていた。ただでさえ必死の逃避行を続けていた上に、少し前にエイクが切り殺した兵士達の血しぶきを受けてしまっていたし、今も素手で侍女の首を埋めたりしていたからだ。


「すまない」

 ベアトリクスは素直にそれを受け取り、足を崩して少し楽な姿勢で座りなおしてから身繕いを始めた。


 まず、手についた土を丹念に払ってから水で流す。次に顔や胸元にこびりついていた血を拭って出来るだけ落とした。

 そして、布を水で湿らせて残った汚れをふき取る。まず顔、そして胸元を。


 その間エイクは、ベアトリクスの傍らに立って周りの様子を伺うような素振りをしていた。

 しかし、実際には度々ベアトリクスに視線を向けてしまっていた。その美貌や、魅力的な肢体、そして特にベアトリクスが胸元の汚れを落としている時などは、垣間見える純白の肌と胸のふくらみに視線を送ってしまっている。

 それは確かに、健全な男なら容易には視線を外す事が出来ない魅惑的な姿だった。


(この人は、確かにベアトリクス・ヴェスヴィアその人なんだろう)

 そして改めてそう判断していた。

 エイクはベアトリクス・ヴェスヴィアの容姿を事細かく知っているわけではないが、大層な美人だという話は聞いていたからだ。


 5年前に、長年対立していたヴェスヴィア辺境伯家とルクスレク侯爵家の仲が改善しそうになったことがある。その理由は、ルクスレク侯爵家の嫡男が当時15歳だったベアトリクス・ヴェスヴィアの美貌を見初めて是非にと求婚していたからだ。

 結局、ボルドー河畔の戦いの結果、ヴェスヴィア辺境伯家とルクスレク侯爵家は決裂し、ベアトリクスの縁談も破談となった。


 更に、ヴェスヴィア辺境伯が急速に孤立したため、その後もベアトリクスに縁談はなくなってしまった。

 だが、ベアトリクスが長年の対立関係を超えてでも妻にと望まれるほどに美しい娘だったのは間違いない。

 エイクも南方辺境領とヴェスヴィア辺境伯家について調べる過程でそんな話を知っていた。

 そして目の前にいるこの女性は、そんな逸話を持つに相応しい美しさだった。


(5年後もその美貌は健在ということだ)

 ベアトリクスを盗み見ながらエイクはそんな事を考えていた。


 身繕いを終えたベアトリクスが、布と水袋をエイクに差し出す。

「ありがとう。助かった」

 そして、そう告げる。


 エイクは、また片膝を着いた姿勢になってそれを受け取りながら答えた。

「いえ、多少でもお役に立てたなら光栄です。

 飲み水は他にもありますので、良ければ使ってください。食べ物については、保存食しかありませんが、何か御口に召しますか?」


「いや、それよりも、ひとつ伺いたい事があるのだが良いだろうか?」

 ベアトリクスはそう問いかけて来た。

 その口調は落ち着いたものになっている。配下を殺され自分自身も襲われた衝撃からは一応は立ち直っているようだ。むしろ、その菫色の瞳には何か強い決意が込められている様に見える。


 エイクも、気を引き締めた様子を見せつつ答えた。

「構いません。どんなことでしょうか?」

「ファインド殿、王都で冒険者をしているという貴殿が、当家の領地近くの森に居た理由を教えていただきたい」


(それが気になるか。まあ、当然だな)

 そう考えたエイクは、事前に用意していた理由を口にした。


「順をおって説明させていただきます。

 まず、私が南方にやって来たのは、南方辺境領やその南の国境地帯の様子を調べるためです。

 レシア王国との戦が始まれば国境付近が大きな稼ぎの場になりますので、事前に調べておこうと思ったわけです」


 これは、十分にありえる話だった。

 アストゥーリア王国では冒険者を軍に強制的に徴用はしない。冒険者には戦の間にも魔物などから民を守ってもらう必要もあるからだ。だが、戦に参加する事を禁止しているわけではない。

 腕に覚えのある冒険者には、一種の傭兵のような立場で軍に参加し、戦を稼ぎの場と考える者もいる。


「それで、最初にヴェスヴィア辺境伯様の領土から調べてみようと思いました。

 辺境伯様の領内には古の三英雄最期の地の伝承があると聞き知っていて、以前から興味を持っていたからです。調査のついでに三英雄縁の地を訪ねる事が出来ればと思っていました」


 これもさほど不自然な理由ではないはずだ。古代魔法帝国滅亡の少し後に活躍し、冒険者の祖とも言われる古の三英雄に興味を持つ冒険者は珍しくはないからだ。

 そして、確かにヴェスヴィア辺境伯領の領都トゥーランの近郊には三英雄最期の地と言われている場所があった。

 もっとも、三英雄最期の地と伝承されている場所は、西方地域全域に満遍なく散らばって数十箇所もある。なので信憑性は非常に低いのだが、もののついでがあれば訪れてみようと思う冒険者がいてもおかしくはない。


「最後に森の中を歩いて辺境伯様の領土に向かっていた理由ですが。言い難い事なのですが通行料を払いたくなかったからです。

 私は森歩きには自信があったので、すっと北の方から森に入って辺境伯様の領地に向かって南下していました」


 これもまた不自然ではない。

 ヴェスヴィア辺境伯は6年前に領内の迷宮が枯れてしまった後、少しでも収入を増やそうと考えて、領内に入る者からかなり高額の通行料を徴収する事にしていた。

 通行料など払いたくないと思うのは当然だ。

 野伏の技術を十分に身に着けて野外で行動する事に自信を持っている冒険者なら、無駄に通行料を払うのを嫌って森を歩くのは十分にあり得ることだ。


 ちなみに、通行料の徴収は明白な失政だった。辺境伯領を訪れる者が極端に減るという結果をもたらしたからだ。

 迷宮が枯れて、ただの辺鄙な地域になってしまった辺境伯領に、通行料まで払ってやってくる者などめったにいないのだから当然である。しかし、己の過ちを認めたくなかったのか、ヴェスヴィア辺境伯は通行料を課し続けていた。

 その為人の行き来は稀になり、辺境伯領は一層孤立してしまっていたのだ。


 いずれにしても、エイクの説明は一応は筋が通るものだ。ベアトリクスも納得したらしい。

「そうか、私は通行料には反対だったのだが、そのお陰で助かる事になるとは皮肉なものだ。いや、だが、もっと外との交流を盛んにしていれば、そもそも謀反を防げたかも……」

 ベアトリクスは呟くようにそんな事を口にした。

 そして、改めてエイクに向かって問いかける。


「では、貴殿は今、誰かの依頼を受けているというわけではないのだな」

「ええ、そうです」

「それならば、私の依頼を受けてもらうことも可能と考えてよいのだろうか?」


(いい流れだな。少なくとも無条件で命令に従えとか言い出す無茶な貴族ではなくてよかった)

 エイクはそう思いつつ答える。

「可能ですが、依頼というのはどういったことでしょうか?」


「あの謀反人共を討って欲しい。相応の報酬を渡す用意はある」

(逃げる為の護衛ではなく、敵を討てと来たか。中々気骨がある人だ。それに、ある程度状況分析も出来ているんだろう)

 エイクはそんな感想を持った。


 ベアトリクスが自身の安全を最優先で考えた場合、最も適切な対応は他領に逃れる事だ。領主の娘がたった一人で逃げているという状況をみれば、もはや領内に安全な場所など殆んどないのだろうから。

 そして、いくらヴェスヴィア辺境伯家が孤立しているからといっても、流石に身を寄せるあての一つくらいはあるはずだ。最終的には、直接王国政府に保護を願い出るという手もある。

 加えて、先ほど披露したエイクの強さと野外活動に慣れているという主張を踏まえれば、森を抜けて他領に逃れる為の護衛としてエイクは正に適任といえる。


 しかし、ベアトリクスは己が逃げる事よりも敵を討つ事を望んだ。今後の事を見据えているからだろう。

 ベアトリクスが領外に逃れた場合、王国政府や他の貴族によって事態の収拾が図られる事になる。そうなればヴェスヴィア辺境伯家にはもはや統治能力はないとみなされてしまう。領土は没収され、最悪家名も断絶となりかねない。

 だが、自らが雇った冒険者によって反乱者を討って事態を収めることが出来たなら、統治能力はまだあると主張する事も可能だ。

 ベアトリクスはそう考えて、エイクを雇って反乱者を討とうと考えているのだと思われる。


(敵を討つ依頼の方が都合がいいな。いずれにしても、この話は基本的に受けるべきだ)

 エイクが、都合が良いと思ったのは、討伐依頼の方が護衛よりも難しい依頼であり、より大きな恩を売ることが出来ると考えからだ。


 また、そもそも、エイクがヴェスヴィア辺境伯領にやってきたのは、南方で活動する際の拠点を作ろうと思ったからだった。領主の娘に恩を売ることが出来れば、拠点づくりに大いに役立つだろう。

 そう思いいたったエイクは、依頼を受けるべきだと考えた。

 もっとも、条件等はしっかりと確認する必要がある。単純な護衛よりも討伐の方が難しい依頼なのだからこそ当然のことだ。


「それは、お受け出来るかどうかは、率直に申し上げれば条件次第ということになります。嫌らしいことを聞いてしまいますが、そのご用意していただける報酬というのはいかほどでしょうか?」

 エイクはまずそんな事を聞いた。


 自分自身でも、どの程度の報酬を要求するのが妥当だろうかと考えていた。

 多大な報酬を要求しては恩を売ることにならない。かといって、いきなり無償でよいというのも不自然だろう。


 だが、ベアトリクスの答えは予想外のものだった。

「謀反人どもを全て討ち果たして当家を再興する事が出来たならば、我が身を貴殿に捧げる。この身体をどのようにでも好きなように抱くといい」

 と、そのような事が告げられたのである。

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