第44話 森の中の逃亡者④
ベアトリクスは未だに動く事ができず、ただエイクの行いを見ていた。
(あの男すら、これほど容易く……)
そして、そう考え驚きを新たにしていた。
エイクが倒した板金鎧の男は、ベアトリクスにとっては警戒に値する強敵だったのだ。その男が全くなす術もなく、瞬く間に倒されてしまった。
残ったオスグリアらもほうほうの態で逃げ出している。絶望的としか言いようがなかった状況は、黒い皮鎧の男が現れるや一瞬にして覆されてしまったのだ。その男の強さはそれほど圧倒的だった。
この信じ難い現実にベアトリクスは圧倒されていた。
驚愕するベアトリクスに対してエイクは平静だった。戦闘は想定の範囲内で終わり、特に苦戦するようなものではなかったからである。
(奇麗な女性だ。助けに入って正解だったな)
改めてベアトリクスを見たエイクは、そんな事を考えていた。
そして、声をかける。動揺しているらしいベアトリクスを慮ってことさら穏やかな口調を心がけている。
「私は、王都アイラナで冒険者をしているエイク・ファインドといいます。前の炎獅子隊長だったガイゼイク・ファインドの息子です。
流石に見過ごせないと思ったので介入させてもらいましたが、今の状況を理解出来ているわけではありません。差し支えなければ事情をお聞きしてもよろしいですか?」
声をかけられて我に返ったベアトリクスは、座った姿勢のまま出来る限り居住まいを正した。怪我の痛みで立ち上がる事が出来なかったからだ。
そこで、自らの上衣が引き裂かれ、下着が顕になっている事に気付いて、慌てて両腕で胸元を隠す。
そして、軽く息を吐き呼吸を整えてからエイクに答えた。
「ご助力感謝する。エイク・ファインド殿。
私の名はベアトリクス・ヴェスヴィア。この地を治めるヴェスヴィア辺境伯家の娘だ。
……そして、私を襲っていたのは卑劣な謀反人共。現在当家は反乱を起こされ、情けない話だが、……窮地に立たされている」
ベアトリクスは、反乱が勃発したという本来部外者に漏らすべきではないことまで初対面の相手に向かって告げた。事態は既に末期的といえる状況となっており、もはや体面を気にしている場合ではないと思っていたからだ。
そして、自分は絶対に罪人ではないと理解して欲しかったからでもある。「罪人が追われているのかと思った」男は最初にそう言った。
この男から、そのような疑いを向けられることは耐え難い。ベアトリクスはそう思っていた。だから、まずその事を主張した。
「だが、間違いなく正当は私の下にある。あの者達こそが悪辣な罪人だ。
……もっとも、このような成りの女がそのようなことを言っても、俄かに信じてはもらえないだろうが……」
「いえ、そのお言葉を信じさせていただきます。
お怪我をしているようですが、私は回復薬をいくつか持っています。よろしければお使いになりますか?」
エイクはそう返す。実際彼はベアトリクスの言葉を基本的には信じていた。
エイクは予めヴェスヴィア辺境伯家について出来る限り調べており、辺境伯息女のベアトリクスの年齢や髪色程度の大まかな特徴は把握している。目の前の女性はその特徴と矛盾するところはなかった。
また、ベアトリクスとオスグリアの問答をある程度聞いており、その内容からベアトリクスが高貴な身分の者だろうと察してもいた。少なくとも、我が身を投げ捨ててでも尽くそうとする従者を従えていたのは間違いない。
そして、オスグリア達が、エイクの問いかけに問答無用で実力行使に出たことは、オスグリア達の方に非がある証拠ともいえる。
それらの諸々を考え合わせれば、エイクが介入したのは謀反人が領主の娘を追い詰めていたところだった。と、そう説明されても納得できる。
だからエイクは、この際なのでベアトリクスには恩を売った方が良いとも判断していた。回復薬の提供を申し出たのはそういう理由からである。
「……ご好意に甘えさせていただきたい」
ベアトリクスは若干の逡巡の後にそう答えた。
今会ったばかりの見ず知らずの者から薬を受け取って服用することに躊躇いはある。だが、ともかく怪我を早く治さなければどうにもならないのは間違いない。
それに、わざわざ自分を助けてくれた男が、今更自分に毒を盛るとも思えない。
「それでは失礼します」
エイクはそう告げるとベアトリクスの近くまで歩みより、片膝立ちの姿勢になると魔法の荷物袋から回復薬の瓶を取り出し、蓋を開けてから「どうぞ」と告げて恭しく差し出した。
「すまない」
ベアトリクスはそう言いつつ右手を伸ばして回復薬を受け取る。右手が胸元から離れた為、隠されていた肌と下着が垣間見え、エイクは思わずそこに視線を向けてしまっていた。
ベアトリクスは受け取った回復薬の瓶を口元に運びそのまま飲み干した。
信じて受け取ると決めた以上今更躊躇ったりはしない。
回復薬は確かに効果を発揮しベアトリクスの傷は速やかに治癒してゆく。
その事を確認してからエイクが告げた。
「少し休めば体力も回復します。そうしたら、とりあえずこの場を離れましょう。
今の者達の仲間がまだ近くにいるはずです。集まってもう一度襲われたら面倒な事になりますから」
「……その通りだろう。確かに、いつまでもここには居られない……」
ベアトリクスは、そう告げると視線を落とし、しばし沈黙した。なにやら考えをまとめているようだ。
そして、少ししてから視線を戻してエイクに語りかけた。
「ところで、ファインド殿。今の口ぶりからすると、私に同行するお気持ちを持っていただいているのだろうか?」
「ええ、まあ、介入した以上は、とりあえず落ち着くまでは同行しようと思っています。もちろん、邪魔だというなら身を退きますが」
「邪魔などというはずがない。こちらからお願いしたい」
「分かりました」
エイクはそう答えると、魔法の荷物袋の中から黒色のマントを取り出した。野営の際に防寒の為に使う物だ。
「お使いください」
そして、そう言ってベアトリクスに差し出す。
今更ながら、相手は服を引き裂かれた女性なのだから、その肌を隠す為のものを提供すべきだと気付いたのである。
「ありがとう」
ベアトリクスはそう返して素直にマントを受け取る。
こうしてエイクは、辺境伯の娘と道行を共にする事になったのだった。
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