第43話 森の中の逃亡者③

 エイクはオスグリアに向かって告げる。

「罪人が追われているのかも知れないと思って様子を見ていたが、犯して殺すと聞かされては、流石に黙ってはいられない。

 俺には賊が女性を襲っているように見えるんだが、何か言い分はあるだろうか?」

 エイクは、相手の指揮官とみて取ったオスグリアに対してそう言いながら、ベアトリクスの方に向かって歩みを進めた。


「殺せ!」

 オスグリアはエイクの言葉に応じず、短く命令を発する。

 それを受けて、ベアトリクスに組み付いていた兵士達が立ち上がり、地面に突き立てていた己の剣を掴もうと動いた。

 エイクにとっては好都合な行動だ。


 エイクは、オスグリアが命令を発したのと同時に全力で駆け出していた。

 そして、剣を掴もうとする兵士の1人に向かって、右から左へとクレイモアを振るう。クレイモアは兵士の首を捉え、これを切り飛ばした。


 その間に他の兵士は己の剣を手にして、ベアトリクスを攻撃しようとする。彼らも本来の目的がベアトリクス殺害である事を忘れていなかった。

 ベアトリクスは、兵士が離れた時点で上半身を起こしたがそれ以上動けない。兵士達の剣がベアトリクスに迫る。


 だが、この状況はエイクが想定していた中でもっとも都合が良いものだった。

 一人目の兵士を倒したエイクは、素早くベアトリクスの間近に移動しており、手にしたクレイモアを大きく左に振りかぶっている。

 ベアトリクスを攻撃しようとしている4人の兵士は、その全員がクレイモアの攻撃範囲に入っていた。


 クレイモアが一閃される。

 猛烈な速さと鋭さを帯びた一撃だ。兵士達にはその軌跡を見る事すら出来ず、対処の術を持たない。

 兵士達の剣がベアトリクスに達する前に、彼らはまとめて薙ぎ払われ、血しぶきを上げてはじき飛ばされた。

 全員が上半身に深い傷を穿たれている。いずれも致命傷だ。内1名などは完全に両断され、2名は両腕を切断されており、ばらばらに飛び散る。

 兵士達の身体が地面に転がった時、彼ら全員が絶命していた。呻き声を発する間すらない即死だった。


 ベアトリクスは余りの事に驚愕し声を失った。

 自身の頭上を、文字通り目にも止まらぬ速さで大きな剣が通り過ぎ、それによって自分を殺そうとしていた兵士達が一掃された。

 信じがたい状況だ。血しぶきがベアトリクスを汚したが、それを気にする余裕もない。


 だが、危険が去ったわけではなかった。

 オスグリアとその周りの兵たちも驚愕していたが、それでも彼らは動きを止めてはいない。板金鎧の男がオスグリアを守るようにその前に立ち、他の弓兵達は弓を構えた。

 ベアトリクスを囲む兵が一掃されたことによって、彼女への射線が通るようになっていた。


 ベアトリクスもその事に気付いた。弓矢は正に放たれようとしている。座り込んだままでは避ける術はない。思わず目を閉じる。

 だが、覚悟した痛みは何処からも生じなかった。


「くァ」

 そんな声が聞こえる。

 

 ベアトリクスが目を開けると、視界の右半分が何かに遮られており、その先で弓兵の1人が胸元を押さえて苦しがっているが見えた。

 何者かが弓兵を攻撃したのだ。

 そして、ベアトリクスは自身の視界を遮っているのが、先ほど兵士達を薙ぎ払った男の身体だと気付いた。しかも、目の前にあるその左足の太腿には矢が刺さっている。


(私を庇って?)

 そうとしか思えない状況だった。

 兵士を一掃して自分を助けてくれたこの男は、今度は身を以って自分を庇ってくれたのだ。しかも、何らかの形で弓兵に反撃したのだろう。


 事実、男はベアトリクスの右側の少し前に立ち、左手一本でクレイモアを持って腰だめに保持し、右手にはスティレットを構えている。

 そして左足をベアトリクスの前に伸ばしてあえて矢を受けていた。


 ベアトリクスが姿勢を変えて仰ぎ見ると、男の顔を垣間見ることが出来た。その端麗といってよい整った顔には自信に満ちた不敵な笑みが浮かんでいた。

「ッ!」

 ベアトリクスは息を飲み、男の顔から目を逸らす事ができなかった。


 その男、即ちエイクが笑みを浮かべたのは、自身の優位を確信したからだ。

 エイクは、介入した時点で十二分に勝機があると思っていた。むしろ、そう思ったからこそ介入したのである。

 だが、戦いに絶対はない。知りえぬ脅威が隠れている可能性は常に存在する。エイクは今回もそのような事も考えた上で戦いに臨んでいた。

 しかし、今の状況なら、流石に勝利は目前と考えていいはずだ。


 兵士達は予想通り一撃で倒せるほどに脆かった。おそらく、アストゥーリア王国の一般的な兵士よりも弱いほどだろう。

 ベアトリクスを庇う為にあえて受けた矢も全く脅威にならない。

 4本の矢の内1本は左手で保持したクレイモアで弾いた。2本は鎧にあたりはしたものの竜燐のスケイルメイルを貫く事ができず空しく地面に落ちた。1本だけはかろうじて太腿部分を覆うハードレザーに突き立ったが、強大なオドに裏打ちされたエイクの強靭な身体を穿つ事は出来ていない。

 エイクはまるでダメージを負っていなかった。


 反撃として右手で投じたスティレットは弓兵の1人に確かな傷を負わせている。流石に一撃必殺とは行かなかったものの、このまま射ち合ってもエイクの方が有利だ。

 敵には、投げナイフの射程外まで離れて弓矢を射つという手もあるが、そんな距離をとられたならば、襲われていた女を抱きかかえて逃げてしまえばよい。それで女を救う事は出来る。


 敵の指揮官らしき女とその前に立つ板金鎧の男は、他の兵士達とは格が違う強者のように見える。しかし、それは兵士達と比べればの話であって、エイクから見れば格下のようだ。

 その2人が明らかな驚愕の表情を見せており、しかも何ら有効な動きも出来ずに守りを固めているところをみると、エイクの見込みは正しいのだろう。


 弓兵達は第二射を放とうとする。エイクはそれに先んじて魔道具の効果により手元に戻って来ていたスティレットを投ずる。スティレットは先ほどと同じ男の胸元に突き刺さり、その男は昏倒した。

 対して、弓兵たちの矢は、やはりエイクに何の痛痒も与えなかった。


「退くぞ!」

 オスグリアがそう叫んだ。そして、直ぐに身を翻す。

 彼女も、当然ながら自分達が圧倒的に不利だということに事に気付いていた。

 3人の弓兵は速やかにオスグリアの後に続く。


 板金鎧の男だけは直ぐには退かず、紐を通して首から提げていた笛を左手に持つと、それを口にあて大きく息を吐いた。ピィ~という高い音が鳴る。それは退却を知らせる笛だった。

 ベアトリクスの捜索は広範囲で行われており、この場に集まってきた者達以外にもまだ仲間がいる。その者達にも退却を知らせたのだ。


 だが、これは不用意な行いだった。笛を吹くならば、エイクから十分な距離をとってからにするべきだった。

 板金鎧の男の行いに隙を見出したエイクは、即座に全力で駆けた。スティレットを手際よく右腰の鞘に収め、クレイモアを両手で持って右上に構えている。


 男もエイクの動きに気付き慌てて両手でロングソードを持った。そして、袈裟切りに振り下ろされるクレイモアを防ごうと構える。

 しかし、エイクの振り下ろしはフェイントだった。

 クレイモアはロングソードの手前を通り過ぎ、その後に前へと突き出される。そして男が着る板金鎧の腹部を穿った。 


「ごほっ!」

 男がそんな声を上げる。致命傷ではないかかなりの深手だ。

 エイクは素早くクレイモアを引き抜き、攻撃を続行する。男もせめて一矢報いんと必死にエイクを攻撃した。だが、全く無駄だった。

 男のロングソードはエイクをかする事すらなく、逆にエイクの攻撃は的確に男を捉える。僅かな間の一方的な攻防の後に、男は息絶えて倒れ伏した。


 その間にオスグリア達はその場から逃れていた。だが、エイクに深追いするつもりはない。

 エイクはオスグリア達が逃げた方向に目を向けたが、直ぐに視線を切ってスティレットの攻撃により倒れた弓兵の下に向かった。弓兵はまだ生きていた。


(この場で尋問する余裕はないし、捕虜にして連れて歩くのも無理だな)

 エイクはそう判断すると、弓兵の首にクレイモアを突き立て止めを刺した。

 そして、弓兵のサーコートを使ってクレイモアに付いた血糊を拭うと左腰の鞘に収める。

 そうしてからベアトリクスの方を向いた。

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