第40話 ヴェスヴィア辺境伯家②

 ボルドー河畔の戦い前は、ヴェスヴィア辺境伯家と他の旧貴族3家の関係はむしろ改善されつつあった。南方旧貴族の中で最も有力だったルクスレク侯爵家の嫡男が、ヴィスヴィア辺境伯家の一人娘ベアトリクスの美貌を見初めて求婚し縁談が進んでいたからだ。

 だが、戦後その縁談は当然のように破談となった。更に、旧貴族3家はヴェスヴィア辺境伯家と断交した。

 ヴェスヴィア辺境伯は、それほどの悪影響を被ると思ってはいなかったらしく、エーミールにこの被害を補填する為に恩賞の増額を要求した。

 しかし、そのような要求が通るはずがない。


 戦後、アストゥーリア王国は、レシア王国と二重王国の両国から、捕虜の身代金という名目で実質的な賠償金を得ていた。だが、その金は大きな被害を被った南方旧貴族らへの補償や、活躍した者達への恩賞として使い果たされてしまっていた。

 むしろ、賠償金だけでは足りず、エーミールは私財をなげうって、秘かに国費に補填までしていたといわれている。

 当然ながら、恩賞の増額などする余裕はない。そもそも、一度定めた恩賞が後から覆されるようでは収拾が付かなくなる。増額要求など通るはずがなかったのだ。


 ところが、ヴェスヴィア辺境伯は納得せず、再三に渡って要求を繰り返した。

 この態度にエーミールは閉口し、ヴェスヴィア辺境伯を疎んじ敵視するようになってしまう。エーミールの派閥に属する者達も、当然これに倣った。

 こうして、ヴェスヴィア辺境伯はエーミール率いるルファス公爵派全体から敵視されるようになってしまったのである。


 加えて、その頃台頭しつつあった反ルファス派の者達もヴェスヴィア辺境伯を敵視するようになる。彼ら反ルファス派は、エーミールに反感を持つようになっていた南方旧貴族3家との関係を強化しようとしたからだ。

 当然、南方旧貴族3家に敵視されていたヴェスヴィア辺境伯との関係は悪化した。


 ルファス公爵派、反ルファス公爵派の両方から敵視されるようになってしまったヴェスヴィア辺境伯は、どちらの派閥にも与していなかった外務大臣バーミオン侯爵に接近しようとした。しかし、バーミオン侯爵からも冷淡な態度をとられてしまう。

 バーミオン侯爵としても、そのような状況になったヴェスヴィア辺境伯と親しくしても悪影響しかないのだから、これも当然のことだっただろう。


 こうして、ヴェスヴィア辺境伯は政治的に孤立してしまった。

 つまり、現在ヴェスヴィア辺境伯とその領土は、地理的にも政治的にも孤立しているのである。

 そして、この事こそがエイクが拠点にするのに都合がいいと思っている理由だ。


 エイクは南方との行き来に、竜に変身したアズィーダを使うつもりだった。そうすれば移動時間を大幅に短縮して効率よく動く事ができる。

 だが、竜化術の存在を隠したいエイクとしては、街や村、そして街道の近くなどの人目がある場所を飛ぶのは好ましくない。生粋の竜ではないアズィーダは、人が視認できないほどの遥かな上空を飛ぶ事が出来ないからだ。

 必ず見られてしまうほどの低空飛行しか出来ないわけではないが、頻繁に人目がある場所を飛んでいれば、いずれは見とがめられてしまうだろう。


 この点でヤルミオンの森の中に突出しているヴェスヴィア辺境伯領ならば、ヤルミオンの森の上空を飛んで、人に見られる心配なくその直ぐ近くまで接近することが出来る。

 ヴェスヴィア辺境伯領から、他の南方辺境領に出るのに時間を要するが、アズィーダの使いやすさという利点の方が大きい。


 政治的に孤立している点も好都合だ。

 万が一ヴェスヴィア辺境伯家と敵対するようになってしまっても、その影響が他に波及しないからである。


 エイクは、自分がアストゥーリア王国において軽視できない存在になっていると自覚していた。

 アルターも指摘したように個人の武力という面だけでも無視できないし、今や相応の名声も得ている。

 その上詳しく調べれば、エイクが王都の裏社会にかなりの影響力を持っている事すら知る事ができるだろう。


 そんな軽視できない人間が、特定の地方貴族の領土に頻繁に出入していれば、その地を治める貴族が接触を図ってくる事は十分に考えられる。

 そして、その接触の方法が友好的なものになるとは限らない。何か不当な圧力をかけてくることもあり得る。そうなれば、敵対することになるかもしれない。


 もしも貴族家と対立関係になってしまうと、普通はその家だけではなく、その家と緊密な関係にある他の貴族家とも対立することになる。それは相当に面倒な事態だ。

 だが、孤立状態のヴェスヴィア辺境伯家ならばそのような事にはならない。

 対立関係になってしまっても、ヴェスヴィア辺境伯家だけを相手と考えればよいのである。

 そしてエイクは、ヴェスヴィア辺境伯家だけを相手にするならば、対立しても優位に立てる可能性があると思っていた。


 ヴェスヴィア辺境伯家が一定の軍事力の保持を認められているといっても、通常運用できる常備兵力は500を超えることはない。

 エイクといえどもその全員を一回の戦いで倒すことは流石に無理である。しかし、全兵力を常に一箇所に集めているはずがない。当然ある程度分散しているはずだ。

 そして、エイクなら、並みの兵士100程度を一度に討つことが出来る。それが出来るなら、やり方次第ではエイクたった1人でヴェスヴィア辺境伯軍に対して、軍事的に優位に立つことも可能だ。


 加えて、政治的に孤立しているという事は、大した政治力を持っていないということでもある。

 炎獅子隊長や近衛騎士隊長といった要人と知己を得ており、間接的にエーミール・ルファス公爵から仕官を勧められているエイクの方が、政治的に有利とすらいってよい。

 更に言えば、相手を貶めるとか、不利な状況に陥れるといった工作活動においても、王都の有力盗賊ギルドを配下においているエイクの方が有利だ。

 要するに、いろいろな意味でヴェスヴィア辺境伯家は、今のエイクなら対抗出来る貴族といえる。


 これらを前提にすれば、もしも辺境伯家の一族の誰かなり有力家臣なりを味方に引き込むことが出来れば、当主から実権を奪い実質的に家を乗っ取ることすら不可能ではない。

 飛躍が過ぎる話ではあるが、エイクが勝ち切ってしまう可能性も見込めるということだ。


 無論、辺境伯領軍や最近雇ったという傭兵団に飛び切りの猛者がいるかも知れないし、表面的には知られていない要素などもあるかもしれないから、確実に勝てるなどとは言えない。

 だが、勝てる可能性も確かにある。

 そして、物事を、強いか弱いか、勝てるか勝てないか、という観点でみる事が多いエイクにとっては、勝てる可能性があるということは極めて重要だった。


 当然エイクも、自分の方からヴェスヴィア辺境伯に攻撃を仕掛けるつもりなどは全くない。

 だから、辺境伯家との対立云々は、辺境伯家の方からエイクに不当な圧力をかけて来た場合に限られる、『もしもの場合』の話しだ

 しかし、もしも現地の領主と対立することになっても勝てる可能性があるという事は、行動を余り制限しなくてもよいということであり、大きな利点といえる。


 そのような事も考慮して、エイクはヴェスヴィア辺境伯領へと飛んだ。

 だが、エイクには知る由もないことだったが、正に今この時に、そのヴェスヴィア辺境伯領では時ならぬ変事が勃発していたのだった。

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