第39話 ヴェスヴィア辺境伯家①

 南方辺境領の中で、エイクが拠点にしようと考えているのはヴェスヴィア辺境伯家の領土である。

 ヴェスヴィア辺境伯家は南方旧貴族なのだが、その中でも特異な存在となっている家だった。他の旧貴族達から白眼視されていたのだ。


 新暦1100年頃にアストゥーリア王国がヴィント王国を攻撃した際、当時ヴィント王国の伯爵だったヴェスヴィア家は本格的な戦が始まる前に真っ先に降伏した。それは殆ど寝返りといえる行為だった。

 他の南方旧貴族3家も結局はアストゥーリア王国に降ったのだから、傍から見れば同じともいえる。だが3家は、自分達は懸命に戦ったが武運拙く敗れ、その結果として降ったのであり、一戦も交えずに降伏したヴェスヴィア家とは違うと考えた。そして、ヴェスヴィア家を疎んじたのだ。

 彼らは、旧貴族4家といってヴェスヴィア家と一緒くたにされることすら嫌い、南方旧貴族3家と称した。


 大戦終結後、ヴェスヴィア家は辺境伯に格上げされた上で、南方辺境領でも最も西に配置された。そこはヤルミオンの森の中に突出しており、他の領地とは街道1本でつながるだけという正に辺境だった。

 だが、この措置はヴェスヴィア家を冷遇するものではない。むしろ優遇措置だといえた。


 その領地が優遇と言える理由の1つは戦場になり難い事だ。

 レシア王国との国境地帯である南方辺境領は、当然戦場になる事が多い。だが、西のヤルミオンの森の中に突出し、侵攻路から外れたヴェスヴィア辺境伯領ならば戦場となる可能性は最も低い。

 事実、ヴェスヴィア辺境伯領成立後、その地が直接主戦場となったことはなかった。


 そして、もう1つの理由は、領内に迷宮が存在しており、その支配権もヴェスヴィア辺境伯家のものとされたからである。

 それは小規模な迷宮だったが、その代わりに出現する魔物や罠の種類などは完全に把握され、殆ど危険なしに魔石を得る事が出来るようになっていた。つまりそれは、ほぼリスクなしで魔石を得る事が出来る施設だったのだ。


 その上、そのような状態になっていながら、その迷宮では迷宮核がまだ発見されていなかった。

 このことは、迷宮内に未だに発見されていない未知の隠し部屋があることを意味していた。

 それは潜在的なリスクではあったが、同時に手付かずの古代の宝物を得られる可能性をも示している。見方によっては大変魅力的な施設だ。

 実際、当時のヴェスヴィア辺境伯家当主は、この領地に大変満足していたという。


 その後、ヴェスヴィア辺境伯家は、近隣の南方旧貴族たちとの関係は悪いままだったが、魔石をアストゥーリア王国の本国領域へ直接運び、それによって得られる金で大いに繁栄していた。

 ところが、今から6年前に情勢が変わる。

 領内の迷宮が枯れてしまったのである。


 小規模な迷宮では、魔物や罠そして宝箱などの出現が止まり、明かりなども消えて、機能が停止してしまうことがある。それが“枯れた”といわれる現象だ。

 こうなってしまうと、もう魔石は得られなくなる。それがヴェスヴィア領の迷宮で起こったのだった。


 この事態を受けて当代のヴェスヴィア辺境伯は、王国政府に損失を補償するように訴え出た。だが、却下されてしまう。

 迷宮が枯れるという現象は、ヴェスヴィア領の迷宮のように安全に管理されている迷宮で起こりやすい。つまり予想は可能な事態だった。

 だから、いずれそうなる事も考慮して、魔石による収入を元手に産業でも興しておくべきだった。それを怠ったのはヴェスヴィア辺境伯家の落ち度である。というのがその理由だ。


 実際、渡した直後に枯れてしまったというならばまだしも、渡してから60年以上も経った後の事にまで責任は持てない。というのは、尤もな話だろう。

 この結果、ヴェスヴィア辺境伯領は、他から孤立したただの辺鄙な領土になってしまったのである。

 更に、5年前のボルドー河畔の戦いによって、ヴェスヴィア辺境伯家の立場は更に悪化する事になってしまう。




 5年前、ヨセフス・フオーレル侯爵率いるレシア王国軍は、守りの堅い中央の要塞都市ピルネではなく、その西側の経路を使ってアストゥーリア王国への侵攻を試みた。

 西側の経路は大軍の運用には不向きな地形で、更に砦等の防衛用の施設が整備されていた。

 そして、レシア王国軍が迫った場合には、南方旧貴族達が中心となって、要塞都市ピルネから分派される部隊や北から送り込まれる部隊とともに抗戦することとされていた。そうして、中央からの援軍が駆け付けるまで時間を稼ぐ段取りだったのである。


 実際その時も、南方旧貴族たちは予め定められていた通りに布陣して、レシア王国軍を待ち構えた。

 ところが、そのような中で、ヴェスヴィア辺境伯軍は一戦も交えることなく撤退してしまったのだ。

 これによって防衛体制が崩れ、南方旧貴族軍は撤退を余儀なくされ大きな被害を被った。


 この結果、アストゥーリア王国侵攻の橋頭堡を確保したレシア王国軍司令官ヨセフス・フオーレル侯爵は、戦意が低いと見て取ったヴェスヴィア辺境伯に調略の手を伸ばした。戦後の領地の倍増などの条件を示して寝返りを誘ったのである。

 ヴェスヴィア辺境伯はこれに応じた。


 寝返ったヴェスヴィア辺境伯からは貴重な情報が多数得られた。

 再構築された防衛体制、ブルゴール帝国からの援軍が遅れている事、そしてアストゥーリア王国軍の本隊到着までにもうしばらく時間がかかる事、などである。

 そのような情報を得たフオーレル侯爵は、今こそが絶好の機会と判断し、ヴェスヴィア辺境伯軍を案内役として大軍を以ってアストゥーリア王国へ本格的な侵攻を開始した。


 西側の国境周辺は、起伏に富んだ森林地帯になっており、ボルドー河とその支流が複雑に流れ、そこを抜ける幾つかの細い街道を使って進軍するしかない。明らかに大軍の運用には向かない地形だった。

 しかし、地理に明るい現地軍の道案内があれば話は別。そんな判断もあった。


 だが、それは全て、アストゥーリア王国軍総司令官エーミール・ルファス公爵の策略の内だった。ヴェスヴィア辺境伯の寝返りは偽りのものだったのである。

 レシア王国軍が本格的な侵攻を開始した時、エーミールは幾つかに分割した部隊を複数のルートを用いて迅速に移動させていた。

 そしてヴェスヴィア辺境伯軍によって誘き出されたレシア王国軍の近くで集結させ、エーミール自身が自らこれを率いて一気に奇襲をかけたのだった。


 この作戦は成功した。レシア王国軍は一撃の奇襲で大打撃を被り、残兵は撤退した。これが、ボルドー河畔の戦いである。

 こうして、瞬く間にレシア王国軍を撃退したエーミールは、レシア王国軍と期を同じくして侵攻してきていたクミル・ヴィント二重王国軍へ向かって急行し、これも撃破した。


 この大勝利はアストゥーリア王国に有利な状況をもたらし、エーミール・ルファス公爵の名声は更に高まった。

 しかし、その為に被害を受けた南方旧貴族3家は、エーミールに対して強い反感を懐くようになる。

 そうしてまた、南方旧貴族3家から見れば実行犯とも言うべきヴェスヴィア辺境伯への嫌悪も一層高まることとなってしまったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る