第37話 ヤルミオンの森深部での戦い④

 周りの様子を見回し危険がないことを確認したセフォリエナが、ハーフエルフの少女の方に槍を向ける。すると、少女を取り囲んでいた茨が槍の柄に戻った。

 セフォリエナは解放された少女に歩み寄って声をかけた。


「怖い思いをさせてすまなかった。

 奴が化けたのが誰なのか、特定する事が出来なかったのだ。

 それに、今まで補助する者はいつも2人以上引き連れていたから、1人ずつ連れ出すのは不自然だった。だから2人ずつ何回かに分けて連れ出して、襲撃を誘ってみることにした。

 お前には悪い事をしたと思っている」


「とんでもありません。何のお役にも立てず、それどころか足を引っ張ってしまい、申し訳ありませんでした……」

 少女は心底申し訳なさそうにそう告げた。そして、躊躇いがちに言葉を続ける。

「あ、あの、すみません。私、誰にも何も言いませんから、だから、どうかお許しください」


 セフォリエナは小首を傾げて問い返した。

「ん? 何の事だ?」

「あの敵が、言ったことなんて……、何も……」


「ああ、あれか。気にする事はない。わざわざ人に語って聞かせる話ではないから知らない者も多いが、別に隠すほどの事ではない。概ね事実だしな」

「えッ」

 少女はそんな声を出してしまった。

「中途半端に聞かされても気になるだろうから、説明してやろう」

 そう言ってセフォリエナが話し始める。


「元をただせば発端は500年以上も前の話だ。

 当時私達は、フィンから大きな恩を受けた。こちらから一方的にフィンに攻めかかり、敗北し、皆殺しにされてもおかしくなかったところを助けられた。

 それだけでも大きな恩なのに、その上豊かな土地を譲り渡してもらった。現在のアストゥーリア王国の王都とその周辺の地だ。

 私はその多大な恩を忘れずに後世に語り継ごうとした。

 私にとって、それは議論の余地すらないごく当たり前の事だった。

 受けた恩に感謝し忘れない。当然のことだろう?


 しかし、父にとっては違ったらしい。

 父は己の力で邪悪な魔物を討って土地を手に入れたと称して移民を募った。その方が移民が安心して集まりやすいと言ってな。

 そして、虚言を用いる事に反対した私には、これは一時の方便で、いずれ真実を明らかにすると説明した。

 そんな事が、実に10年にも渡って続き、父は一向に真実を公にはせず、フィンから受けた恩はなかった事にされてしまいそうになった。

 私は父に抗議した。だが、受け入れられなかった。


 だから私は、これ以上の隠ぺいは許せないと考え、強引にでも皆に真実を伝えようとした。

 しかし、父には、私のその行為こそが絶対に許せないものだったらしい。

 父は何としても、自分の武功で土地を手にしたことにしたかったのだ。血を分けた実の娘であるこの私を殺してまでも」

「そ、そんなッ」

 ハーフエルフの少女はそう呟いて絶句した。


 セフォリエナは軽く首を横に振って言葉を続けた。

「私には全く信じられないことだった。

 だが、信じられないことはまだあった。

 以前から折り合いが悪いと思っていた異母兄が、まさかあれほどの悪意と害意を私に対して持っていたとは想像もつかなかった。

 父は私のことを、ただ殺そうとしただけだったが、異母兄はそれでは飽き足らなかったのだ。

 そしてまた、当時の私には人の持つ凶暴性がどれほどのものなのかも、まるで分かっていなかった。人というものは信じられないほどに凶暴だ。


 異母兄は、私を殺す前に多くの男達に与え、好きなようにさせた。その結果私に対して行われた行為は陰惨を極めた。

 当然だ。奴らは苦痛と汚辱と絶望の中で私を殺すつもりで、それを行ったのだからな。死ぬまでしようとするのは道理だ。


 実際、普通なら私は3回か4回は死んでいただろう。それほどの暴行だった。

 しかし私は死ななかった。フィンから貰っていた宝珠のおかげだ。

 だが、最後には槍で貫かれ、ついには指一本動かせなくなった。

 奴らはそれで止めを刺したと思って、私の体に油をまき火をつけた。

 死体が燃えていると思った奴らは、その場を後にした。

 それでも私の命は消えず、私に与えた魔道具の異常に気付いたフィンが、そこに駆けつけてくれた。


 フィンは私の命が消える前には間に合ってくれた。だが、もはや私の魂は身体を離れようとしており、そのままに生き続けることは出来ない状態だった。

 だからフィンは、死にたくないという私の懇願に応えて、極めて貴重で強大な力を持つある品物を用いて私を今の存在へと変え、生きながらえさせてくれたのだ。

 そして私は、それまでの名を捨て、セフォリエナとなった。

 あの時受けた苦痛は、私にとって忘れえぬ悪夢だ。

 しかし、何せ500年も前の事だ、それに私は一通り復讐を成し遂げた。今更口にするのもはばかれるというほどのことではない。

 フィンに、妻として受け入れて貰えたし、な」


「……」

 セフォリエナの身に起こった凄惨な出来事を聞き、少女は声もなかった。

 そんな少女にセフォリエナは更に言葉を続けた。

「だが、私は幸運だった」

「え?」


 驚く少女に向かって、セフォリエナは言葉を続けた。

「ああ、もちろんそんな目にあっている時点で、とてつもなく不運だということは分かっている。さすがに、あそこまで悲惨な目にあう女は少ないだろうからな。

 幸運といったのは、そのような悲惨な目にあった者達の中では幸運だという意味だ。

 何しろこうやって命を永らえ、復讐を遂げる事もできたのだから。


 考えてもみるがいい。この世の中でそういう悲惨な目にあった女は、当然私だけではない。

 過去には同じような被害者が沢山いたし、これからもそんな被害は幾つも生じるだろう。

 だが、そんな被害者の多くは、復讐など出来ずに苦しむだけか、或いはそのまま殺されてしまう。


 中には死した後にアンデッドと化して復讐する者もいるが、それもごく少数の例外的な事例だ。どれほど深い憎しみや恨みや怒りを抱いていたとしても、必ずアンデッド化するわけではないからな。

 憎しみや怒りのあまり魂が死後もしばらく現世に残るということは、実際よくあるのだが、その殆どはアンデッドになどなれず、いずれそのまま消え去ってしまう。

 結局のところ、復讐などを為せる者はごく僅かだ。それが現実だ」

 セフォリエナは一旦言葉を切った。

 そしてため息を一つもらしてから、話を続ける。


「更に言えば、そのような暴虐の限りを尽くした男達が、必ず罰を受けるとも決まってはいない。

 悪事を続けていれば、いずれは罰を受けることもあるだろうが、中には平穏無事な生涯を送る者もいるだろう。

 そんな者達は、自分が女を陵辱し惨殺した事に良心の呵責を覚えたり、罪の意識に苛まれたりはしない。

 それどころか武勇伝としてその事を自慢げに語り、場を盛り上げ、気分良く酒を飲んだりする。

 これは想像ではないぞ。私が報復をしようとして奴らに近づいた時、奴らの一部は本当にそうしていた。

 私を襲ったあの恐ろしい暴虐は、奴らにとっては、酒宴を盛り上げる愉快な思い出話だったのだ」

 セフォリエナの声は平静なものだった。だが、それでも憎悪と憤怒を隠しきれてはいなかった。


「私は報復を行った。怒りのままに、奴らを散々苦しめてから殺した。

 だが、そんなことが出来た例は数少ない。多くの場合被害を受けた女は苦しみを負って生きるか、それともそのまま惨殺されてしまう。

 そしてそれをした男どもは、笑って暮らして行く。許せないことだ。そんな事はあってはならないと思う。

 だが、そういうことは起こる。起こってしまうのだ。それがこの世界の現実だ。

 ふッ、正したいと思う気持ちも分からないではないな」

 セフォリエナは皮肉めいた笑いを漏らしつつ告げた。


「この世界に運命はない。それは希望であると同時に恐怖でもある。

 これから先何が起こるか分からないということは、今後私達が、あのような、いや、それ以上の暴虐を受け、今度こそ殺される可能性もあるということだからな。

 だが、そんなことを恐れても、嘆いても、まして世界そのものを憎んでも意味はない。

 今生きている我々は、全力で生きるしかないのだ。未来に何があろうとも、な。

 分かるか?」

「はい」

 ハーフエルフの少女はそう答えた。セフォリエナは言葉を続ける。


「そして、フィンに仕えるということは、この世界で最も価値のある尊い生き方だ。

 まだ、その理由を教えてやる事は出来ないが、もし、お前が相応の力を身につけたならば、とても大切な事実を知ることが出来るだろう。

 そのためにも、研鑽を怠らぬようにな」

「分かりました」

 少女はセフォリエナが言っていることの意味を、完全に理解したわけではなかったがとにかくそう答えた。


「よし、今日のところは城に帰ろう。先導を頼む」

「お任せください」

 少女はそう答えて、フィントリッドの城へと歩き始めた。

 それに続こうとしたセフォリエナは、一度振り返り、南西の方角を睨み付けた。


(カルレアータが単独で行動するはずがない。何らかの大きな策動が動いているはずだ。フィンは東に気をとられているが、西も無視できない。

 何か、手を打たねば……)

 そして、一層表情を厳しくしながら、そんなことを考えたのだった。

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