第29話 下水道跡にて

 翌日、エイクは予定通りセレナと2人で下水道跡に降りた。以前エイクがカーストソイルと戦った場所の調査がその目的だ。

 エイクは、ずっとカーストソイルの発生原因やその場所について気にしていた。


 ちなみに、下水道跡への入り口について、セレナは下水道跡の上面に穴を開ければいいと言っていたが、実際に作られた入り口はずっと大掛かりなものだった。

 廃墟区域内の、下水道跡に近い空き家に地下室を作り、そこから横穴を通して下水道跡の側面につながるようにしてあったのである。

 しかも、地下室への入り口と下水道跡への入り口には扉が備え付けられ簡易な偽装も施されて、少なくとも素人が簡単に見つけることは出来なくなっている。


 こうしておけば、下水道跡に入るのを見咎められる可能性は格段に下がる。気の効いた対応だといえるだろう。

 そして、短期間にこのような工事を行うとは、セレナが味方に引き込んだ技師は相当効率よく作業を行う術を持っているようだ。


 下水道跡では、一度中を探索した事があるエイクがランタンを持って先を歩き、セレナがその後に続いた。

 セレナは、エイクの背中を見ながら、自身が懐いている怯えを抑え込もうと努めていた。

 男に戦いで敗れ、筆舌に尽くしがたい陵辱を受けたセレナにとって、エイクのような自分よりも強い男は未だに恐怖の対象だ。そのエイクと暗がりに2人だけでいるという今の状況は、セレナを怯えさせるものだったのである。


(大丈夫よ、私はボスの役に立っている。だから、ボスは私が嫌がることはしないはず。実際、今までだってむしろ気を使ってくれていたのだから、急に態度を変えるとは思えない。

 それに、もしも、そんな気になるにしても、まさかこんなところで迫ってくるはずが無い。怯える必要は無いわ)

 セレナは自分にそう言い聞かせていた。


 エイクは、セレナの内心の怯えに気付く事も無く声をかけた。

「もう直ぐ正規の入り口の下になる。確か、最近下水道跡に降りる者はいなかったんだよな?」

「ええ、そうよ。地震で壊れた場所を修理して、軽く点検をした後は、誰もここに入ってはいないわ」

 セレナは内心の怯えを上手く隠し、特に声を乱すこともなくそう応えた。


「そうか。それなら、今いきなり誰かが降りて来る可能性は低いと思うが、一応気をつけてくれ。万が一にも偶々降りて来る者がいて鉢合わせにでもなったら、相当面倒な事になるからな」

 エイクは軽い調子でそう告げたが、内心では若干不快感を懐いていた。

(あの衛兵は、結局俺の助言を無視したわけだ)

 と、そう思ったからだ。


 エイクは以前衛兵隊からの依頼を受けて、この下水道跡でアンデッドを退治した。

 その時エイクは、カーストソイルという厄介なアンデッドがいたので、しっかりとした調査をすべきだと担当した衛兵に告げた。

 カーストソイルは、強烈な怨念を懐いて死んだ複数の者の魂によって生じるアンデッドである。つまり、カーストソイルが生じた場所か少なくとも直ぐ近くで、相当陰惨な惨劇が起こっていたはずなのだ。その事を理解すれば、綿密な調査を行うのが当然だ。

 にもかかわらず、調査が行われなかったということは、あの衛兵はその事に気付いておらず、恐らく上への報告も上げなかったのだろう。

 自分の助言が無視されたと思えば、やはり不快だった。


 だが、エイクは気を取り直した。

(まあ、お陰でこうやって直接調査が出来るんだから、結果的には良かったと考えるべきだろう。政府が大々的に調査をした場合、どんな結果になったか分かったものじゃあないからな)


 そんな事を考えつつも、エイクはオド感知能力を用いて、念のために上の様子を伺っていた。

 しかし、この辺は土の層が厚いようで、直上の様子くらいしか探れなかった。

 正規の入り口は王城前広場の南西の端あたりにある。エイクのオド探知能力が普通に働いていたならば、付近に沢山のオドを感知する事が出来たはずだ。

 しかし、エイクは、自身のオド探知能力が今はそれほど広くまで至っていないことに気付いていた。


(相変わらず、多くの土を超えてその先を探知するのは上手く行かない。だが、真上に人がいない事さえ分かれば今は十分だな)

 エイクはそう考えて構わず歩を進めた。

 そして実際、闖入者に出くわす事も無く入り口の下を過ぎ去り、目的の場所に到達した。


「前に言った、カーストソイルと戦った場所はこの辺だ。近くに何かおかしなところが無いか調べて欲しい」

 エイクはセレナに向かってそう告げた。

「ええ、分かったわ。少し待っていて」

 セレナはそう答えて、早速床や側面を調べ始める。


 そして、少し時間が経ってから、一通り調べ終わったセレナが、壁の一面を指し示しつつエイクに告げた。

「この壁の先の、かなり近いところに空洞があるわ。多分、相当広い空洞ね」

「そうか、やっぱりな……」

 エイクがそう呟く。

 セレナがエイクの呟きに反応した。

「やっぱり? 何か心当たりでもあったのかしら」


「ああ、そっちの方向に店を構えている商会の従業員が、俺がここでカーストソイルと戦っていた時に、地の底から響いてくるような唸り声を聞いたんだそうだ。

 その従業員が聞いたのは、多分カーストソイルの唸り声だろう。

 だが、ここの真上にあるハイファ神殿ではそんな音を聞いた者はいなかった。

 俺はその日ハイファ神殿に行く用があって、その時に何人かに尋ねてみたんだが、おかしな音を聞いたという者は誰もいなかったんだ。

 真上のハイファ神殿には響いていないのに、少しずれたところにある商会には響いていた。ということは、その商会の方には、下水道跡で発した音が響きやすくなる理由があったということだ。

 例えば、下水道跡の近くから商店の下まで続く広い地下室があるとか」


 エイクはそう言いつつ、オド感知能力で壁の先を感知しようと試みた。

 オドを感知する事は出来なかった。だが、それは、土のせいで能力が及ばないのではなく、能力は及んでいるが、今はオドを持つものが存在していないから何も感知できないだけのように感じられる。

 この事を考えても、やはりその先のそれほど遠くない場所に空間がある事は間違いないように思える。


 セレナがエイクに応えた。

「確かに、この先の空間に、ここで生じた大きな音が響くということはありえると思うわ。

 でも、良くそんな話を知っていたわね」

「この話は、あのアルマンドが俺の命令で集めた噂話の一つだ。奴も、結果的には役に立ってくれていたということだな」


 エイクを裏切り、そして粛清されたアルマンドだったが、生前はエイクの命によって噂話を集めそれをエイクに伝えていた。

 エイクは噂話程度でも何か得るものはあるかも知れないと思ってそんな事を命じたのだが、正に得るものはあったのである。

 エイクは、その時アルマンドから聞いた話をセレナに詳しく伝えた。


 話しを聞いたセレナは、その瞳を鋭く細めた。

「それは、かなり怪しいわね」

 そしてそう告げる。


「ああ、俺もそう思っている。だから、その方向で情報収集を進めてくれ。

 それから、この下水道跡とその空洞の事も、もっと詳しく調べたい。

 お前が仲間に引き入れた技師が使えるんじゃあないかと思うんだが、そいつはどんな者なんだ?」


「信用は出来ない男ね。そいつはドワーフなのだけれど、ドワーフにしては随分気が小さいわ。何しろ脅しに屈してレイダーからこちらに寝返ったくらいだもの。

 けれど、腕は確かよ。これもドワーフにしては珍しく精霊魔法の使い手で、特に岩土の精霊の扱いに長けているの。だから、土木作業の類は相当迅速且つ正確に行えるわ」

「……なら、やはりそいつを使おう。裏切りはもちろん、情報漏えいが無いようにだけ気を使ってくれ。

 シャルシャーラかバルバラが“禁則”の魔術を使えれば、それで縛ってしまえたんだがな」


 “禁則”の魔術は使用する為の前提となる魔術が多く、沢山の魔術を幅広く修得していかないと身に付けることが出来ない。

 シャルシャーラは極めて優秀な魔術の使い手で、バルバラの魔術の技量もかなりのものだ。しかし彼女らは、得意な分野だけを或いは必要な魔術だけを選り好んで修得していたために、“禁則”の魔術を修得していなかった。


 賢者の学院で、満遍なく多くの魔術を習った魔術師の中には“禁則”の魔術を使える者が何人かいる。しかし、“禁則”は軽々しく使ってはならない魔術とされており、使用の条件は厳しく定められている。

 このため、正規の方法でかけてもらうのは極めて困難だ。エイクが考えたような利己的な目的の為にかけてもらうのは殆んど不可能である。


 エイクはセレナへの指示を続けた。

「まずは、そいつにこの埋め戻された土の奥を調べさせてくれ。それで殺人行為の跡が見つけられなかったなら、カーストソイルが発生する原因となった残虐行為は、この下水道では行われていなかったとみていいだろう。

 とすれば、ここの直ぐ近くにある空洞で行われた可能性が相当高くなる。

 それがはっきりしたなら、その空洞への突入路を作っておいて欲しい。いざという時には、蹴破ぶって踏み込めるくらいにしておくんだ」


 エイクはその場所で残虐行為が行われたとするならば、それは重大な意味を持っていると考えていた。場合によっては、そこに強引に踏み込む必要が生じるかも知れないとも。

「分かったわ。そのくらいなら、それほど時間をかけずに出来るはずよ。もちろん情報管理には細心の注意を払うわ」

 セレナも真剣な表情でそう返した。


「頼む」

 エイクはそう告げつつ、自分自身の今後の行動についても方針を決めていた。

(やはり、南だ。南方を調べる必要がある。本格的な調査は後にするにしても、少なくとも南方辺境領のどこかに拠点だけは早めに作っておいて、いつでも南にいけるようにすべきだ)

 と、そう考えたのである。


 エイクは元々、この後自ら南方のレシア王国との国境周辺を調べるつもりだった。だが、セレナから北方のクファトラ山脈の近くに、魔剣の作り手がいるかも知れないという話しを聞き、そちらの調査を優先すべきではないか。とも考えていた。

 しかし、結局南方の調査を先に行う事に決めた。南方に何かがある。或いは、何かが起こる。そんな事を予想したからだ。

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