第7話 夜の訪問者①
チムル村の北に陣取っていた妖魔達を打ち破ったメンフィウス・ルミフスは、付近の警戒やその他の対応をサルゴサの部隊に任せ、その日の内にチムル村へと戻る事にした。
そして、暗くなってしばらく経った頃に帰還を果たし、チムル村周辺に設営していた野営地に入った。
メンフィウスらの帰還を受け、チムル村の村人達はようやく心から安堵した。村を包囲していた妖魔が退却した後も、周辺にはまだ多くの妖魔がいると聞かされていたからだ。
しかし、村の北に居たという妖魔も壊滅した。近くの森にまだ妖魔が潜んでいるというが、その妖魔共とほぼ同数の軍が村の直ぐ近くに駐留してくれている。
そして、村内には誰よりも頼りになるエイクをはじめとする、冒険者の面々がいた。
今の状況は、むしろいつもよりも遥かに安全だとさえ言えるのである。
ちなみに、メンフィウスら軍の幹部たちも兵と共に野営地に入っており、村内で寝泊まりするのは冒険者達だけだ。
中でもエイクは、ベニート村長の家に招かれ、1人だけで一室が宛がわれている。明らかな特別扱いだったが、その事に面と向かって文句をいう者は誰もいなかった。
エイクとしても、1人で一部屋を使えた方が気が楽であり、ありがたくその申出を受けた。
深夜、エイクは自分に宛がわれた一人部屋で寝台に横になっていた。
だが、眠りについてはいない。正確に言えばつい今し方目を覚ましたところだ。卓越した野伏としての鋭敏な感覚によって、扉の外に佇む者の気配に気付いたからだった。
といっても、その存在から殺気の様なものは感じられない。
オドの探知能力で探った限りでは、オドの強さも普通の人間程度。そして、体形から察するにその者は女性のようだった。
エイクが黙ってしばらく様子を伺っていると、やがて、トントンと、控えめにノックの音が響いた。
「……何かありましたか?」
少しだけ間をおいてから、エイクは扉の外へ向かってそう問いかけた。
すると、返答があった。やはりそれは女の声だった。
「レナです。……中に入ってもよろしいですか?」
その者は、ベニート村長の娘のレナだったようだ。
エイクは身を起こして、寝台に腰掛ける姿勢になってから答えた。
「別に構わないが」
その言葉を受け、扉がゆっくりと開かれ、その隙間から仄かな光が差し込んでくる。
開いた扉の向こうに立っていたのは確かにレナだった。
右手に持った室内用の簡易なランタンが弱い光を灯しているだけだったが、完全な暗視能力を持つエイクにはレナの様子が良く見えた。
レナは自らの言葉通りエイクの部屋に入り、そして後ろ手に扉を閉める。
レナは、薄手の布で作られた白いワンピース状の服を着ていた。袖はなく、胸元や背中が大きく開いていて、美しい肌が顕になっている。スカート部分には横に深い切れ目があり、歩くと太腿が垣間見えた。
エイクには、その魅力的な姿態がはっきりと見えていた。
エイクは思わず不埒な考えを持ってしまったが、それを以ってエイクを好色だと責めることは出来ないだろう。こんな時間に若い娘が、そのような服装で男の部屋を訪れたなら、誰でも色めいた事を想像するはずだ。
(ベニート村長が、俺とのつながりを深くしておくべきだと判断したのかな)
エイクはそんな事を考えた。
かつてチムル村を救った際に、エイクはレナの身体を報酬として受け取る事を辞退していた。その時ベニート村長は安堵した様子を見せた。やはり、いかに村の恩人だろうと、一介の冒険者に過ぎないエイクに、娘の身を差し出したくはなかったのだろう。
だが、エイクはあの時に比べて遥かに重要な存在となっている。
今回の英雄的といって差し支えない活躍や、軍の者達がエイクを重視している様子を見て、その事を察したならば、エイクと深い関係を結んでおく事に利益を見出してもおかしくはない。
そんな思惑によって、ベニート村長が娘のレナをエイクの下に差し向けたのかも知れない。と、そう考えたのである。
入室したレナは、緊張した様子で視線を下に落として、口を閉ざしている。
エイクはとりあえず声をかけてみることにした。
「こんな時間に、何かあったのかな?」
その言葉を受けたレナは、顔を上げエイクの方を見ると、左手を胸元に置き、一度深く呼吸をしてから、意を決した様子で口を開いた。
「エイク様。お慕いしています。どうか、私にお情けをくださいませ」
彼女はそんな事を口にした。エイクの想像は間違いではなかったようだ。
そして、レナの言葉に嘘はなかった。少なくとも彼女は、自分はエイクを恋い慕っていると思っている。
そもそもレナの目から見てエイクは、初めて会った時から好ましく映っていた。
その時レナは、村を救うために我が身を犠牲にする覚悟で、父と共の王都アイラナを訪れていた。村を狙うゴブリンロードを倒す冒険者を雇う為に、身売りをして金を工面する予定だったのだ。
そして、同行した行商人のムラトの提案で、娼館に赴く前に冒険者の店を訪れてみる事になった。レナの身体を直接報酬にして冒険者を雇う事を試す為だ。
望みは薄い試みだったが、成功すれば何人もの男の慰め者になるよりはましかも知れない。そう考えたのである。
レナ自身も、確かに特定の誰かの愛人となった方が、毎晩何人もの男に抱かれる娼婦になるよりもましだと思った。だが、当然ながらそれで心が晴れる事はなかった。レナは、冒険者とは凶暴な荒くれ者達だと思っていたからだ。
一体自分はどんな男に買われるのか。レナは恐ろしかった。
だが、実際に自分を買う候補者として現れたエイクは、レナが思っていたような荒くれ者ではなかった。むしろ目を引く金髪と美しい碧眼をもった見目麗しい青年だった。
少なくともレナにとっては、今まで見た中で最も格好がいい男性だった。
そして、父であるベニートと話す言葉使いは丁寧で、その内容も理性的で理路整然として聞こえた。それは、レナに大変好ましい印象を与えるものだったのである。
また、チムル村に戻る途中で、レナはエイクが戦う姿を目にした。エイクは襲い来るゴブリンやボガードを一刀両断にしたのだ。
もしも普通の街娘がそれを見たなら、妖魔が両断される様に恐れ慄いたかもしれない。だが、妖魔との戦いが頻繁に起こり、妖魔の死体を見ることも珍しくない辺境の村で生まれ育ったレナにとっては、それは恐ろしい行いではなく、これ以上なく頼もしいものだった。
更に、エイクの実力はそんなものではなかった。チムル村を恐怖のどん底に陥れていたゴブリンロードや、それ以上に恐ろしい存在だったオークやトロールさえ、いとも容易く倒してしまったのである。
しかも、その間の行動も迅速且つ的確で、村を救うために全力で行動してくれているように見えた。
そのエイクの活躍を聞いたレナは、自分の身体が火照るのを感じた。体の芯が熱を帯びているようだった。
その後エイクの活躍を讃える宴の席で、今も身につけている薄手の服を着てエイクの傍らに侍った時にも、嫌な気はしなかった。その後に起こる事を想像してもだ。むしろ、身に帯びた熱がいっそう高まるのを感じていた。
ところが、その直ぐ後、レナは父ベニートからエイクに抱かれる必要はなくなったと聞かされた。
その時レナは、自分が安堵ではなく落胆している事に気付いた。そして、自分はエイクに抱かれたかったのだと自覚したのだった。
そのように思ったということは、つまり自分はエイクの事が好きになっていたのだ。レナは自分の感情をそう理解した。
その気持ちは今も衰えていない。
レナがエイクの寝室に忍んできたのは、エイクが予想したとおり父にそのように言い含められたからだった。しかし、レナ自身もそれを望んでいた。せめて自分の気持ちを伝えるだけでも伝えたかった。
「私を、抱いてください」
レナは更に続けてそう口にした。
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