第8話 夜の訪問者②

 エイクは、思いを告げるレナを見ながら、何か考えるように眉間にしわをよせた。そして、少し間をおいてから口を開いた。

「そんな風に言って貰えるのはうれしいよ。けれど、だからこそ、その気持ちには応えられない」


 レナはその答えを聞き、無言で視線を落とした。

 それは予想されていた答えだった。

 もしエイクに自分を望む気持ちがあったなら、前の時に要らないなどと言うはずがなかったのだから。

 レナはそう考え、断られ惨めな気持ちになる事も覚悟の上で、それでも思いを伝えようと考えてここに来ていた。


「……やはり、私などは相手にしてもらえないのですね」

 レナは俯いたままそんな事を口にした。

 彼女は“黄昏の蛇”という冒険者パーティのメンバーの殆んどが、エイクと関係を持っているという事を聞き知っていた。そして、その女達は皆、自分よりもずっと美しいと思っていた。

 そんな女達と付き合いがあるエイクが、今更自分などに興味を持つはずがない。レナはそう考えていたのである。


 だが、エイクはレナの言葉を否定した。

「そんな事はない。あなたはとても魅力的だ。

 ただ、俺は人を好きになるという気持ちを大事にしたいと思っている。だから、俺の事を好きだと言ってくれる人に、軽い気持ちで手を出すつもりはない」


 レナにはエイクが言ったことの意味が良く分からない。彼女は視線を戻してエイクを見た。

 そのレナに向かってエイクが己の考えを告げる。


「もう知っているかも知れないが、俺は何人もの女に手を出している。俺はそういう男だ。

 けれど、そんな俺でも、相手を好きになるという気持ちは大切なものだと思っている。それを蔑ろにはしたくはない。

 だから俺は、自分に好意を持ってくれる相手を、ただの欲望の対象として抱くつもりはない。それは、相手の好意を踏みにじる事だと思うからだ。

 自分に好意を持ってくれる相手と関係を結ぶなら、それは自分も同じように相手に好意を持った時だけ。そう決めている。


 そして俺は、複数の相手に対して同時に好意を持つつもりはない。それは、許されない背信行為だとも思っているし、実際、今までそんな気持ちになったことは一度もない。

 だから、複数の相手と、好きだという気持ちがこもった関係を持つ事はない。

 気持ちを抜きにして、契約とか勝負事の結果として、欲望を満たすだけの関係なら何人もと同時に結んでも、好きだという気持ちに基づく関係は一人としか結ぶつもりはない。


 あなたはとても魅力的だし、今も俺はあなたを抱きたいと考えている。

 けれど、それはただの欲望であって好意ではない。

 ……俺が、互いに好意を持って、気持ちがこもった、愛し合う関係を持ちたいと思っている相手、つまり、俺が好きな、そして俺の事を好きになって欲しいと願っている相手は、ずっと前から一人しかいない。

 そして、それはあなたではないんだ。だから、あなたと関係を持つことはできない。

 俺はそういう考え方をする人間なんだ。だから、あなたの気持ちには応えられない。

 あなたが、俺のことを好きだと言ってくれるからこそ、そのあなたを、欲望を満たす為だけに抱くつもりはない」


 レナは目を閉じてまた顔を伏せた。涙がこぼれそうだった。

 エイクが言っている事は、要するに他に好きな相手がいるから関係は持てない。ということだ。単純に振られたと言っていい。

 だが、それを言っている男が、何人もの女達と平気で関係を持っている者だという事実がレナを混乱させていた。

 レナにはエイクが言っている言葉の意味は分かっても、実感として理解することは出来なかった。


 普通に考えて、好きな相手がいるのに複数の女と同時に関係を持っているだけで、十分過ぎる背信行為だ。そんな背信行為を既に平気で行っているのに、自分には手を出さないということは、結局自分に魅力がないだけなのではないだろうか。

 それとも、自分の気持ちを大切に考えてくれた結果、手を出さないということなら、欲望目的だけで関係を持っている女達よりは重んじてくれたと考えるべきなのか。

 だが、どちらにしても自分のこの気持ちは叶わないのだ。そう思うと、やはり悲しかった。


 混乱と悲しみによって心を乱すレナに向かって、エイクが更に告げた。

「それに、俺と関係を持つととても拙い事になる可能性がある。

 俺には強大な敵がいる。もし俺があなたと深い関係になったなら、敵はあなたが俺に対する人質になると考えるかもしれない。そうなると、あなたに、そしてこの村にも危険が及んでしまう。あなたが浚われるような事になるかも知れないんだ。

 そうならないためには、俺とあなたやこの村の間には、それほど深い付き合いはないと思えるようにしておいた方がいい」


「ッ!」

 レナは思わず息を飲んで顔を上げた。彼女は、冷や水を浴びせかけられたような思いをしていた。色恋の話と思っていたものが、急に身の危険に関する話になってしまったからだ。

 エイクは更に言葉を重ねる。


「とりあえず、今の話をベニートさんにも伝えてほしい」

「は、はい。分かりました」

 レナはそう応えた。

 彼女がここに来たのは、自分の気持ちだけではなく父の意向でもあった。だが、その父も、今エイクが口にした危険について承知しているとは思えない。確かに直ぐに伝える必要がある。


「私の気持ちを聞いてもらえて、真剣に考えてもらえた事はうれしかったです。ありがとうございました」

 そう告げて頭を下げると、レナは去って行った。


 レナが去った後、エイクは一度大きく息を吐いた。そして改めて寝台に横になった。彼は、自分は適切な行動をとる事が出来たと考えていた。

 レナのことを魅力的だと思ったのも、抱きたいという欲望を懐いたのも事実だ。惜しい事をしたという気持ちもある。

 だが、その欲望を抑えることが出来た自分に、エイクは満足していた。なぜなら、彼にとってそれは誠実な行いだったからだ。


 好意に基づいて愛し合う関係を持ちたいと願っているただ一人の相手、即ち初恋の相手である“伝道師”に操を立てることが出来た。と、そう思っていたのである。


 エイクの中では、欲望を満たす為だけの関係と、好意に基づき愛し合う関係は、全く別のものと認識されている。

 前者のような心がこもらない肉体だけの関係なら複数の女と交わすが、後者はたった一人としか交わすつもりはない。

 複数の相手に同時に好意を向けることはあり得ないことだし、自分は好意を持っていないのに、相手の好意だけを受け取る事も、許されざる行いだと思っているからだ。

 つまり、愛する“伝道師”が、自分を愛してくれた時にしか、愛し合う関係は結ばない。


 エイクはそんな風に考えてレナの思いを受け取らなかったのである。

 エイクの中では、それが誠実な行いということになっていた。

 つまり逆を言えば、感情を伴わない肉体だけの関係なら、同時に複数の女と結んでも不誠実な行いにはならないと思っているのである。

 まったく愚かな考えだというべきだろう。


 エイクは、戦いや冒険に役立つ知識に限っては並みの賢者を超えるほど詳しかった。

 だが、実際のところ、今までの人生の殆どを強くなる為に費やしてきた、世間知らずの若者に過ぎない。

 彼は、自分の言動が酷く傲慢で、身勝手なものだとは思っていなかったのだった。

 エイクは、手前勝手な満足感を懐いたまま、改めて眠りにつこうとしていた。

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