第5話 闇梟隊長の懸念

 その日の夜。王都アイラナにあるルファス公爵邸の一室。

 そこで、軍務大臣エーミール・ルファス公爵が、ヤルサック・レイラインという男と密談を交わしていた。


「ヤルミオンの森の深部の調査を行わず、異常なしという報告だけ上げろというのですか?」

 ヤルサックはエーミールからの命令を受けて、思わずそう問い返した。命令が承服しかねるものだったからだ。


 ヤルサックは、アストゥーリア王国が組織する六つの精鋭部隊の内、諜報や工作活動を行う闇梟隊の隊長である。

 当年42歳。これといった特徴のない容姿で、少し小太り。素早い動きは不得手なように見える。だがそれは、相手を油断させるためにあえてそう見せているものだ。


 彼は平民出身の諜報部門の叩き上げで、闇梟隊長となった今も必要な時には自ら工作活動を行っており、斥候として王国内でも有数の技量の持ち主だった。

 隊長就任時に一応男爵位を得ているが、それも引退するまで公開される事はない。王国の為に闇で働くのを専らとする男だ。


 そのヤルサックの問いに、エーミールが応える。

「そうだ、調査は炎獅子隊が周辺部を行うだけで十分だ、深部まで手を伸ばす必要はない」

「……」

 ヤルサックは口ごもった。やはり、納得出来なかったからだ。


 彼は今迄、エーミールの命に忠実に従っていた。

 それが王国政府の仕事ではなく、エーミールが率いるルファス公爵派の為の仕事でも同様だった。そのため、彼はルファス公爵派の主要構成員と見なされている。


 だが、ヤルサックはエーミール個人に忠誠を誓っているわけではない。

 軍司令官としてのエーミールの力量を深く理解し、現在のアストゥーリア王国の苦境を乗り切ることができるのはエーミールのみと確信しているからこそ、エーミールに付いていたのである。


 エーミールが権力闘争に敗れの権力の座を追われれば、敗戦は免れない。そう思っているから、エーミールの派閥の為にも働いている。つまり、彼なりに国の為を思ってのことだった。

 そのヤルサックにとって、今の命令は承服し難かった。国の為になるとは思えないものだからである。

 

 ヤルサックはエーミールに訴えた。

「大臣、そのお考えには賛成しかねます。

 闇の担い手に率いられた、万を超える妖魔の軍勢が現われたとなれば、その背後には巨大な勢力があると考えるのが当然ではないでしょうか?

 はっきり言えば、ヤルミオンの森の深部に多数の魔族を統べる魔王が現われている事が懸念されます。しっかりとした調査を行うべきです」


 現状で得られている情報を分析したヤルサックとエーミールも、今回の妖魔の攻撃が互いに連携した一連のものであったと確信していた。

 だからこそ、ヤルサックはヤルミオンの森の深部もしっかりと調査しなければならないと考えていたのである。

 ヤルミオンの森の深部に立ち入ることが、アストゥーリア王国においてタブー視されていることは承知していたが、そんな事を気にしている場合ではない。というのがヤルサックの意見だ。


 だが、エーミールは首を横に振った。

「いや、あの森に深部に魔王が起つなどという事は起こり得ない。

 周辺部に魔族が屯す事や、強大な魔物が住み着く事はあっても、深部には無理なのだ。絶対に、な」

 ヤルサックは食い下がった。

「なぜそのような事が言えるのですか? その根拠を教えていただけますでしょうか」


「それは国家の最重要機密だ。そなたにも教えられん。

 本来なら、あの森の深部には魔王が起つ事は出来ないという事実だけでも、重大な機密情報だ。そなたを信頼するからこそ伝えたことだ。それで納得してくれ」

「……」

 エーミールにそこまで言われては、これ以上反論するのは難しい。だが、やはりすんなりとは納得できない。


 押し黙るヤルサックに向かってエーミールが言葉を続ける。

「それよりも、気がかりなことがある。

 今回の魔族の動きは、まず間違いなく我が軍の作戦を予め知った上で行われたものだ。そなたも気付いているだろう」

「はい、確かに」

 ヤルサックはそう答えた。

 実際、彼もその事を大いに懸念していた。王国内に、魔族に情報を流した者がいる。そのような懸念がある事も、彼がしっかりとした調査が必要だと考えている理由のひとつだ。


「それに関連して、気になることがある。

 アルストール一派の動きだ。魔族の動きを知った後の、奴の戦支度が早すぎる」

 エーミールはそう告げた。


 アルストール・トラストリアは、今月行われる国王の誕生を祝う式典で、光竜隊長に就任することになっている。

 だが、それは形式だけの事で、実質的には既に光竜隊長として王都防衛の任に就いていた。今回の妖魔討伐遠征に際しても、何事か変事があった際の対応は、アルストールが指揮することになっていた。


 そして実際アルストールは、妖魔の大軍の情報を得ると、指揮下の部隊に号令をかけ、傭兵を動員し、更に各神殿や賢者の学院に助力を願い、冒険者の店に緊急依頼を出した。

 神殿、賢者の学院、冒険者は、国家間の争いには基本的に関わらない。しかし、妖魔の大軍が押し寄せ、民に大きな被害が出かねない状況なら、互いに協力して事に当たるのが通例だった。

 だから、アルストールの動き自体はおかしなことではない。

 だが、その対応が早すぎる。エーミールはそう言っているのである。

 

 エーミールはそう考える理由を告げた。

「もちろん、奴らが実際に動き始めたのは、妖魔侵攻の一報があってからだ。だから、明白に矛盾はしない。

 しかし、予期せぬ事態の発生を知れば、どのような軍でも即座には動けないものだ。司令官には多少は考える時間が必要であり、どうしてもトラブルは起こり、多少の滞りは生じる。

 だが、今回の奴らの動きにはその滞りがない。いや、正確には全くないわけではないが、少なすぎる。並の者では見抜けまいが、わしの目は誤魔化せん。

 奴らは、予め魔族の侵攻を想定していたのだ」


「まさか、彼奴らが魔族と結託して事を起こすつもりだった、とでもおっしゃるのですか?」

 ヤルサックは疑わしげな様子でそう問うた。


「そこまで言うつもりはない。そなたにも分かるだろうが、流石にそれはあり得ないことだ。

 魔族の侵攻にあわせて蜂起などしても、魔族と通じる者には民も貴族も付いて来ないからな。

 言うまでもなく、そんな行為に神殿や賢者の学院が協力するはずがないし、アルストール指揮下の兵力だけでは近衛騎士隊に勝てぬ。

 もしも、何か特殊な戦力を有しており、近衛騎士隊に勝利して、儂を殺し、陛下を退位させ王位簒奪に成功しても、それでも後が続かない。


 その程度のことは奴らも承知のはずだ。だから、魔族と結託しての蜂起など狙うはずがない。

 結局のところ、魔族に与する者など受け入れられるはずがないのだから、王位簒奪を狙うアルストール共は魔族と結託などしないだろう。

 実際、奴らは迅速にチムルという辺境の村へ向かう準備をし始めていた。戦支度が早すぎると言ったのは、それも含めてのことだ。


 恐らく、奴らは魔族の侵攻があることを予め知っており、それを速やかに解決して武名を上げようとしたのだ。奴らが今最も欲しているのはアルストールの武功だからな。

 事実、チムル村が魔族に制圧されていれば、すかさずアルストールがこれを解放することになっただろう。神殿や賢者の学院そして冒険者達の力を合わせればそれは十分に可能だ。それが可能になるタイミングだった」


「その為に、王国内の情報を魔族に流したのもアルストール一派だと?」

「そうだ。更にいえば、奴らは魔族の行動を誘導できる伝手をもっている。と、儂はそう考えている。

 今回の魔族の侵攻で炎獅子隊が敗れたり、辺境の村を守れなかったりした場合、儂の権威にも傷が付くからな。魔族をそのように行動させ、儂の権威を貶め、自身の武功を上げたいのだろう。

 だが、結託しているというわけではない。最終的には魔族を自ら討って手柄にするつもりだったのだろうからな。つまり、魔族共を上手い事利用しようとしていたのだ」

 エーミールはそこで一拍間をおいた。

 そして、ヤルサックから反論が上がらない事を確認した上で言葉を続ける。


「要するに、アルストール一派を注意深く探ることが、結局は魔族の動きを探ることにもつながるということだ。

 だから、そなたは今までどおり、いや、今まで以上にアルストール一派の動きを探るのだ」

「畏まりました」

 ヤルサックはそう答えた。


「それともう一つ、そなたに頼みがある。南のレシア王国との国境周辺の情勢を探ってくれ。近いうちにレシア国境近くに行く予定があるのだ」

「畏まりました」

 重ねて述べられた依頼に対しても、ヤルサックは同じように答える。

 そして、その後しばらくエーミールと細かい打ち合わせを行ってから、ヤルサックはその場を去った。




 ヤルサックが部屋から出て行った後、エーミールが声を発した。

「どう思う? ユディート」

 すると、エーミールの右後ろの部屋の隅、誰もいなかったはずの場所から返答があった。

「そうねぇ、今までよりは用心しておくべきではないかしら」

 美しい女の声だった。


 その場所に、一人の女が姿を現していた。黒い肌に肩までの黒髪、身体に張り付くような衣服も黒を基調にしている。そして、先が尖った大きく特徴的な耳。ユディートと呼ばれた女はダークエルフだった。

 ユディートがいる場所は、照明の光も余り届いておらず、薄暗くなっている。だが、隠れることが出来るほどではない。いくら黒ずくめの姿をしていても、簡単に見つかるはずだ。


 ところが、国内有数の斥候であるヤルサックですら、ユディートの存在に気付いていなかった。

 ユディートは、錬生術を用いて気配を完全に消していたのである。エイクも用いる錬生術の奥義といわれる術の一つだ。だが、その隠避能力はエイクを超える。斥候としても卓越した技量を有しているからこそである。


 ユディートはエーミールの傍らへ向かって歩く。

 その姿は今までと正反対に強い印象を与えるものだった。歩みを進めるたびに、エルフにしては大きな胸や形の良い尻が魅力的に動き、匂い立つような色香が感じられるのだ。

 エーミールの右側に至ったユディートは言葉を続けた。


「あなたの言うことを、全て信じてはいないわね。

 少なくとも、ヤルミオンの森の深部を調査してはならない、ということに関しては納得していない」

「だろうな。だが、止むを得ん。あれ以上森の中の事情を教えるわけには行かぬし、まかり間違って深部に手を出されても困る。

 いずれにしても、わしも手が足りん。奴にもしっかりと働いてもらわねばならん」


「確かに、大事な時期なのだものね」

「ああ、お前にも苦労をかける」

「私は良いのだけれど、あなたは、もう少し自分自身のことにも気をかけるべきよ」

 ユディートはそう言うと、エーミールの右肩に両手を置き、身を寄せた。


「全てに万全を期せる状況ではない。どこかが疎かになるのは仕方がないことだ」

 エーミールはそう返した。

「今更もう止めはしないけれど……」

 そう言うとユディートは、エーミールの耳元に口を近づけて続きを呟いた。

「あなたの身を案じる者がいることも、忘れないでね」

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