第89話 神意の戦①

 別動隊を率いるモニサは、エレシエスたちがいるはずの本営に向かって走っていた。

 本営の方からの爆発音とそれに続いて響いて来た戦いの喧騒により、敵が自分達別働隊ではなく、本営を攻撃したと悟ったからだ。


 気は焦るが、それでもモニサは妖魔たちを先に走らせていた。

 恐るべき強敵の存在が予想される現状で、自分が先頭を走って、もしも真っ先に殺されてしまえば、この部隊を指揮する者がいなくなってしまう。そんな判断に基づく行動だった。


 そのモニサの前を走る妖魔たちが足を止めた。そこは、本営の様子がはっきりと見えるようになる場所だった。

(なぜ直ぐに合流しない?)

 モニサはそう訝しく思った。だが、その場所に近づくと、直ぐにその理由が分かった。

 妖魔たちの後ろから彼女が目にしたのは、地に倒れ伏す魔族達の中に立ち、平静な表情でこちらを見る人間、即ちエイクの姿だった。


「エ、エレシエス様……、リシアーネ……」

 モニサは倒れる者達の中に、敬愛する上官と、競い合う仲だった同僚の無残な死骸を認め、思わずその名を呟いた。

 

 しかし、モニサは仲間達の仇を討つべく動く事ができなかった。

 エイクの佇まいからは、ダメージを受けている様子が殆ど見受けられなかったからだ。

 そのことは、自分よりも格上といえる強者だったエレシエスと、いけ好かないところはあったが、精霊術師としての腕は確かで、剣士としても一流だったリシアーネを含む26名もの仲間達が、一矢も報いる事ができずに倒れたという、恐るべき事実をモニサに突きつけていた。


 しかも、モニサが爆音を聞いてからこの場に戻って来るまで5分程度しか掛かっていない。

 つまりこの凶行は、そのような短時間で行われたのだ。

 そんな事が出来る者に、自分と20名の仲間で立ち向かっても勝てるわけがない。

 モニサはそう理解せざるを得なかったのである。

 彼女は、攻撃を仕掛けるどころか、己が震えそうになるのを堪えなければならなかった。


 20名の部下達にも、その有様を見て平静でいられる者はいなかった。

 3体のトロールは全て怒りの形相を見せ、死を賭してでも戦う覚悟を決めている。

 6体のオークたちはみな動揺し、半数は歯を食いしばってどうにか闘志を示していたが、残りの半数は怯えの色を隠せていない。

 ボガード達の対応は様々だ。

 単純に怒りを顕にする者、息を飲んで動きを止めてしまっている者、そして、焦ってまわりの様子を伺っている者もいる。


 モニサには、その部下達に命令する事が出来なかった。

 勝ち目がないのは分かった。恐怖に駆られてすらいる。だが、それでも彼女の誇りと同志達への思いが、即時逃走という決断をする事を阻んだ。

 そんなモニサたちを見渡しながら、エイクが口を開く。

「どうした? お前達は掛かって来ないのか? 仲間達は勇敢だったぞ」

「くそッ!」

 モニサにはそんな悪態をつくことしか出来ない。




 エイクは、挑発的な台詞を告げながら、魔族達の様子を冷静な目で見て、対応を考えていた。

(この状況で動かないという事は、ここに居た連中より強い者はいないということだ。

 よほどの油断をしたり失態を演じたりしない限り、もう負けはない。

 とすれば、やはり捕虜を取った方がいいな。後ろの方にいる女オーガを狙うべきだろう)

 エイクはそう判断した。


 ちなみに、モニサが被っていたフードは脱げており、髪も乱れて、その1本角は明らかになっている。そして、魔法に対する強い抵抗力を有するエイクには、“認識阻害”も効いていなかった。


(他の連中は出来れば全て始末してしまいたいな。

 だが、こちらから突っ込んで、20体からの妖魔を即座に討つのは無理だ。その間に女オーガには逃げられてしまうだろう。

 何とか、向こうからこちらに、攻撃して来るように仕向けたいところだが……。

 とりあえず、この死体でも使って挑発してみるか?)

 エイクは足元に転がる指揮官と副官らしき者―――エレシエスとリシアーネという名なのだろう―――の死体を意識しながら、そんな事を考えていた。


 と、その時、エイクは異様な気配を感じた。

 どこからともなく、なにやら荘厳な雰囲気の音楽が聞こえてくるような気がしたのである。


(何だ!?)

 エイクは周りの様子を鋭く探った。

 それは、実際に音が聞こえているわけではなく、そのような雰囲気を感じたというだけだった。

 だが、何事か尋常ならざる事が起こっている。そう、彼の感覚が告げていた。


 そして、実際に異様なことが起こり始める。

 まず、突然その女オーガ――モニサ――が、奇妙な動きをした。

 大きく目を見開き、勢い良く顔を上に向けたのだ。


「お、おおぉ、おおおおぉ~!」

 その口から、そんな声が漏れる。

 そしてその両腕が、上から降る何かを受け止めようとするかの左右に大きく広げられた。


 それに続いて、妖魔たちも様々な動きをし始める。

 ある者はモニサと同じように天を仰ぐ。

 両手を胸元で組んで目を閉じる者。

 突如跪き、地面に額を擦り付ける者。

 立ったまま硬直して、滂沱の涙を流す者もいた。

 全ての妖魔たちがそんな動きをしている。


 それは異様な光景だった。だが、明らかな隙でもある。

 しかしエイクは、その隙をつこうとはしなかった。

 確かに隙ではあるが、かといって20体からの妖魔達を突っ切って女オーガまで到達できるほどのものではない。そんな冷静な判断もあった。

 だが、それ以上に、魔族達の異様な行動を見て、即座に動くという決断が出来なかったのだ。


(何が起こっている!?)

 エイクはそう考え、攻撃よりもむしろ警戒を強めた。


 やがて、天を見上げたままモニサが言葉を発した。

「今、我が下に、神王様のお言葉降りたり!」

「「「「「然り!」」」」」

 全ての妖魔がそんな叫びをあげて応える。


(神王、つまり、ダグダロアの言葉、まさか神託が!)

 エイクは戦慄を覚えつつそう思った。


 モニサが更に言葉を続け、妖魔たちが応じる。

「皆の者、神王様が、御照覧あるぞッ!!」

「「「「「御照覧あれ!!」」」」」


 モニサはゆっくりと顔を戻し、エイクの方を向いた。その魅力的な顔には至福の笑みが浮かんでいる。

 モニサの心には、最早、恐怖も、迷いも、何もなかった。

 

 確かにモニサは、己に語りかけて来る偉大なる存在の声を聞いていた。

 そして、その至高の存在を身近に感じたことで、モニサは、自分は矮小で塵芥ほどの価値ないと自覚した。その自覚は、己の生死や誇りなども全く無価値だという事を彼女に教えた。


 そして同時に、彼女は何も悩む必要などないことも理解した。自分は無価値なのだから、無価値な自分の生や死について悩むなど無意味なのだ。と、彼女は心の底からそう悟ったのである。

 そして、そう悟ると、彼女からは恐怖も迷いもなくなった。

 

 その無価値である自分に、至高の存在が語りかけてくれた。このことは、彼女に無上の喜びをもたらした。その言葉を得た事で、初めて自分に価値が生じた。自分は、今ようやく価値あるものになったのだ。

 その自覚は、モニサに至福をもたらしたのである。


 しかも、至高の存在は命令を与えてくれた。その命令に従う事は、即ち何の価値もない無意味な自分が、至高の存在の意志の一部を体現出来るという事を意味している。

 何という喜びだろうか、これに勝る喜びはない。そのような気持ちが、モニサの全身に沁み渡っていく。

 モニサの精神は歓喜で満ち溢れ、それ以外の感情をなくした。そして、その顔には自然に笑みが浮かんだのだった。


 モニサはエイクを指差し、笑顔のままゆっくりと告げた。

「喜べ、我ら神命を得たり。神敵、討つべし」


 20体の妖魔たちが、その声にあわせて一斉にエイクを見る。

 その顔は、全て満面の笑みを湛えていた。

 怒りも、怯えも、焦りも、闘志すらもない。幸福感に満ちた笑み。ただそれだけが全ての妖魔達の顔に浮かんでいる。


(うっ)

 エイクは息を飲んでたじろいだ。

 それは、どう考えても戦場で、しかも勝ち目がない敵を前にして浮かべるような表情ではない。

 余りにも異様過ぎる。


 モニサの言葉が続く。

「今、全ての条件が整った。“神意の戦”の時だ」

 “神意の戦”それは、神々ごとに定まった条件が満たされた時だけに発動できる、特殊な神聖魔法である。

 その効果は絶大で、術者を中心に半径100mほどの範囲にいる、術者と同じ神を信じる全ての者の、殆どの能力を底上げする。

 攻撃の巧みさも、その威力も、回避能力も、魔力もだ。

 それは、冒険者なら等級が一つ上がるほどのものである。

 下級なら中級、中級なら上級といえるほどの力を発揮するようになる。


 もしも、実力が伯仲している者が戦っていたなら、この魔法の影響は正に決定的だ。

 だが、今のエイクにとってはそこまでの意味はない。

 それほどの効果を受けても尚、目の前にいる魔族達はエイクの脅威にはならないからだ。

 エイクの実力はそれほど隔絶している。

 しかし、それでもエイクは一層警戒を強めた。

 ダグダロアの神聖術師によって“神意の戦”が発動されると、それに連動して発動が可能になる、ダグダロア特有の、そして悪名高い神聖魔法があることを知っていたからだ。


「皆、神王様に身命を捧げる者とならん」

「「「「「応」」」」」

 モニサがそう告げ、妖魔が応えた時、その魔法が発動され、全ての魔族がその効果を受け入れた事を、エイクは察した。


 その魔法の名は“捧命者”。

 その魔法は、術を受け入れた者の体を爆発物へ変える。そして、その者自身の意思によって爆発し、通常の魔法を遥かに越えるダメージを敵に与える。というものである。要するに、敵諸共自爆する魔法だ。

 

(いや、慌てるな。“捧命者”は、そこまで致命的な魔法じゃあない)

 エイクは自分にそう言い聞かせた。

 “捧命者”の効果を受け入れた者は、その者の強さに応じて強力な爆発物になる。だが、その効果は弱い者の方が効率がよいといわれる。


 最弱のコボルドの爆発が最大の効果を発揮した場合には、コボルドから見れば格上の存在である並みの兵士も即死させることが出来る。

 だが、上級の魔族の場合には、自分と同格程度の者しか殺せない。

 更なる強者の場合には、同格の者を殺す事も難しくなるという。

 だからこの魔法は、本来は、使い捨てに出来る雑魚を、効率よく使い捨てる為の魔法であり、強者を爆発物にするのは効率が悪いといわれている。

 

 その上、この魔法による爆発の効果範囲は狭い。概ね半径2mほどしかないのだ。

 更に、最大の効果を発揮させる為には、相手に密着する必要があるという。

 だから、この術の影響を受けて爆発物となった者は、敵に抱きつきながら自爆しようとする。それを上手く避けることが出来れば、受けるダメージを大幅に抑える事が出来る。

 加えて普通の魔法と同様に抵抗に成功する事で、更に威力を減ずる事も出来る。

 

 確かに普通の魔法よりは遥かに高威力であり、我が身を犠牲にするという異常性から悪名高い魔法ではあるが、実際のところ、多くの場合で一撃必殺と言えるほどのものではない。

 また、爆発を起こさせるのは術者ではなく、影響を受け入れた者自身であるため、少しでも死に対して躊躇いがあると、爆発しない事すらある。

 諸々考えれば、極端に恐れる必要はないはずなのだ。 


(不発を期待すべきではないが、俺なら、十分に凌げる)

 エイクはそう考え、ダグダロアの神託が下ったらしき瞬間から生じていた己の動揺を抑えた。

 それは、けして驕り高ぶった考えではない。

 エイクの実力なら、真正面から突っ込んで来るこの魔族共21名を、順々に避けるくらいわけはない。

 タイミング次第では爆発する前に一撃で切り捨てる事も可能なはずである。

 たとえ、相手が“神意の戦”の影響を受けていても、だ。


 その上、エイクの魔法抵抗力は相当に高い。マナの活性化によって魔法ダメージを軽減する事もできる。加えて、魔法ダメージ軽減の錬生術、熱ダメージ軽減の錬生術を重ねて発動して、その効果を得る事も可能だ。

 マナは大分消耗していたが、まだ魔石は温存しているし、自己治癒の錬生術も使える。

 不覚を取って1人2人程度に組み付かれて自爆されても、それでも死ぬ事はない。

 冷静に行動しさえすれば、十分に対処出来る。そのはずなのだ。

 

 エイクがそんな事を考えていると、モニサがまた仲間達に告げた。

「行こう」

 すると、先頭にいたボガード2体が、前傾姿勢になってエイクに向かって走り始める。武器を振るう態勢ではない。そして、その表情は至福の笑顔を浮かべたままだ。

 

 続いて、他の妖魔達も動いた。

 ダグダロア信者に特有の、悪名高き自爆攻撃が始まったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る