第88話 魔族の本隊を攻める④
エレシエスは、グレートソードを胸の前に構え、守りを固めていた。
特に頭部・首・心臓といった急所を確実に守る構えだ。
エレシエスは、こちらに向かってくるエイクを見て、自分よりも強いと判断した。だから、一撃で殺されてしまう可能性がある急所を守る事にしたのである。
襲撃者は自分よりも強い。だが、この場には25名の仲間がいる。彼らの援護を受ければ負けるはずがない。つまり、一撃で殺されなければ良いのだ。
そのように判断した上でのことだ。
だが、エイクは相手がそう考えるだろうと予想していた。
煙幕に紛れて、体勢を崩す護衛をすり抜け、エレシエスの前に駆け寄っだエイクは、その勢いのままに一瞬の遅滞もなく、エレシエスの右足目掛けて渾身の力でクレイモアを振り降ろす。
エイクの強烈な斬撃は、確実にエレシエスを捉えた。右足は膝の下で両断され、更に左足も踝の上で切り裂かれる。
「くぉッ!」
堪らずエレシエスはそんな声をあげて、あお向けに倒れる。
こうなってしまえば、エレシエスがこの戦いの間に自力で立ち上がるのは、ほぼ不可能だ。失われた四肢を治す魔法や霊薬も存在するが、それらは効果を発揮するのに1時間以上の時間を要するからである。
だが、そんな状態になっても、エレシエスは懸命に己の急所を守っていた。
そして、同時に最上級の回復魔法を唱えようとした。
このような状態になってしまったからこそ、尚の事、命だけは守らなければならない。彼はそう自覚していた。
(ちッ!)
エイクは心中で舌打ちをした。
彼は、一撃目で足を切って相手を倒し、倒れた拍子に顕になるだろう急所をすかさず突いて、二撃で相手を殺す事を目論んでいた。
だが、相手が構えを解かずに急所を守り続けたためにその目論見は外された。
エイクは瞬時に作戦を代える。
背中に装備したブロードソードを、右手で逆手に持って引き抜き、力の限りエレシエスの腹目掛けて突き下ろす。
エレシエスが苦痛に顔を歪める。
ブロードソードは腹部を覆う板金を貫き、エレシエスの身体を貫通して、更に背中の板金をも貫いて、深く地面に突き刺さった。
エレシエスは、ブロードソードによって地面に釘付けにされてしまった。
エイクはそうやって、エレシエスがこの場を逃れることが出来ないようにしたのだ。
エイクは、何としてでもここで敵の首領を殺すつもりだった。
「おのれ!」
そんな声をあげ、オーガ3人がエイクに切りかかってくる。彼らはエレシエスの比較的近くで、且つ爆煙の外にいたため、直ぐにエレシエスの窮地に気付いたのだった。
エイクは改めてクレイモアを両手で握り、素早く上体を起こし、オーガたちの方に向き直った。
「風よ!」
殆ど同時にリシアーネがそう告げる。すると、一陣の突風が吹き、爆煙が晴れる。
「ッ!」
リシアーネはエレシエスの窮状を目にして息を飲んだ。だが、すぐさま魔族たちに指示を出す。
「全力で魔法を使え。使用制限なし。エレシエス様の安全確保が最優先だ。
護衛は突撃しろ。これ以上エレシエス様を攻撃させるな!」
この場にいる16人の闇の担い手達全員が何らかの魔法を使える。加えてオークの内1体も古語魔法を習得していた。
都合17名の魔族が魔法を扱うのである。その全員が呪文を唱える。
エイクの背後から3人のオーガが迫る。彼らは呪文を詠唱したまま、手にした武器を振るおうとしている。
この者達も魔法と近接攻撃を同時にこなす事ができるのだ。
先にエイクに切りかかって来ていた3人も同様である。
魔法は相次いでその効果を発揮する。
まず最初に、エレシエスが唱えた最上級の回復魔法が完成した。切断された足の治癒は無理だが、生命力を回復させる効果はある。
リシアーネもまた最上級の“癒しの光”の魔法を用いてエレシエスを癒す。
オーガの1体が他の負傷者全員を対象に上級の回復魔法をかける。
中級防御の魔術を闇の担い手全員にかけるオーガもいた。
ドヴォルグはエレシエスに対して“守護の衣”を行使する。
“守護領域”の魔法を使う者もいる。
他の者達は皆、エイクに向かって攻撃魔法を唱えた。
“魔力の投槍”、“魔力の礫”、“自然発火”、“神の拳”、“大土塊”、“水刃斬”、“火炎槍”、“烈旋風”、“炎の矢”。
それらの魔法が複数唱えられてゆく。間もなくその魔法は効果を現すだろう。
そして6人のオーガが前後からエイクに切りかかってくる。この6人のうち3人は、上級中位に値する強者だった。
普通ならば絶望するしかない状況だ。
リシアーネは速やかに平静を取り戻していた。
足を切断され地に伏せるエレシエスを見た時には動揺したが、エレシエスが敵の奇襲を凌いで命を守った時点で、こちらが圧倒的に有利になったと考えたのである。
そして、自分達の魔法が問題なく発動してゆくのを確認し、優位を確信した。
(最早こちらの勝利は動かない)
彼女はそう思った。
襲撃者はたった1人しかいない。
その1人が恐るべき使い手であることは、エレシエスが瞬時に重傷を負ったことからも明らかだ。
そして、見張りの者達がこの敵を見つけられなかったという事は、身を隠す能力も桁違いだと言える。
だが、その恐るべき強さと身隠しの技術を持つ敵の奇襲を以てしても、エレシエスを殺すことは出来なかった。
そして、こちらには魔法の使い手が数多くいる。
近接攻撃を同時に行うのは精々6人が限度だし、乱戦状態のところに飛び道具を放つのは熟練の技術が必要だ。事実この場にはそのようなことが出来る射手はいない。
だが、魔法ならばそのような制約はない。
この状況では範囲攻撃魔法は使えないが、対個人用の魔法ならば、上から射線を通して、確実に襲撃者に効果を発揮することが出来る。魔法攻撃こそ、最も効果的に数の優位を発揮するのである。
最早この襲撃者は雨霰の如く打ち落とされる魔法によって、なす術もなく死んでゆくしかないのだ。
リシアーネはそう考えた。
確かに、普通ならそうなっただろう。
だが、エイクの力量は、既に普通といえる範疇を大きく超えていた。
リシアーネが勝利を確信したのとほぼ同時に、エイクもまた自分が有利だと考えていた。
(この程度の技量の魔法なら、どうということはない。勝てる!)
と、そう思っていたのである。
そして、エイクの考えの方が正しかった。
次々と発現する攻撃魔法がエイクの身体を打つ。
だが、その殆どがエイクに対して何のダメージも与えない。辛うじて与え得たダメージもかすり傷程度だ。
そして六方から振るわれる武器も、或いは避け、或いはクレイモアではじき、竜燐で受けるなどして、ことごとく凌ぐ。
そしてエイクは攻撃に転じる。
彼は自分の周りを囲むオーガたちを先に倒す事にした。
周囲のオーガ達は、エイクがエレシエスを攻撃するのを少しでも阻もうとしている。その状況でエレシエスに攻撃を集中するのは容易ではない。
しかも、相変わらず急所を守り、“守護の衣”や守備力を高める複数の魔法の援護を受けたエレシエス殺すには時間がかかる。だが、地面に串刺しにされているエレシエスがそこから逃れるのは難しい。
このような状況なら、周りの者達を先に倒した方が良い。と、そう考えたのである。
エイクはクレイモアを振り回し、周囲のオーガ6人をまとめて攻撃した。
オーガ達は流石に精鋭ぞろいで、魔法の援護を受けていたこともあり、その1撃で死ぬ事はなかった。だが、無視できない傷を負った。
しかし、それ以上に彼らは動揺していた。夥しい魔法攻撃を今正に受け続けているにも関わらず、エイクが何の痛痒も感じていないかのように見えたからだ。
「躊躇うな! 魔法攻撃を続けろ。直ぐに保たなくなる!」
エレシエスに“生命力付与”の魔法をかけたリシアーネがそう告げる。
彼女もまた、エイクに対する魔法攻撃が余り効果を挙げていない事に気付いていた。だが彼女は、それは魔道具の効果だろうと考えた。
魔法抵抗力を上げる護符や魔法ダメージを肩代わりする宝珠を大量に身につけているのだろうと思ったのだ。
(護符や宝珠を身につけるにも限度がある。20も30もは無理だ。直ぐに使い果たすはずだ)
彼女はそう判断していた。
エレシエスは倒れた体勢のまま、“排圧”の魔法を行使した。ダグダロアを奉ずる神聖術師だけが使える特殊な神聖魔法で、対象に大きなダメージを与えつつ弾き飛ばす効果がある。
だが、エイクはそれにも耐えた。その場から動く事はなかったし、ダメージすらかすり傷程度に過ぎない。
ドヴォルグもまた“排圧”を使ったが、こちらも同様だった。
他の者たちも引き続き魔法を使い続けている。オーガ達が負った傷は速やかに直り、エイクに向かって次々と攻撃魔法が降りかかる。
しかし、エイクは全く怯まず、周りにいるオーガたちの武器攻撃をことごとく避け、逆に的確に攻撃を当てる。
エレシエスへ出来る限りの援護魔法をかけたリシアーネは、自身も“火炎槍”の魔法を唱えてエイクを攻撃した。
だが、その魔法を受けてもまともなダメージを負っているようには見えない。
いくらなんでも、そろそろ魔道具は尽きるはずなのに、だ。
(まさか、実力でこの魔法を全て凌いでいるとでも言うのか! そんな馬鹿な!)
リシアーネは心中でそう叫んだ。
辛うじて声に出す事はなかったが、彼女は愕然とし、味方を鼓舞する言葉を発することも最早出来なかった。
そしてまた彼女は他の事にも気付いた。周りに居るはずの手練れの見張り達が、一向に駆けつけてこないのである。
本営でこのような騒ぎが起これば、見張り達もそれに気づくはずだ。
当然見張りの仕事など放棄して駆けつけてくるはずである。優れた射手でもある彼らが駆けつけてくれば、情勢は有利になるはずだ。
ところが、駆けつけて来る者はいない。誰一人として、だ。
この事実は、リシアーネに恐るべき可能性を想起させた。
(既に殺されているのか! あの者達が、全員!?)
そう解釈するしかない状況だ。リシアーネは恐怖に慄いた。
他の者達にも動揺が広がってゆく。
「なぜだ! なぜ死なぬ!」
1人のオーガがそう叫んだ。
(お前達が弱いからだよ)
エイクは、近接する魔族へ的確な攻撃を続けながら、心中でそう応える。
魔族たちが動揺を顕にするのに比例して、エイクには余裕が出来て来ていた。
魔族達の動揺は、即ち、彼らにはもう打つ手がないことを証明していたからだ。
無論エイクも無傷ではない。
塵も積もれば山となるというように、かすり傷程度でも積み重なれば相応のダメージになっている。
しかし、エイクは時折自己治癒の錬生術を用いてダメージを癒していた。
魔法には実力以上の大成功という物が起こる事があるし、自分が足を滑らしたりして不覚をとる可能性もある。
多くの攻撃を受けているということは、そういうことが起こる可能性も増えるという事だ。そのような事が起こった際に大事に至らないように、確実に傷を治していたのである。
このことは、魔族達の動揺に拍車をかける効果があった。
自分達の攻撃が全く効いていないように見えたからだ。
倒れたまま必死に身を守りつつ魔法を使っていたエレシエスは、今更ながら自分達が戦っている相手の正体を察していた。
(金髪碧眼の人間の若い男、そして無双の戦士。こいつが、エイク・ファインドか! だが、これほどとは聞いていないぞ!)
しかし、正体に察しがついてもなす術はなかった。
エレシエスは、グレートソードを放し、己を刺し貫くブロードソードを握って、どうにか引き抜こうとした。
それを見たエイクは、エレシエスの右手をブーツで蹴りつける。
「ぐぁ!」
エレシエスは苦痛の声を上げた。エイクの蹴りとブロードソードの刃に挟まれ、親指以外の四指が切り飛ばされた。
打開策を見出せぬまま、とにかくエイクを囲んで攻撃し、魔法を放ち続けていた魔族たちだが、ついに決定的な事が起こり始める。
1人、また1人と、マナを使い果たす者が現れて来たのだ。
エイクを打つ魔法が減り、一層余裕が生じる。
そして、それ以上に魔族たちにとって重大な問題なのは、エイクから受けた傷を癒やす者が少なくなってゆくことだ。
最初にエイクを囲んだオーガたちが倒れ始める。
他の者が代わりにエイクを攻撃するが、それによって情勢が変わることはない。
やがて、全ての魔族のマナが尽きた。最も魔法に長けた、エレシエスやリシアーネも含めてだ。
「こんな、馬鹿な事が……」
リシアーネがそう口にする。
彼女には、今起こっている事態が信じられなかった。
相当の実力者を含む17名もの魔族が、マナが続く限り魔法を使って、更に包囲して武器攻撃も繰り返しているのに、たった一人の人間を殺せない。
だが、信じようが信じまいが、事実に変わりはない。魔法が使えなくなってしまえば、最早情勢は一方的だった。
援護魔法の効果はまだ続いていたが、それでもエイクを囲む者達は次々と倒れる。
倒れたオーガに代わりオークやボガードがエイクに打ちかかる。だが、格下の妖魔たちでは容易く倒されてゆくだけだ。中には一撃で切り捨てられる者もいる。
ドヴォルグも、本来接近戦に不向きなダークエルフも、攻撃に参加した。
身を挺してエレシエスを守り、別働隊が戻るまでの時間を稼ごうという悲壮な覚悟に基づく行動だ。
だが、無論エイクは手を緩めない。
一人、また一人と、魔族は倒れてゆく。
立っている魔族が4人にまで減ったところで、ついにリシアーネすらエイクの前に立った。
「おのれ!」
リシアーネはそう口にしながらレイピアを振るう。
その剣戟は一流といえるものであり、優れた鎧に身を包み、見た目以上のオドを有する彼女は近接戦闘も相当に優れている。
だが、それでもエイクの敵ではなかった。
レイピアは軽くかわされ、エイクのクレイモアによるなぎ払いを避ける事も出来ない。
その一閃で、リシアーネが倒れる事はなかったが、既に相当の傷を負っていた他の魔族たちは皆倒されてしまった。
立っているのはリシアーネだけだ。
エイクは一瞬の遅滞もなく、上段からの右袈裟切りの一撃を放つ。
リシアーネは守りに徹する構えを見せた。
だが、無駄だった。
エイクの一撃は、リシアーネのレイピアを砕き、そのままその身体を深く切り裂いた。
致命傷だった。
「も、申し訳……」
リシアーネは謝罪の言葉を述べようとしたが、最後まで口にする事は出来ずに打ち倒れた。
エイクは倒れるリシアーネに一瞥も向けず、エレシエスへと攻撃を移す。
倒れ伏し、地に釘付けにされ、マナも使い果たし、右手を深く傷つけられたエレシエスには、最早エイクに対抗できる術はない。
だがそれでも彼は、両腕で己の急所を守ろうとしている。
無様な行為のように見える。
だがエイクはそのオーガを嘲笑うような気持ちはなかった。むしろ、見事な覚悟だと思った。
(どんなに絶望的な状況でも、最後の最後まで諦めない。正しい態度だ。
だが、だからこそ、俺も絶対に油断せず、確実に殺す)
エイクはそう考え、素早く、続けざまにクレイモアを打ち下ろす。
一撃で“守護の衣”が消し飛ぶ。
二撃目で右腕が切断され、三撃目で左腕が切り飛ばされる。
そして、四撃目がついにエレシエスの首を捉えた。
「ごはッ!」
そんな声と共に大量の血が首から吹き出る。
エイクはそのまま更に一撃を加え、エレシエスの首を完全に切断した。
万を超える妖魔の大軍を指揮して、アストゥーリア王国西部に悲劇をまき散らし、王国の行く末に重大な影響を与えるはずだった男は、エイクの前になす術もなく死んだのである。
エイクは、特に感慨にふけるでもなく次の行動に移った。
倒れている魔族の中で、まだ息のある者にクレイモアを突き刺し、確実に止めを刺し始めたのである。
エイクはこの場にいる魔族たちの中から、捕虜を得るつもりはなかった。
エイクが捕虜を取ろうと思わなかった理由の一つは、魔族達の振る舞いから、彼らが非常に強い忠誠心を、それも、信仰心に基づく忠誠心を持っていると思ったからだ。
そのような者達が甘んじて虜囚となるとは思えない。最後まで抵抗するだろうし、場合によっては自害してしまうだろう。
捕虜を取ろうとする行為は無駄になる可能性が高いのである。
その上、森の外に向かっていた魔族たちの別働隊21名がもうじき戻って来る。エイクはオドの感知でその事に気付いていた。
引き続きその者達との戦いになることを考えれば、捕虜を捕らえておくのは尚更難しい。
エイクはそう判断していた。
もしも状況が異なり、捕虜を捕らえる余裕があったなら、恐らくエイクは、重要人物のように見受けられ、しかも容姿も魅力的だったリシアーネを捕らえようとしていたことだろう。
いずれにしても、エイクはこの場で気を失っている魔族を皆殺しにするつもりだった。しかし、その作業が終わる前に、別働隊の者達が戻って来た。
オドの感知だけではなく、多くの者が走ってくる物音も大きくなって来るし、木々の合間からその姿を垣間見ることすら出来る様になる。
エイクは生き残りの者達に止めを刺すのを止め、別働隊がやってくる方へ向き直った。
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