第84話 中途半端な決断

 フィントリッドから状況を聞いたエイクは、しばらく押し黙って考えをまとめた。

 そして、フィントリッドに問うた。


「確認するが、あなたから俺にテティスの救出を依頼するというわけではないんだな?」

「ん? 私の依頼がなければ動けないか?」


「そんな事はない。俺も自分の意思でも動く。

 あの女たちを失うのは惜しいし、厳しい戦いに挑むのも望むところだ。

 それに、俺もアストゥーリア王国に住む者として、魔族だの預言者だのに王国を好き勝手されては困る。

 諸々考えれば、動かないという手はない。

 ただ、自分の意思だけで動くか、それとも依頼を受けるかによって優先順位が変わる。それを確認したかっただけだ」


「それなら、私は特に依頼はしないということにしておいてくれ。

 そなたの行動の結果、テティスが助かるなら大変ありがたいが、それを最優先にしてくれとまでは言わない」


「なら逆にこちらから頼みたい事がある。

 チムル村の近くまで迅速に到達する手段を何か提供して欲しい」

「?」

 フィントリッドは、エイクがそんな依頼をして来たことをいぶかしんだ。

 エイクに仕える事になった女オーガのアズィーダが、竜に変身するという珍しい能力を有しており、移動手段としても使えるということを、セフォリエナからの報告によって知っていたからだ。


 だが、少し考えてエイクの意図を察した。

(あの女オーガの能力を、万が一にも魔族共に知られたくないということか。まあ、妥当な判断だろうな。だが、そうすると……)

 フィントリッドはしばし考え込んだ。


 フィントリッドが自ら魔族を討たずエイクを動かそうとしたのは、現時点でダグダロアの預言者と事を構えるつもりがないからだ。

 しかし、そのエイクをフィントリッドが支援するなら、それは結局預言者と敵対する事になってしまう。それでは、わざわざエイクを動かす意味がない。


(しかし、まあ、ばれなければ良いだけの事だ。移動手段くらいは構うまい)

 結局そう結論を出したフィントリッドはエイクに告げた。


「よかろう。私達が移動や輸送のために使っているグリフォンを貸そう。

 あの子達は人語を解するほどに頭が良いから、乗りこなすのに特別な技量を必要としない。かなりの高度を飛べるし、早さも小回りの良さも相当なものだ。

 だから、ただ乗っているだけで、魔族に見咎められる事もなく近くまで行くことが出来るだろう。私としてもそなたが早く動いた方がありがたいから、無償で構わない。

 ディディウス、手配を頼む」


「承りました」

 ディディウスはそう告げると深々と頭を下げてから退出した。


 そして、フィントリッドは更にエイクに向かって告げる。

「それから、そなたが魔族と戦う様は覗き見しない事にしよう。だから、存分に力を振るってくれ。

 その方がテティスが助かる可能性も高まるから、私にとっても好都合だ」

「……そうか」

 エイクは困惑しつつそう答えた。


 フィントリッドの発言を聞いて、セフォリエナは顔をしかめそうになるのをどうにか堪えていた。

(相手が既に察しているからといって、わざわざ監視していた事をこちらから公言する必要などないだろうに……)

 と思ったからだ。

(相変わらずフィンは交渉事が下手だ。こういう不用意なところは、本当に昔から変わらない。

 やはり、私がしっかりしないと……)

 そして、そう考えて、自分がこの偉大な夫を支えるのだという意識を新たにしていた。


 エイクはフィントリッドの発言に特に反応は示さず、自身も直ぐに出立の準備をする事にした。

 間もなくディディウスが2頭のグリフォンの準備を整え、エイクは早々に動き出した。

 まずは、アズィーダが実質的に拘束されている屋敷に向かい彼女と合流する。


 ディディウスの魅了の効果を解かれたアズィーダは、自分が何らかの精神操作を受けた事に気付いて不快気な様子を見せた。だが、エイクの命には従って同行を了承した。

 ちなみに、彼女は毛皮を適当に加工して、胸と腰回りを覆う簡易な衣服のように身にまとっている。

 そして、エイクとアズィーダはグリフォンに乗り、文字通りチムル村の方へと飛んだのである。




 フィントリッドが用意したグリフォンは、確かにとても優秀だった。乗り手が操作をする必要はなく、備え付けられた鞍に跨り、落ちないように摑まっていれば、勝手に目的地まで飛んだ。

 しかも、見つかり難いようにかなりの高度まで昇ってから目的地に向かい、着陸の際も、周りに大きな動物がいない事を見極めた上で降下した。

 エイクはこのグリフォンも、自分の知識にある普通のものよりも遥かに優れていると見て取っていた。


 エイクとアズィーダを乗せた2頭のグリフォンが着陸したのは、魔族たちが屯している場所からやや南に下った場所だった。

 魔族に見咎められないようにする為だ。

 フィントリッドが、エイクに力を貸した事を知られないようにする為にそうさせたのだが、エイクにとっても望むところだった。

 エイクには、いきなり魔族に攻撃を仕掛けるつもりはなかったからである。


 エイクとアズィーダは、身を潜めつつ北上してチムル村の様子が見える場所まで進んだ。

(まだしばらくは持ちそうだ)

 戦の喧騒が聞こえる中、チムル村を攻める妖魔たちの様子をその目で見たエイクは、そのような判断を下した。

 また、エイクたちがいる場所からは、ボルガドが率いる指揮部隊をその目で見ることも出来た。


 そして、森の中のフィントリッドから魔族が屯していると教えられたあたりに、実際に教えられたのとほぼ同じ数の人間大のオドがあることを感知していた。

 エイクが最初の標的にしているのは、魔族軍の本隊と思われるその者達だ。

 本隊を潰せばそれだけで魔族軍全体が相当動揺する。加えて前線で指揮を執っている者も倒せば、全軍崩壊となる事も十分にあり得た。

 エイクは、森の中のオドを注意深く探った。


(配置も、教えられたものと殆ど変わっていない。気になる動きもない。俺達の接近には気付いていないようだな。

 それに、強そうなオドもあるが、驚くほど強大というわけではない。予定していた通りにいけそうだ)

 エイクはそう考え、アズィーダに指示を出した。


「お前は、あと二時間くらい経ったら、そうだな、あの木の陰がその辺まで来たら、森の外にいる50ほどの部隊に攻撃を仕掛けろ。目的は敵を混乱させることだ。だから、無理に全滅させる必要はない。適当に戦ってから退却しろ。

 それから、姿を変える錬生術や竜化術は使うな。それを使うくらいならさっさと逃げろ」


 エイクがそんな事を命じたのは、アズィーダの持つ竜化術という特殊な力を魔族に知られるのを避けるためだ。

 エイクは確かに魔族を討つべきだと思っていた。

 だがそれ以上に、“虎使い”に対しても有効な手札になりえる、アズィーダの竜化術は隠すべきだと思っていた。

 この魔族たちを操っている預言者と、“虎使い”が一体の存在である可能性もあるのだから当然の判断である。

 そしてまた、能力を秘密にする事が力になるという“伝道師”の言葉に従ってのことでもあった。


 一方でエイクは、魔族たちを侮るつもりもなかった。

 エイクの今の強さを考えれば、この魔族達の中にエイクよりも強い者がいる可能性は低い。だが、絶対ということはない。

 そして当然、数も脅威だ。

 だからエイクは、戦う前にある程度の準備をする必要があると思っていた。

 竜化術という強力な能力を使わせないのだから、尚更準備が必要だ。それが勝つために全力を尽くすということだと思っていた。

 その準備の為に必要な時間がおよそ2時間というわけだ。


 だがこれは、非情な行為でもある。

 その2時間の間にもチムル村に対する妖魔の攻撃は続いており、それによって犠牲者が出るのは間違いないからだ。

 兵士に死者が出ないはずがないし、場合によっては村人やエイクの女達が死ぬ可能性もある。


 逆に竜化術を使うならば、少なくともチムル村を救うことは容易い。

 炎のブレスによって、一度に多数の妖魔を焼き払う事ができるし、下級妖魔の攻撃が竜の鱗を貫く可能性は殆どないからだ。竜に変じたアズィーダならチムル村を攻撃する下級妖魔たちを瞬く間に退けることが出来るだろう。

 エイクはそのような事を理解した上で、それでもその能力を隠し、しかも即座には攻撃しない事にした。

 

 それは要するに、今後の自分の戦いを不利にしないために、他者を見捨てることを意味している。

(先に待つものが闇でも魔でも、この道を歩むのを止めない。というのは、こういうことだ)

 エイクはそう思っていた。


 だがしかし、エイクは若干の逡巡の後、言葉を続けた。

「ただ、村が攻め落とされそうになったら、構わないから竜化して妖魔をなぎ払って村を救え」

「良いのか?」

 アズィーダがそう聞き返す。己の竜化の能力をエイクが隠そうとしている事を承知していたからだ。

「ああ」

 エイクは短く応えた。

 だが、この自分の判断は間違いだとも思っていた。


 エイクは自分のエゴの為に、見知らぬ兵士が死ぬ事にはさほどの抵抗を感じなかった。だが、チムル村の村人達が死ぬ事を考えると、心が乱れた。

 エイクは、かつてトロールのドルムド率いる妖魔の群れを倒してチムル村を救った後に、村人達が開いてくれた感謝の宴の事を思い出していた。

 それはエイクにとって、戦った結果を他者に喜んでもらった始めての経験だった。


 あの時の、自分に感謝の言葉を告げ、心から喜んでいた村人達の顔。丁重に対応してくれた村長のベニート、その娘のレナ、などの姿が思い起こされた。

 あの人々が、自分のエゴのせいで死ぬ。

 そう思うとエイクは平静ではいられなかったである。

 損得を考えれば、村人達など見捨てた方が有利なことも、兵士は見捨てるのに多数の村人は見捨てないというのは不公平だということも、分かっていた。それでも心が動くのを止める事が出来なかった。


(感謝の言葉は俺にとって毒、というのは正にその通りだ。その毒は今も俺の心を侵している)

 エイクはそう思った。

 だが、冷静に冷酷に行動すべきだと考えても、村人の事を思って心を乱してしまった時点で既に手遅れだ。

 そんな精神状態で戦いに臨むよりも、気持ちのままに行動して、出来るだけ精神を落ち着けた方がよい。

 そう思ってエイクは、チムル村が陥落し、村人の大多数が犠牲になる事態だけは全力で防ぐように、アズィーダに指示したのである。


 だからエイクは、自己嫌悪を懐きながらも命令を訂正しなかった。

 むしろ、アズィーダに念を押した。

「命令は理解したな?」

「承知した。言われたとおりにしよう」


「それから、退却した後は、基本的にはこの場所に戻っていろ。まあ、状況次第で戻ってこられない場合もあるだろうが、その場合も俺と合流出来るように行動するんだ」

「それも承知した」


 エイクはその返答を受けると、アズィーダをその場に残し、自らは森の中の魔族達が屯す場所へと向かった。

 まずは、敵の本隊であるらしいその魔族たちを倒してしまうつもりだった。


(ここから先は、勝つことだけを考えろ)

 エイクは意識してそう考え、無駄な感情を捨て、魔族たちを倒す為の作戦に意識を集中させた。

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