第32話 新規発見区域探索開始

 翌朝早々から、サルゴサの街は色めき立っていた。早朝に迷宮管理部局から、大規模な未発見区域が発見されたという情報が公表されたからだ。


(早かったな)

 エイクはそんな感想を持った。

 エイクは元々、この情報はいずれ広く公開されることになるだろうと思っていた。サルゴサの街の迷宮管理部局には、迷宮を確実に管理する能力がないからだ。

 迷宮管理部局としても、管理が可能なら未発見区域を自身で管理して、そこから得られる富を独占したいと考えるはずだ。

 しかし、元々迷宮の既知の範囲すら十分に管理できていなかった迷宮管理部局にはそんなことは不可能だ。


 であるならば、さっさと情報を公開してより多くの冒険者等をこの街の迷宮に呼び込む方が、富を得る為の現実的な方法だ。

 入場者が増えればそれだけで入場料金が増えるし、魔石や発掘品の売買に、冒険者達自身が落とす金、などで街が栄えるようになるからである。

 とはいっても、昨日確認したばかりの情報を今日の早朝に公開するとは相当に迅速な判断だったといえる。

 迷宮管理部局の責任者は決断力に富んでいるのか、或いはあまり熟慮をしない人物なのだろう。


 当然ながらこの情報が公開された影響は大きかった。

 多くの冒険者が早速勇んで迷宮に挑んだ。予定を変えてまでして急遽迷宮行きを決めた者達も少なくない。

 だがエイクは、そんな者達と競うように迷宮に入るつもりはなかった。

 むしろ、出来るだけ他の冒険者達とは近づかずに行動するつもりだった。シャルシャーラから得ていた特殊な情報を、他の者に知られないようにするためだ。

 なのでエイクは、今日はまず防具屋を回ってから迷宮に向かう事にした。


 


 めぼしい防具屋を回ったエイクだったが、残念ながら眼鏡にかなう防具はなかった。

 現在修理に出している竜燐のスケイルメイル以上の防御性能を有し、且つエイクの戦闘スタイルに合致する鎧は見つからなかったのである。

 もっとも、そんな鎧は、以前も考えたとおりミスリル銀製の魔法の鎧くらいしかない。そんな鎧が市井に出回ることは滅多にない。エイクは鎧を新調することは諦めた。


 ちなみに、エイクは王都で購入できなかった魔石を買おうともした。

 しかし、サルゴサの街でも極端に品薄になっており、魔石を扱う店を2店回ったが、質の悪いものを五つしか買えなかった。どうやら、買占めが行われているらしい。

 エイクは、それ以上買い物に時間を費やすのをやめ、迷宮へと向かうことにした。


 道中エイクは、自分の前後にも迷宮へ向かう人間大のオドが複数あることを感知した。

(俺と同じように、何か用をたしてから迷宮に行くことにした連中もいるということか。

 俺の行動を見とがめられないように気をつけないとな)

 エイクはそんな事を考えつつ、迷宮へと歩みを進めたのだった。




 迷宮に到着したエイクは、まず、昨日自身が調査員たちを案内した隠し扉へと向かった。今や新規発見区域と呼ぶべき、その先の領域で活動するつもりだったからだ。

 ちなみに、今のエイクには屋内において罠を発見する能力はほとんどない。しかし、エイクは、事前にシャルシャーラから目的地までの経路とそこにある罠について聞いていた。


 迷宮核が生きている迷宮においては、罠の内容や仕掛けられている場所も変わることがあり、既知の区域でも気は抜けないのだが、エイクはその変化のパターンまで全て頭に叩き込んでいる。

 エイクは、それらの罠がある場所で、前にセレナから手ほどきを受けた罠発見の技術を試したりしつつ、目的地へと向かった。


 途中何体かの魔物に遭遇したものの特に問題もなく倒し、エイクは隠し扉の場所に着いた。

 その扉は開けっ放しになっており、もはや全く隠し扉とはいえない状態だ。当然ながら、多くの冒険者などがその先に入り込んでいる。

 エイクも先へと進んだ。


 そしてエイクは、最初の目的地へ到達した。

 そこは、ある小部屋だ。

 部屋に入る前に、エイクは周りの様子を伺った。

 オドの感知能力によって、この新規発見区域の地下3階で活動している冒険者らも多くいること。しかし、少なくともエイクのことを見られる範囲にはオドは存在していない事は既に感知していた。

 だが、念のため野伏としての感覚でも気配も探っている。

 そして、周りに気配がないことを確認したエイクは、素早くその小部屋の中に入った。


 部屋に入ったエイクは、真っ直ぐに奥の壁まで進んだ。そして、その壁面に指を立て複雑な古語文字の形になぞる。すると、壁の一部がガラス面のようになり、無数の古語文字が浮かぶ。古代魔法帝国の魔法装置を制御する制御盤だ。

 この壁にも隠し扉が設置されているのである。


 エイクはその制御盤を稼動させ、隠し扉を開けた。そして、迷わずその扉を潜り抜ける。 

 そこは、大き目の部屋になっていた。寝台やテーブルもあり普通に生活が出来るつくりの部屋だ。

 この部屋は、シャルシャーラが居住に使っていたものだった。


(淫魔の隠し部屋としては味気ないな)

 エイクはそんな事を思った。その部屋はごく普通の居室といった様子だったからだ。

 それも当然である。この部屋は迷宮の限定的な管理者としてのシャルシャーラに宛がわれたもので、別にここで淫猥な愉しみに耽っていたわけではないからだ。


 古代魔法帝国時代、シャルシャーラは迷宮の創始者に支配されていたわけではなく、基本的には協力者という立場だった。だから、自由に迷宮の外にも出ていた。魔法帝国が滅んだ後は、よりいっそう奔放にあちらこちらで暇つぶしの遊戯に耽っていた。

 この部屋は偶々迷宮に戻って来た時に使っていただけだったのである。


 エイクは部屋の奥の壁際に置いてある小さな机に向かった。机の前には椅子があり、机の奥の壁には大きな鏡が備え付けられている。

 椅子に腰掛けたエイクは、天板の右下あたりを指先で軽く3回叩く。すると、天板全体が淡い光を放った。この机もまた魔法の制御装置なのだ。


 エイクは天板に指先で文字を描いた。

 しばらくすると、部屋のそこかしこから5cm程度の小型スライムが20体現れる。掃除用のスライムだ。

 また、部屋の片隅に置かれていた一抱えほどの大きさの宝箱の形が歪み、軟体動物のようになって、エイクの方に寄ってくる。宝箱に化けて人を襲うチェスト・イミテーターである。

 そして、両手が鞭状になった黒い人型の存在が突然現れる。ストーカー・ガストだった。

 

 これらの人工生物は、いずれもシャルシャーラが配下として操る事が出来る存在である。そして、先ほどエイクが制御装置を用いて行ったのは、これらを呼び寄せる為の作業だった。

 エイクがこの部屋で行おうとしているのは、シャルシャーラが支配する魔物の支配権を書き換え、自分が支配する事だ。


 迷宮の限定的な管理者でもあったシャルシャーラには、幾体もの魔物を支配する権限も与えられていた。

 例えば、シャルシャーラが“呑み干すもの”の教主グロチウスに与えていたフロア・イミテーターや、“叡智への光”の面々と共にエイクに襲い掛かったストーカー・ガストも、元々シャルシャーラの支配下にある魔物だった。

 ただ、そのような魔物は、今ではもうこの場に現れたものしか存在しない。何からの形で倒されたりして消耗してしまったからだ。


 はっきり言えば、この程度の魔物では“虎使い”と戦う事を想定した場合、戦力としてはまるで期待できない。

 だが、ストーカー・ガストはそれなりに強い魔物だし、チェスト・イミテーターもただの盗賊相手なら有効だ。掃除用のスライムもいた方が便利だろう。

 どれもいるだけ無駄ということはない。支配できるものが存在するなら、折角だから支配しておこう。エイクはそう考えたのだった。

 

 エイクは、制御装置を駆使して、支配権を自分に書き換える為の作業を行った。そして最後に、スティレットを使って己の手のひらを傷つけ、流れ出た血を、人工生物たちに振り掛けた。

 これで、支配権の書き換えは終了だ。

 

 錬生術で傷を治したエイクは、続けてそれらの人工生物を最小化して、更に休眠状態にさせる作業を行った。そうすれば、魔法の荷物袋の中に入れて持ち運ぶ事が出来るようになる。

 一度最小化してしまうと、再び元の大きさに育てるまでに数日を要するのだが、魔物を引き連れて街を出入りすることなど出来ないので、これはやむを得ない。


 それらの作業を行い、人工生物が姿を変えるのを待っているうちに、エイクはこの隠し部屋の隣の小部屋に、一つのオドが入って来たのを感知した。

 エイクは念のため音を出さないように気をつけながら、そのオドの様子を探る。


(普通の動物のオドだ。身体の大きさや体形は小柄な人間程度。多分女だな。オドの強さも特筆するほどではない)

 エイクはそう判断した。

 彼は最近、オドの感知能力の精度を更に上げていた。

 

 以前のオドの感知では、種別については動物か植物か或いはアンデッドかしか判別できなかった。しかし、今はそれに加えて人工生物かどうかも分かるようになっている。

 また、質や量も何となく分かる。といってもそれは酷く大雑把で、まだまだ個体識別が出来きるところまでは至っていない。

 特に抜きん出て優れているか、普通か、或いは極端に劣っているか、位しか分からない。

 エイクはこのオドの量と質のことを、あわせてオドの強さと表現していた。

 

 その能力を用いて探った限りでは、隣の小部屋に入って来た者は、少なくともアンデッドや人工生物ではなく、普通の人間のように思われた。

(扉の辺りから動かない。奥までは入らずに様子を伺っているようだな、ソロの斥候か?

 部屋の奥まで入って探索する価値があるか見定めている、といったところかな?)


 エイクはそう考え、前にある机状の制御装置に目をやり(この制御装置を完全に扱えれば、簡単に確認が出来たんだが)と思った。

 エイクが起動させた魔法装置には、迷宮内の様子を確認する機能もあったからだ。

 ただし、それはシャルシャーラの管理権が及ぶ範囲に限定されており、しかもシャルシャーラ当人が直接操作しなければ扱えないようにされていたのである。


 エイクがそんな事を考えているうちに、そのオドは小部屋を出て行った。結局部屋の中を詳しく調べることはしなかったようだ。

 その頃には、人工生物達の最小化は終わっており、休眠状態にもなっていた。

 エイクはそれらを魔法の荷物袋に入れ、この部屋を後にすることにした。


 エイクは小部屋に続く隠し扉を内側から開けると、十分に注意しながら小部屋へと進んだ。

 エイクは、外にオドがないことを確認した上で、小部屋からも出て通路に戻った。

 そして、次の目的地へと向かった。

 その表情は厳しく引き締められている。

 次は強敵との戦闘になるはずだったからである。

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