第4話 炎獅子隊長に必要なもの

 クリスティナに軟弱と評されてしまったメンフィウス・ルミフスは、会議が行われた部屋にまだ残っていた。部屋にはもう1人、ギスカーも残っている。

 メンフィウスはギスカーに改めて声をかけた。


「エイク殿の意思は変わりそうにないか?」

「申し訳ありません。その後彼には会えておりません。

 ですが、正直に申し上げますが、いくら言葉を尽くしたところで、彼を仕官させるのは難しいと思います。隊長が直接話をしたとしてもです」

 ギスカーはそう答えた。


 ギスカーは、エイクに仕官を勧めようとする近衛騎士隊長カールマンをエイクに引き合わせていたが、同時にメンフィウスからもエイクに仕官を勧めて欲しいと頼まれていた。

 そして、メンフィウスは自らもエイクに会いたいと望んでいた。だが、炎獅子隊長就任後の忙しさ故にそれは実現してはいなかったのである。


 メンフィウスはため息をもらし、視線を下に向けつつ言葉を続けた。

「そうか……。無理もない。

 ガイゼイク殿が亡くなった時の、軍の行いを考えればむしろ当然だな。

 エイク殿にとってガイゼイク殿はたった一人の家族だった。ほとんどの時間を鍛錬に費やし、友人すら持たなかったエイク殿にとっては、ガイゼイク殿の存在は世界そのものと同義だっただろう。

 そのガイゼイク殿の名誉が傷つけられたのだ。傷つけた当人はもちろん、それを黙認した我々軍の首脳もエイク殿にとっては敵も同然だろう……」

 メンフィウスは、ガイゼイクが隊長だった時に炎獅子隊の参謀役を務めており、エイクに接する機会も少なくなかった。


「あの時も、その後も彼を見捨てておいて、強くなったとたんに手のひらを返したところで、そんな者の言葉に従うはずがない。

 以前から彼の力になろうとしていた貴公が無理ならば、唯々諾々と上の意思に従い恩を仇で返した私が何を言っても、確かに無駄だろうな。

 しかし、軍には今、エイク殿の力が必要だ。是非とも必要なのだ」

 強い意思を込めてそう告げるメンフィウスに、ギスカーが問いかけた。


「そもそも、なぜルファス大臣はフォルカスの横暴を黙認したのでしょう?

 道義の問題ばかりではなく、軍の士気という現実的な利害に即して考えても、有害な事だったはずです」

 ギスカーは最近になって、当時フォルカスの横暴がまかり通ってしまった事情を知り、少なからず憤っていた。


「恐らく当時、何らかの軍事行動が予定されていたのだと思う。それもほとんど即時に、そして炎獅子隊を全力で使わざるを得ない重要なものがな」

「軍事行動ですか?」

 思わず聞き返したギスカーに向かって、メンフィウスは己の考えを述べた。


「そうとしか考えられない。本来ルファス大臣にはフォルカス・ローリンゲンの意思を慮る必要はない。

 家同士の関係でも職権の上でも明らかにルファス大臣の方が上だからだ。

 確かに、己の意向を潰されればフォルカスは臍を曲げただろう。しかし、結局はルファス大臣の意に従うしかなかった。

 だが、炎獅子隊が先頭に立って戦う必要があるほどの軍事行動が、間近に予定されていたならば話しは別だ。特にその軍事行動が重要なもので、何としても炎獅子隊の全力を出さねばならなかったならば、フォルカスが存分にその力を振るうように、奴をいい気にさせておく必要もあっただろう。

 本来なら、最大の戦力になったはずのガイゼイク殿が突然いなくなったのだから尚更だ」


「しかし、その為に軍の士気を下げるほどの不当な行いを認めるとは……」

「それすらやむを得ないと判断するほどの、重要な軍事行動だったのだろう」


「当時はそんな情勢があったのですか?」

「少なくとも、私は何も知らされていなかったし、そんな情勢があったとは思っていなかった」


 もしそんな軍事行動が本当に予定されており、しかもその事を当時の炎獅子隊参謀が知らなかったとなると、それは極めて機密性の高いものだった事になる。

 長年の敵国と和平条約を結んで未だ1年未満という時期に、そんな軍事行動が本当に予定されていたのか、ギスカーには疑わしく感じられた。

 実際、その時期には何ら目立った軍事行動は起こっていないし、その後の4年間も同様だったのだから。


「まあ、これは軍事的な側面から考えた場合の話で、政治的な事については私には分からない。

 だが、私は、当時そのような重大な軍事行動が秘密裏に予定されており、その為にフォルカスとの間に軋轢を作るわけには行かなかった。だが、その軍事行動は中止になった。と、そう考えている。ルファス大臣は政治よりも軍事を優先する方だからな」

 メンフィウスはそう告げると、少しの間沈黙し、そしてまたギスカーに向かって問いかけた。


「貴公は、私がフォルカスが死ぬまで炎獅子隊長になれなかった理由が分かるか?

 私は軍人として総合的に見ればフォルカスよりは有能だと自負している。

 犯罪組織に与するなど正に問題外だが、それを差し引いてもフォルカスは怠惰で利己的で、組織を運営する能力は低かった。私の方がましだったはずだ。

 だが、私は隊長にはなれなかった。なぜだと思う?」

「それは……」


 ギスカーは口ごもった。

 彼にはその理由は、ルファス大臣が何らかの政治的な思惑の為に炎獅子隊のあるべき姿を歪めたからだと思っていた。だが、それは軍最高司令官への批判そのものである。軽々しく口に出来ることではない。


 答えられないギスカーに代わってメンフィウスが自ら答えを口にした。

「私が弱かったからだ」

「え?」

 ギスカーは思わず疑問の声を上げた。その答えが、彼が考えていたものとはまるで違うものだったからである。


「少なくとも戦場で武を振るうという面では、私はフォルカスよりも弱かった。

 私も私なりに必死に自らを鍛えた。だが、フォルカスには届かなかった。正確には奴が盗み取っていたエイク殿の強さには、だな」

 メンフィウスの言葉は一面の真実をついていた。彼は戦場における武力という面に関しては、フォルカスほどには活躍出来ていなかったからだ。


 メンフィウスも優れた戦士だ。

 1対1で戦えば今のギスカーでもかなわない。それは即ち現在の炎獅子隊でもっとも強いということだ。

 だが、メンフィウスの剣は、流麗な太刀筋を誇る洗練された剣士のもので、並み居る敵をなぎ払うような力強さには欠けていた。

 そして、エイクのオドを盗み取っていた頃のフォルカスは、1対1の戦いでもメンフィウスに勝っていた上、戦場では多くの敵兵をなぎ払っていた。


 フォルカスは紛れもなく悪人で、さして賢くもなく、そして怠惰であった。

 しかし、強さを盗み取ってもそれを使わなければ意味がないということを理解する程度の頭はあり、戦場で縦横にその力を振るい、並み居る敵をなぎ払っていたのだ。

 それは、当時も今もメンフィウスには出来ないことだった。

 彼が、自分が弱かったと言っているのはそのことだろう。


 メンフィウスは言葉を続けた。

「そして、その強さこそが炎獅子隊長には求められるのだ。少なくともルファス大臣はそう考えている。大臣が炎獅子隊に求めているのは精緻よりも暴勇だ。

 軍の先頭に立って、並み居る敵を薙ぎ払う。そのような強さが必要だ。

 たとえ平時において組織運営が多少滞ったとしても、戦時にその武を振るえるならそれでいい。大臣はそう考えている。それが、私が隊長になれなかった理由だ」

「しかし、その為に組織そのものを腐敗させては本末転倒のはず」

 ギスカーはそう反論せずにはいられなかった。一部の衛兵の弛みが余りにも酷いという事を、実感していたからだ。


「そうだな。確かに今の炎獅子隊と衛兵隊の有様は余りにも酷い。

 ルファス大臣もこれほど堕落を想定していたとは思えない。恐らく大臣は意識を他の事に向けすぎており、足元に対する認識や対応が疎かになってしまっていたのだろう。

 ルファス大臣は優れた軍人だが、稀に視野が狭くなる事がある。

 前提として、平時において炎獅子隊の運営が多少滞っても仕方がないと考えており、その上で、意識を集中すべきことが他にあって、視野を狭めてしまっていた。その結果が、今の炎獅子隊と衛兵隊の低落だ。私はそう考えている」


「何に意識を集中していたのでしょう? 4年間にも渡って、王国最精鋭部隊の状況を捨て置くような重大事が何かあったのでしょうか?」

「恐らく国外情勢だ。我が国にとっての最優先事項は言うまでもなく国防だ。そして、現状で確実に国を守ろうとするならば、敵国をどうにかする必要がある。

 この4年間、いや、停戦がなってからの5年間、ルファス大臣は敵国に対して何かしようとしていた。それに集中するあまり、国内が疎かになった。そういうことなのだと思う。

 私はここ何年かの間に何度か、炎獅子隊が憂慮すべき状況にあると具申し、大臣と直接話す機会もあった。それでも状況を是正する事は出来なかったが、その時の大臣の言動やその後の行動から判断しても、そういう事だったのだと考えている」


 メンフィウスはガイゼイクの下で炎獅子隊の参謀役を勤め、優れた実績を上げていた人物だ。その人物がそのように判断した事には、それなりの重みがある。

 だが、それでもギスカーは納得し難かった。彼は疑問を重ねた。

「しかし、この5年間に、敵国において我が国に利するような事は、何も起こっていないではないですか」


「そうだ。それこそが問題なのだ」

 そう答えたメンフィウスの口調は強くなっており、表情も今まで以上に硬く引き締められている。

 そして、彼は重い口調で続けた。


「ルファス大臣は国内を疎かにしてまで、敵国で何事かなさんとしていた。だが、何も起きなかった。むしろ、情勢は我が国に不利になっている。

 つまり、大臣は失敗したのだ。それは、我が国は既に戦略的に失敗しているという事を意味している。その状況で停戦が終わり、戦が始まる。そして我々はその戦に勝たねばならない。

 要するに我々は、戦略的な失敗を戦術で覆さなければならない。これから始まる戦はそういう戦になる。

 私の推測が正しければな」

「それは……」


 ギスカーは言葉を続けられなかった。

 戦略の失敗を戦術で覆す。それがいかに困難か、ギスカーも理解しているつもりだ。

 メンフィウスは更に言葉を続けた。


「貴公にこの様なことを話したのは、私の持つ現状への危惧を貴公にも理解して欲しいと思ったからだ。

 戦術によって戦に勝とうとするならば、武力がいっそう重要になる。今の我が国には、強き武力が是非とも必要なのだ。圧倒的な武力が」

「……それ故のエイクですか」

 ギスカーはメンフィウスの言葉をそう理解した。


「そうだ。エイク殿の昨今の活躍について、私なりに調べさせてもらった。彼の強さは本物だ。戦でも十分に活躍できる本当の強さをものにしている。

 個人の武勇によって戦況を覆し、戦の結果にすら影響を与える。それは絵空事ではない。ガイゼイク殿は事実そのようなことができる人物だった。そして、エイク殿にも同じほどの強さがある。その強さこそが炎獅子隊長には必要だ。

 今炎獅子隊の隊長に誰よりも相応しいのはエイク殿なのだ。

 このことを理解した上で、どうにかエイク殿に軍で力を振るってもらうことが出来ないか、改めて検討して欲しい」

「わかりました。もう一度話してみます……」

 ギスカーはそう答えた。しかしその口調は重苦しいものになっている。


 ギスカーは今まで、メンフィウスがエイクの仕官を求めているのは、単純にエイクが強くなったからとだと思っていた。だが、それは正確ではなかった。

 メンフィウスはアストゥーリア王国の現状を極めて深刻に理解しており、その理解に基づいて、切実にエイクを必要と考えていたのだ。

 ギスカーはその事をようやく理解した。

 しかし、それを理解してもなお、エイクを軍に仕官させるのは至難であると思えた。


「頼む」

 更にそう述べるメンフィウスに対して、ギスカーは、上手く言葉を返す事ができなかった。

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