第9話 運命のかけら

 別離を告げる言葉は突然だった。

 それは、エイクが中庭で夕食前の鍛錬をしている時に切り出された。

 それまでどこかに出かけていた“治療師”が、中庭にやって来て、鍛錬をひと段落させたエイクに声をかけたのである。


「すまないな少年。もう少しは一緒に居たかったのだが、事情があってこの国を出ることになった。明日には出発する」

「国を、ですか?」


 エイクは思わずそう聞き返す。“治療師”の言葉は、エイクが全く予想だにしないものだった。

 “治療師”がいずれこの屋敷を去るのはエイクにも分かっていた。しかし、まさかそれほど遠くに行ってしまうとは思っていなかった。しかも明日とは……。


「どこに行くんですか?」

「決まっていない。当分の間は旅から旅の暮らしをする予定だ」

 それではこちらから連絡をすることが出来ない。


「じゃあ、落ち着いたら連絡をもらえますか?」

「すまないな、それも出来そうにないんだ」

 “治療師”心底すまなそうな表情を見せたが、その回答はにべもないものだった。


 エイクにはその態度は薄情なものに感じられた。

 相応しい者になったら一緒にいてくれるという約束はどうなるのか、そう問いただしたかったが、躊躇われた。

 所詮子供との他愛無い口約束程度に思われていたのだろうか? そう思うと悲しかった。


「名前を、教えてもらえますか?」

 エイクは、せめて彼女の名を知りたかった。

 名前が分からなければ、彼女の行方を探す事すらままならない。

 だが、この問いに対してすら、満足な答えは得られなかった。

 

「私は訳あって本名を隠している。君にも教えることは出来ない。父君に伝えた名前も偽名だ。

 だが、君に偽名を名乗る気にもなれない。だから名を告げることも容赦してくれ。

 ただ、そうだな、次に会えた時には、私のことは“伝道師”と呼んでくれ。

 私は道を伝える者だからだ」


「また会えるんですか?」

「未来を保証することは誰にも出来ないよ。少年」

 その答えもエイクを悲しませた。せめて気休めでも必ず会えると言って欲しかった。


 しばし沈黙が続いたあと、“治療師”改め“伝道師”が語り始めた。

「少年、手向けに世界の法則を一つ教えてやろう。この世界に運命は存在しないが、運命のかけらは存在する。という話を知っているか?」

「運命のかけら?」

 エイクは唐突な話題の転換に戸惑ったが、“伝道師”はかまわず話し始めた。


「そうだ、順を追って説明してあげよう。

 事は神々による世界創造に遡る。

 世界の創造の時、神々の中の一部の者は、今後世界で起こる全ての事柄を、自分たちが定めた筋書きのとおりに起こるようにしようとしたのだそうだ。

 そして、実際に無数の『筋書き』を考えていった。


 例えば勇壮な英雄譚、例えば甘い恋愛譚、陰惨な復讐譚に悲劇や喜劇。

 そういった自分たちが面白いと思う『筋書き』を数多く作り出し、全ての被造物はそのとおりに動くようにしようとした。

 この試みが完成すれば、それは正に『運命』そのものだ。何しろ人々は神々の作った『筋書き』どおりに動くわけだから、全ては『運命』に従うだけ、というわけだ。


 しかし、この試みは成功しなかった。

 被造物の自由意志を重んじるべきだという考えの神々の方が遥かに多く、このような考えは受け入れられなかったからだと伝えられている。

 そうこうする内に神々の戦いが起こった。

 君は神々の戦いの顛末は知っているか?」


 エイクは首を横に振った。

「剣の鍛錬には必要ないと思ったから、神話なんか聞いたことも無いです」

 彼が身に着けている知識は、本当に最低限のものだけだった。


「そうか。まあ、前にも言った事だが、知識は身を助ける。

 実戦で勝ち残るための本当の強さを手に入れたいなら、ある程度の知識や教養は必要だぞ」

「はい、今は良く分かっています」

 まだ戸惑いつつもそう答えるエイクに“伝道師”は笑みを浮かべた。


「まあ、神話を全部話していては時間がかかりすぎるから、他の誰かに聞くといい。

 とにかく、いろいろあって、神々の戦いの末に世界そのものが未完成のままになった。

 当然、一部の神々が勝手に考えていただけの、筋書き通りに進む世界などというものには全くならなかったわけだ。


 だからこの世界に『運命』などというものは存在しない。

 ところが、その一部の神々が勝手に考えていた『筋書き』は、神々の戦いの中で無秩序に世界にばら撒かれてしまった。

 そのせいで、この世界では『筋書き』に似た事が起こりやすくなっている。


 これは、運命などというものとは全然違う。

 何しろ、ばら撒かれた『筋書き』が何時何処で誰にどう作用するか、最早『筋書き』を考えた神にすら分からないし、それを自在に操る術は誰にも無いからだ。

 ただ、そのばら撒かれた『筋書き』のせいで、この世界ではあたかも運命のように見える、劇的な展開が比較的起こりやすくなっている。


 このことを知っている者たちは、そのばら撒かれた『筋書き』や、それに影響されて起こりやすくなっている劇的な出来事のことを『運命のかけら』とか『運命の出来損ない』とか呼んでいる。ここまでは分かったか?」


「何となく」

 エイクは少し首をかしげながら応えた。


 合点が行かない様子のエイクに、“伝道師”は詳しく説明する。

「そうだな、例えばだ、王女や貴族の令嬢が賊に襲われた時に、旅の戦士などが偶然近くに居て助けに駆けつける。などという出来事が、この世界では稀に起こる。

 もちろん襲撃事件が起きても、その大半の場合では加勢など現れず、襲撃が成功してしまうか、それとも普通に護衛が勝利して、賊を撃退するかのどちらかの結果になっている。


 だが、各国の歴史を詳しく見れば、王族・貴族の危機に旅の戦士のような偶然の加勢があったという例も、偶に起こっている。

 それは、稀ではあるものの、純粋な確率よりも明らかに高い割合だといえる。

 更に言えば、そういう偶然の加勢があったという例は、そのほとんどが王女か令嬢が襲撃された場合で、被害者が王子や令息だったことはほとんど無い。


 何でそんなことになっているかというと、要するにどこかの神様が、姫君が旅の戦士などに偶然救われる、という『筋書き』を考えていて、それが世界にばら撒かれてしまったことが影響しているから、というわけだ。

 まあ、中には若君が助けられる筋書きも少しはあったかもしれないが、姫君の方が圧倒的に多かったんだろう。英雄譚にしろ、恋愛譚にしろ、使いやすい展開だしな」


「そういえば」

 エイクは自分が知る乏しい知識の中に、似たような例を見つけて話しに割って入った。

「この国でも王女様が助けられた歴史がありましたよね。

 旅の戦士ではなくて、ハーフエルフの精霊使いに、だったと思いますが」


 それは、今から250年ほど前の出来事だった。

 当時反乱を起こした貴族から逃れた王女が、逃げ込んだ森で偉大な力を持つハーフエルフの精霊使いに助けられ、やがて国を再興する。

 2人は結ばれ、今に至る王室の祖となった。

 それは、このアストゥーリア王国で最も重視される歴史上の出来事のひとつだ。


「そうだな、あれはまあ……、いや、そういう例の一つではあるだろうな。

 王女様と旅の戦士というのとは大分違うが……。

 まあ、いずれにしてもそういう展開は、純粋な確率よりも起こりやすくなっているのは間違いない。

 ただ、ここで大事なのは、そういう展開というのは『かけら』であって『運命』そのものではないということだ。


 もしこれが、一部の神々が作った『筋書き』どおりに進む『運命』そのものなら、当然、居合わせた旅の戦士が姫君を救うという展開になって、そのまま『筋書き』が進むのだろう。

 しかし実際にはそれは『かけら』でしかないから、そのとおり進むとは保証されていない。

 例えば、旅の戦士の鍛錬が不足していたり、逆に襲撃者が十分な鍛錬をつんでいたならば、旅の戦士が加勢したが、結局襲撃者が勝った。という結末になることも十分にありえる。

 実際に、偶然の加勢があったが、諸共討ち取られた、という例も世の中には実在するんだ。


 要するにだな、旅の戦士の立場で見るなら、姫君が襲撃された場面に居合わせて、賊を撃退すれば姫君に好意を持ってもらえるという、自分に有利な『運命のかけら』と遭遇した時に、それを掴み取れるかどうかは自分の実力次第。

 逆に襲撃者の立場で見たら、予期せぬ敵の加勢という自分に不利な『運命のかけら』が現れた時に、それを振り払って目的を遂げることができるかどうかは自分の実力次第、ということだ。

 私が何を言いたいかわかるか?」


 “伝道師”の問いかけに、エイクは表情を引き締めて答えた。

「はい、結局自分の実力が大事だ、ということです」


「そうだ。もっと言えば、最後まで諦めないことや、油断しないことも大切だ、ということでもある。

『運命のかけら』の中には奇跡的な大逆転というものも沢山あるらしい。それも面白い展開だから、そういう『筋書き』は沢山作られたのだろう。


 だからどれほど絶体絶命の場面でも、奇跡的な逆転のきっかけになるような事が起こるかも知れないわけだ。

 逆の立場でみれば、どれほど有利な状況でも逆転されるきっかけが起こるかもしれない、ということになるな。

 だから、どんなに不利な状況でも最後まで諦めない。逆にどれほど有利でも最後まで油断しない。という心意気が大切だといえる。


 もちろん、結局は一番大切なのは、自分の実力だ。大逆転するきっかけをものに出来るかどうか、逆の立場だと大逆転されるきっかけを振り払うことが出来るかどうか、それはどちらも自分の実力次第だからだ」

「はい、よく分かりました」

 エイクの返答を受け、“伝道師”はまたやさしげは微笑を浮かべた。


「それとな、また会えるか、というさっきの問いの答えも、今の話の中にある。

 この世の中に『運命』は無く、未来は決まっていない。だから再会を保証することも誰にもできない。

 ただし『運命のかけら』はあるから、それに乗っかれば、確率をあげることは出来る。

 例えば、何も思っていない相手との再会よりも、ずっと思い続けていた相手との再会の方が劇的で運命っぽいだろう? だからそういう『筋書き』も沢山作られているはずだ。

 つまり、お互いが再会を望み続けていれば、きっと再会の可能性が高くなる。

 どうだ、君は私との再会を望むか?」

「もちろんです、絶対にまた会いたい」


「それならその気持ちを持ち続けていてくれ。私も君との再会を待ち望み続ける。

 二人がそう想い続けていれば、きっと『運命のような』再会が出来るだろう」


 その言葉は、エイクに喜びと希望をもたらした。

 この美しい人が自分との再会を望んでくれている。それだけで無性に嬉しかった。


「ありがとう、ございます。僕もずっと想い続けています」

「ああ、ありがとう。それでは出立の準備もあるので失礼するよ」

 最後はあっさりとそう言って“伝道師”はその場を後にした。


 そして翌日、彼女はその言葉通りファインド邸を出立していった。

 実にあっけない別れだった。

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