第8話 治療師③
森から帰ってきた後のエイクの生活は、オド欠乏の症状が現れるようになった以後で、もっとも充足感のあるものとなった。
その理由として、あの美しい“治療師”が近くにいてくれるのが大きいのは間違いなかったが、それだけではなかった。
エイクは自身の戦い方に一つの可能性を見出していた。
きっかけは、あのゴブリンとの死闘だった。
(最後の一撃で、僕はゴブリンを殺せた)
エイクはその事実を改めて認識した。
それは紛れもない事実であり、自分にもゴブリンを殺すことが出来るということを明白に証明している。
(要するに、あの攻撃を意図的に繰り出して、確実に当てればいいんだ)
あの時は無我夢中の或いは自暴自棄の攻撃だったが、自分の体が放った攻撃である以上、再現が不可能なはずはない。
そして、更にそれをより効果的な場所に当てることが出来れば、ゴブリンを一撃で倒すことも不可能ではない。
エイクはそのような感触を得ていた。
(効果的な場所に当てることもきっと出来る)
エイクには自信があった。なぜなら、ゴブリンの動きをほぼ完全に見切ることが出来ていたからだ。
ゴブリンの最初の一撃は動揺してくらってしまった。体力が切れて動きが鈍くなった後も避けられなかった。
しかし、それらを含めても、エイクはほぼ完全にゴブリンの攻撃を見切っていた。
それは、どのような攻撃が来るか事前に察知出来ているといってもいいほどのものだった。
(ずっと父さんの剣を見てきたからだ)
ゴブリンの動きなど、父が披露してくれる剣技に比べれば児戯というのもおこがましい。
エイクはその父の剣技すら、少なくとも目で追うことは出来るようになっていた。
そこまでの見切りの力を持ちながら、力不足で思うように体を動かせないことがもどかしくて堪らなかったが、あれほど敵の動きが分かるなら、攻撃を当てる場所を選ぶことも出来るように思われた。
首に当てても切り裂けないなら、一番柔らかな喉元を刺せばいい。
肋骨を断ち切れないなら、肋骨の間をぬって心臓を貫けばいい。
外皮に攻撃をはじかれるなら、もっと皮の薄い脇や下腹部や目を狙えばいい。
そう考えて、攻撃の精度を高めることを重視するようにした。
それに適した武器も入手した。刺突に特化した短剣スティレットを、世話役の召使に用意してもらったのだ。
それは上質で投擲にも使えるように調整されており、その分扱うのが難しそうな品だった。
エイクのことを好いていないらしいその召使は「お坊ちゃまには扱い難かったですか?」などと口にしていたので、わざと子供には使い難い品を選んだのかも知れない。
しかし、エイクにはなんら問題はなかった。
彼は既に剣に分類される武器に関しては、ほぼすべての扱い方を知識として知っていた。
彼の動きが拙いのは、極度のオドの欠乏を原因とする力不足によって、重い武器が持てず、体をすばやく動かすことも出来ないからであって、武器に関する知識は幼くして熟練といってよい域に達していたのだ。
そして、少なくとも彼の力でも扱える軽量の武器に関しては、実際の扱いにも習熟している。
「大丈夫だよ。ありがとう」
彼は召使にそう答えて、黙々と鍛錬に励んだ。
ゴブリンを一撃で倒せるなら、自分の乏しい体力が尽きる前に4・5体のゴブリンは倒せるはずだ。
ゴブリンは通常4・5体ほどで行動しているといわれるから、それだけの技量があれば安定してゴブリンを狩ることが出来る。
ゴブリンなどの妖魔を討てば多少の報奨金が出るので、それで日々の生活の糧を得られる。
それはつまりエイクにとって当面の目標であった、戦う者として身を立てることが可能になることを意味していた。
それは“ゴブリン狩り”と呼ばれる下級冒険者の生き方であり、人生のほぼ全てを強くなる為に費やしてきた者の行き着く先としては、哀れといっても良いものだった。しかし、エイクにとっては大きな可能性を秘めたものに思えた。
(一度の実戦でも得る物はあった。これを続けていけば、きっともっと強くなれる)
期待していた力の覚醒などはなかった。しかし、命がけの実戦の結果にエイクは手ごたえを感じていた。
妖魔討伐遠征から戻った父が、以前に比べて余所余所しいのには気付いていた。しかし、それは迷惑をかけてしまったのだから仕方がないことであり、ゴブリンとの戦闘で得るものがあったことを伝えれば、きっと父もまた喜んでくれる。
エイクはそう信じていた。
そんな日々を送る中で、“治療師”が料理を振舞うことを申し出てくれた。
どこからか話しを聞きつけたリーリアも参加し、“治療師”本人も含めて3人で食堂の片隅で食事をとることになった。
エイクは“治療師”の手料理というだけで心が浮き立っていたのだが、一口食べて驚きの声をあげた。
「おいしい! 本当に」
手料理といっても、香辛料を利かせた肉や野菜のスープに、パンを添えただけの何の変哲もないものだったが、そのスープはエイクが今まで食べた物の中で最も旨いといえるものだった。
ファインド家では食事は基本的に質素で、エイクも舌が肥えているわけではないが、それを差し引いても絶品といえる品だと思えた。
「そうだろう。私の知り合いで異常なほど調理が上手な男がいてな、そいつが簡単に上手く作れるといって教えてくれたんだ」
エイクは高揚していた気持ちが一気に沈んでいくのを自覚した。
「その人は“治療師”さんとどういう関係なんですか」
聞かずにはいられなかった。
「ん? 何のことだ」
「その、男の人と“治療師”さんの関係は……」
「ああなるほど。そうだな、基本的には敵対関係だ。奴と私の考えは相容れない。
とはいっても、互いに討滅したいとまで思っているわけではないし、利害が一致すれば協力することもある。そんな感じだな。
で、どうしてそんなことが気になる? 嫉妬したのかな?」
エイクは息を飲んで言葉を失った。そのとおりだった。
“治療師”に男の知り合い、それも料理を教えるような親しい存在がいると聞いて、エイクの心は乱されていた。それは紛れもない嫉妬だった。
そして、エイクは自分が初恋というものを経験しているのだと自覚した。
一度自覚してしまうと一気に思いがあふれ出た。
この人にずっと近くにいて欲しい。僕以外の男には近づいて欲しくない。僕だけを見て欲しい。
“治療師”は悪戯っぽい笑みを浮かべエイクを見ていた。
エイクは今自覚したばかりの思いを伝えてしまいたかった。
しかし、自分の余りにも哀れな状態を思うと、とてもそのまま口に出すことは出来なかった。それでも、その思いを否定したり隠したりすることもまた出来なかった。
「はい、妬ましいです」
「素直だな、少年」
エイクのその答えを受け“治療師”はやや驚いたような表情を見せて告げた。
「まあ、奴とはそんな関係ではないな。
それと付け加えるなら、今のところ私にはそういう相手はいないよ」
「……もし、僕が“治療師”さんに相応しい男になれたら、僕と一緒にいてくれますか」
「本当に素直だな。
そして、その質問はずるいな。私に相応しくなるという条件をつけるなら、断る理由がなくなるだろう?
実際私は自分に相応しい者が現れたなら、必ずその者と供にいることになるだろう。その相手が君でも当然そうなる。
しかし、私に相応しいというのは、相当厳しい条件だぞ」
「はい、必ずそうなってみせます」
「そうか。よし、まあ頑張ってくれ」
“治療師”は柔らかい微笑を見せそう言った。
エイクは、少なくとも断られなかったということが嬉しくて仕方がなかった。
「はい、頑張ります」
そしてそう告げ、真っ直ぐに“治療師”に目を向けた。
2人はしばし見つめ合う形になった。
その傍らで、完全に自分を無視して進む話を聞いていたリーリアだけが、白けた表情で黙って食事を続けていた。
そんな、今までになく充足した日々を送っていたエイクだが、それも終わりを告げることとなった。
“治療師”が屋敷を後にすることになったのだ。
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