愛に酔う
九戸政景
愛に酔う
「んっ、んっ……はあ。あー、ほんとお酒ってさいっこう……!」
「美香ねぇ、本当にお酒好きだよね……」
佐野家の親戚一同が集まり、父さん達がのんびりしながら話す中、目の前に薄着でいる少し年の離れた従姉妹を見ながら俺は呆れ気味に言う。美香ねぇは21歳の大学生で、もう冬になりそうなのにも関わらず暖房の効いた部屋で薄着になっており、美人なのもあって少し目のやり場に困っている。
「だって、仕方ないじゃん。お酒が美味しいのが悪い!」
「そんなに言う程かな……」
「そんなに言うなら飲んでみる?」
「未成年の飲酒は法律違反。成人してるんだからそういう事を冗談でも言わないでよ」
「もう……
「別に良いよ。だって……」
俺が好きなのは美香ねぇだから、という言葉をすんでのところで俺は飲み込む。そう、まだ小学校高学年の俺だけど、一応大人の女性である美香ねぇの事を思慕しているのだ。
いつも快活な美香ねぇの姿はまだ小さい俺には本当に眩しく見え、その容姿や少し近い距離感も相まって俺は美香ねぇの事を一人の異性として意識し始めていた。だからか、同級生はまだ小さな子供にしか見えず、好きになるどころか異性として意識する事すらなかった。
そんな俺の気持ちも露知らず、美香ねぇは鬼の首を取ったようにニヤッと笑った。
「その反応……誰か好きな子でもいるんでしょ?」
「べ、別にいないって……」
「ふーん……? でも、恋に酔いしれるのは良くないからね?」
「恋に酔いしれるって……なに、もうアルコールが回ったの?」
「そういう言葉がほんとにあるの。恋に恋するって言うかさ……なんかそういう感じの言葉。有流君もそうならないようにしなよ? 酔うよりも酔わせられるような男になるんだよ?」
「酒に酔わされてる人に言われてもなぁ……」
それを聞いた美香ねぇは俺の髪をワシャワシャとし始めた。
「この生意気小僧~!」
「わぷっ!? み、美香ねぇ~!」
「生意気言うからだぞ~? 言うなら生意気な事じゃなく、私を照れさせるくらいの事を言ってみろっての!」
「……言ったな。じゃあ、俺がそれを言えたら美香ねぇには言う事を聞いてもらうからな」
「あっはは! いいよ、それくらい。まあまだまだお子ちゃまな有流君にはずっと無理だろうけどね」
美香ねぇはバカにしたように笑い、グラスに注がれたビールをまた飲んだ。その若くして飲んだくれになった好きな人の姿に呆れていたが、気持ち良さそうに飲むその姿はまるでCMに出てくる人のようであり、俺もいつかはアルコールを飲めるようになって、美香ねぇにセーブするように促しながら自分も酒を楽しめるようになりたいと思わせる物だった。
それから月日は流れ、21歳の大学生になった俺はその時に美香ねぇの提案で撮った写真を見ながら懐かしさに浸った。
「……良い笑顔だな、美香ねぇ。若々しくて元気だったのに、今は……」
独り言ちてから俺は写真から背後に視線を移した。背後には家具などがキチンと整頓されて埃一つないように掃除した綺麗なリビングの光景が広がっていたが、キッチンとの間の扉のところには息を潜めながら匍匐前進で動いているモノがいた。
「……“美香ねぇ”、息を潜めてもバレバレだからな」
「う……」
美香ねぇはビクリと体を震わせると、バツが悪そうな顔で立ち上がった。
「あ、あはは……ちょっとガソリンを追加したくてですね……」
「まったく……というか、冷蔵庫に酒はない。昨日の内に全部ノンアルコールに変えたからな」
「えっ!? でも、昨日はビール出してくれたじゃん!」
「あれがラスト。そもそもアルコール依存症で基本的に酒は控えるように言われてるんだから、自制しろっての」
「そんなぁ……」
美香ねぇはショボンとするが、そんなにまで飲まないとやってられないかと呆れると同時に美香ねぇの事情に改めて同情した。
美香ねぇが病院に運ばれてアルコール依存症だと診断されたのはつい最近の事だ。だけど、いくら酒が好きだと言っても美香ねぇ自身は自分でも量は考えていたようだったし、俺が見ていた時も程よく飲んでから水を飲むといった事をしていた。
そんな美香ねぇがアルコール依存症になった理由、それは結婚まで考えて付き合っていた恋人の浮気だ。その男はどうやら美香ねぇをキープとしか考えておらず、本人が言うところの本命の相手とも同時期に付き合っていたようだった。
幸いだったのはそれに気づいたのが結構早い段階だった事、そして美香ねぇも恋の熱には浮かされていたものの身体を許すまではしていなかった事であり、本命扱いされていた方も二股していた男には愛想をつかして別れ、今では美香ねぇにとって良い女友達になった事も俺としては良い事だと思えた。
けれど、好きだった相手に裏切られていた美香ねぇのショックは俺達が思っていたりも強かったようで、その事を忘れようとするかのように別れた日からアルコール量が増えていた。そして、つい一月前に酒の飲みすぎによる嘔吐物が喉に詰まって病院に運ばれ、危うく窒息死しかけたのだった。
その第一発見者は大学進学と同時に独り暮らしを始めていた俺で、叔父さん達から出来るだけ美香ねぇに近いところに住んでほしいと言われて俺は近所のマンションに引っ越しており、たまに美香ねぇの様子を見に来ていたのだった。
そしてその一件がきっかけとなって、今の美香ねぇを一人にしておくのは良くないと判断されて、俺がしばらく面倒を見る事になり、今はこうして一緒に暮らしている。
「恋に酔うなって言ってた人が恋と酒に酔った挙げ句、年下の従兄弟に面倒を見てもらってるのは恥ずかしいと思ってくれよ? まあ俺も心配だったからちゃんと世話はするけどさ」
「有流君は本当に優しいなぁ……そんなに優しいならお酒も買ってきて……」
「あげないっての。まったく……」
基本的に酒を与えないのはアルコール依存症の治療のためでもあるけれど、10年近く経って更に大人の色気を増した美香ねぇに酒を与えて酔いに任せてしなだれかかって来られたら理性が吹き飛んでしまう可能性があるからだ。
そんな俺の事は相変わらず気にせずに美香ねぇは子供扱いしながら甘えてくるので、正直そろそろ勝負でも決めてしまおうかと思っていた。
「そういえば、俺がまだ小さかった頃、美香ねぇと約束したよな。俺が美香ねぇを照れさせるような事を言えたら言う事を聞いてもらうって」
「言ったねぇ。まあ別に今でもその約束は生きてるけど、私からしたらまだまだお子ちゃまな有流君だし、そんな事は起きな──」
「本当にそうかな?」
「え?」
驚く美香ねぇを目の前にし、俺は高鳴る心臓の音を聞きながらその唇を奪った。
「んっ!?」
突然キスされた事で美香ねぇは更に驚いたようだったけれど、俺はそれにも構わずに抱き寄せながらキスを続けた。そうして数分くらいキスし続けた後、唇をゆっくり離すと、美香ねぇの顔は赤くなって目は軽くトロンとなっていた。
「ある……くん……?」
「俺だっていつまでも子供じゃないんだよ。だから、これからは酒にも恋にも酔わせない。俺にだけ酔わせてやるよ、“美香”」
「み、美香って……」
「……今のは完全に照れたな」
勝ち誇りながら言うと、美香ねぇはハッとした。
「うっ……だ、だって誰とも付き合った事ないって言ってたのにすごくキス上手かったし、小さい頃から顔良かったのに成長して更にカッコよくなった顔が目の前にあったらそれは照れるって……」
「けど、照れたのは間違いない。だから、俺の言う事を聞いてもらうからな」
「い、良いよ……それで? 私に何をさせたいって言うの?」
「永遠に俺のそばにいてもらう。それが俺の美香への願いだ」
「……え? そ、それって……」
「言わなくてもわかるだろ? まあ元々叔父さん達からは俺さえよかったら娘の事を幸せにしてやってほしいと言われていたし、俺は小さい頃から美香が好きだった。だから、これからはゆっくり俺に酔わせてやるよ。酒にも他の男にも目を奪わせないから覚悟しろよ、美香」
「お、お手柔らかにお願いします……」
一気にしおらしくなりながら赤い顔で言う美香に愛おしさを感じながら俺は笑った。生活の中に染み込んでしまった酒はまだまだ抜けないだろうが、少なくとももう酒には逃げさせない。逃げるなら俺に逃げさせるし、酔いたいなら俺に酔わせる。10年近くも待たされたのだからそれくらいは許されると思うのだ。
「さて、美香と付き合う事にしたって“お義父さん”達にも言わないとな」
「お義父さんって、少し気が早くないかな……?」
「俺は美香以外の女と付き合う気はないし、結婚するなら早い方がいい。じゃないと、また美香が他の男に目移りしそうだしな」
「あはは……有流君って思ったよりも愛が重かったんだね」
「10年近くも寝かされた想いはどんなウイスキーやワインよりも深くて濃いんだよ。ほら、そうと決まれば早く行こう」
「……うん」
美香は微笑みながら俺が差し出した手を握った。そして恋の熱に少しだけ浮かされ、愛の酔いに高揚しながらも俺達は交際の開始と結婚の予定を伝えるために美香の両親がいる家に向かうために準備を始め、それが終わると同時に明るい未来が待っている家のドアを開けた。
愛に酔う 九戸政景 @2012712
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