12-6.躾のなっていない犬が迷い込んだだけだ

 この部屋に出口はもちろん、窓といったものは一切ない。

 薄暗く、純粋な結界の力だけで作られた孤立した部屋だ。

 時間と空間からも切り離された人工的な場所。


 転移魔法を得意とするフィリアは、瞬時にこの部屋の特異性を悟った。


(これが『深淵』……)


 その呼び名のとおり底がみえない。つかみどころのない、とても深い場所。ここには陽の光は差し込まない。その名にふさわしい場所だ。


 部屋の中ではものすごく濃い魔力が渦巻いている。油断すると、この空気に引きずり込まれてしまいそうだ。


 ギンフウの部下たちはこの部屋に立ち入ることを嫌がっていた。


 確かに、この魔力の濃さは異常だ。

 魔窟という表現は決して誇張ではない 

 魔力が少ない人間には害となる濃さだ。 魔力が高く、能力に秀でた者であったとしても、魔力の相性が悪ければ、拒否反応で生命を落とすことだってある。


 出口を求めて扉があった場所を懸命に叩くが、なにも反応はない。


「誰だ?」


 部屋の奥……天蓋付きの大きな寝台の方から、低い男の声が聞こえた。

 壁を叩き続けるフィリアを咎めるような響きに、フィリアの動きが止まる。


「は……はじめまして。フィリアと申します」


 ゆっくりと時間をかけて振り返り、深々とお辞儀をする。

 この場でこの反応が正解だとは思えなかったが、どうしてよいのかもわからない。


 笑われるかと思ったが、そうはならなかった。


「ああ……おまえが、セイランの」


 低い男の声が、フィリアに重くのしかかる。もうそれだけで吐きそうだった。


「騒々しい。今は、取り込み中だ。静かにしろ」

「はい……」


 フィリアは扉があったと思われる場所を背後に、おとなしく直立不動の姿勢をとる。


 かすかだが、寝台の中からエルトの気配を感じた。


「……とうさん……だれかきたの?」

「躾のなっていない犬が迷い込んだだけだ。気にするな」

「でも……」


 エルトの声にフィリアは息をひそめ、耳をそばだてる。

 少し眠そうだが、元気そうなので安心する。


「セイラン、ようやく魔力が安定してきたようだな。よくがんばったな」

「うん。ボクがんばったよね?」

「ああ。がんばった。えらかったぞ。急激な魔力増加で疲れただろう。今はとにかく眠りなさい」


 子どもを寝かしつける気配がする。


「……わかった。とうさん、あのね……」

「なんだ?」

「フィリアはね、少しも悪くないの。悪くないんだよ」

「セイラン……なにを言っているんだ?」

「ボクがこんなになったのは、ボクが悪いの。だから、フィリアは許してあげて。ぜったいに殺さないでよ」

「心配するな。意味もなく殺すことはしないよ」

「でも、とうさん、すごく怒っているよね?」

「…………」


 自分の名前がでてきたので驚いたが、ふたりの会話の内容がいまひとつ理解できない。就寝前の親子の会話にしては、あまりにも物騒な単語が聞こえた。


「とうさん……」

「わかった。わかったから、もう休みなさい」


 ポンポンと布団を叩く音と……それに遅れて【睡眠・凶】の呪文が聞こえた。


(え? 子どもを眠らせるのに【睡眠・凶】って……)


「おい。そんなところで……ぼーっと立っていないで、こちらに早く来い」


 部屋の空気がかすかに揺れ、寝台から長身の男が姿を表す。


 男はゆったりとした足どりで、離れた場所にあったひとりがけの椅子に座る。


 薄暗いなか、黄金色の髪が見事な輝きを放っている。


 この男がみんなの言う『深淵』のボス、ギンフウに違いない。


 傲慢で尊大。

 薄暗くて容姿の詳細はわからないが、自分が他人に命令するのが当然という気配が伝わってくる。

 突然の乱入者に慌てた様子は全くなく、闇の世界を支配する王者のような貫禄があった。

 

「なにをしている? 時間が惜しい。もたもたしてたら、おまえは間違いなく死ぬぞ」

「は……はい」


 命令することに慣れた声に、フィリアは返事をすると、のろのろと足を動かす。拒むことはできなかった。

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