9-15.こういうときは……風呂だ!
(なぁ、なにを考えているんだぁっ!)
フィリアは慌ててベッドから立ち上がると、ものすごい勢いで端の壁まで後退する。
狭い室内だったので、勢いがつきすぎて背中を壁にしたたかぶつけてしまったが、そんなことはどうでもよかった。
「ぼ、ぼくは……な、なにを……」
呆然と声にだして呟くと、フィリアは両手でパシパシと己の頬を叩く。
「お、お、落ち着くんだ。変なことを……変なことを……考えちゃだめだ。いや、変なことってなんだよ! なにが変なことなんだよ!」
心の中だけだったはずの葛藤が、独り言になってダダ漏れ状態になっている。
しかし、今のフィリアには、自分の声が全く聞こえていない。
今度は、狭い室内をウロウロと動き回りはじめる。
(そうだ! こういうときは……風呂だ! 風呂に入って気持ちを落ち着かせよう!)
なんて素晴らしい、アイデアだろう。
と、その時のフィリアは真面目にそう思った。
この選択が、後々のとんでもない騒動へと発展し、フィリアの運命が大きく変わっていくことになるのだが……。
この時のフィリアは、これが正解の選択肢だったと、信じて疑っていなかったのである。
フィリアは逃げるように――文字通り、目の前の問題から逃げたのだが――隣室へと続く扉を開け、その中に飛び込んだ。
****
フィリアが部屋選びで唯一こだわったことといえば、独立した部屋として風呂、トイレ、洗面台がついているということだろう。
風呂つきの部屋に住むことが、フィリアの最低条件だった。
冒険者ギルドが提示した物件には、風呂やトイレは共用のものを使用するタイプもあり、そちらの方がはるかに賃料は安いのだが、フィリアは妥協しなかった。
妥協しなかった部分は風呂、トイレ、洗面台だけで、キッチンや部屋の広さにはこだわりがなかった。
フィリアが借りた部屋に、調理スペースは設けられていない。自炊したければ、共有スペースを使用する。
食事を作るキッチンがないので、食事を食べるダイニングテーブルもない。
人を……仲間を部屋に招くつもりもなかったので、椅子は一脚しか置いていない。
自炊ができない、やりたくないというわけではなく、仕事がない日は、孤児院で食事を作る手伝いをして、そのまま一緒に食べることが多いからだ。
あるいは、冒険者仲間に誘われて、近くにある市場の屋台で済ますかのどちらかだ。
魔法が使えるフィリアにとって、風呂の湯は簡単に用意できる。
誰にでもできることかというと、微妙な温度の調節――湯加減――が難しく、普通の者は、湯を沸かそうとすると、いきなり沸騰させてしまう。
魔法が使えるからといって、なんでもかんでもできるというわけではないのだ。
魔法で風呂を用意できる者は少なく、下男として応募すれば、即決で採用される……くらい、ありがたがられる存在だ。
水を汲んできて湯を沸かし、湯を湯船に入れる……という労働をすることなく、魔法を使って、好きな時間に手軽に風呂に入れるようになると、フィリアは風呂に入るという行為にハマってしまった。
唯一の贅沢ともいえる。
おかげで、水と火の魔法練度がバリバリ上がった。かなり、繊細なことまでできるようになっていた。
今では風呂に入った状態で、安全に追い焚きができるまでになっている。
魔法は結果をイメージし、その結果どおりになるよう使えば使うほど、練度と精度があがる。
ただ闇雲に使うのではなく、達成率、成功率をあげないと、魔法練度と精度はあがらない。
フィリアのように魔力が豊富で、魔力回復に秀でている者は、魔力を節約するのではなく、日常から積極的に魔法を使って魔力を消費する方がよいと、ルースに教わった。
一般的に、高火力の魔法をガンガン使うと、魔力容量が増え、細やかな加減が必要な繊細で難易度の高い魔法を使う方が、練度は上がりやすいらしい。
ルースのアドバイスを信じ、日々、魔法を使い続けた結果、風呂に入りたい放題になったのだから、ありがたい。
こういうときはためらったり、ケチケチしていてはいけない。
いつもより多めに、精神リラックスの効果があるといわれている、入浴剤をドバドバと入れた。
勢い余って入れすぎた……気もするが、気にしたら負けだ。
部屋に入ったときに、【洗浄】魔法で、部屋と一緒に自分も綺麗にしたのだが、フィリアはお気に入りの石鹸で全身を洗ってから湯船につかった。
温くもなく、熱くもない、快適な温度の湯に、フィリアは身を沈めた。
浴槽の大きさは、ちょうどフィリアの身体の大きさとマッチしており、のびのびと湯に浸かることができる。
いつもなら、のんびりと至福のバスタイムを楽しむところなのだが、今日のフィリアの頭の中は、ベッドで眠るエルトのことでいっぱいだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます