9-6.忘れ物……

 フィリアは思考を止めると、人懐っこい笑顔を浮かべてふたりに尋ねる。


「おなかいっぱい」

「空腹は満たされた」


 警戒するような子どもたちの短い返事に、フィリアは「わかったよ」と小さく頷いた。


 エルトと違い、このふたりからは、それほど好かれていないようだ。いや、嫌われてしまったかもしれない。


 時々だが、リオーネからは憎しみに近い殺気を感じるときがある。

 エルトとの距離感が気に入らないというのは、簡単に想像がつく。


(だからといって、遠慮はしないけどね)


 子どもたちの可愛い嫉妬心に、フィリアは意地悪な笑みを口元に浮かべた。


「ギル。ぼくは子どもたちを送っていくから、後は頼んだよ」

「えっ……ちょっ……」


 エルトを抱きかかえたまま椅子から立ち上がったフィリアを、ギルがすがるような目で追い見上げてくる。


 頼むから、自分をひとりにしないでくれと、強い想いを込めて、ギルはフィリアに無言で訴えていた。

 今にも泣きだしそうな顔で……非常に、わかりやすい幼馴染だ。


「ギルはまだ、なにも食べていないだろ?」


 そうフィリアに言われると、そのとおりなので、素直なギルは反論できない。

 反論どころか、頷いてしまった。


 フィリアはエルトの世話をしながら、自分の食事もしっかりととっていたが、ギルはナニの世話に全神経を注いでいたので、自分のことはなにもできていなかったのだ。この差は大きい。


「えー。フィリアも帰るの?」

「うん。子どもたちはもう寝る時間だからね」

「やだー。まだ夜は始まったばかりよっ」


 半分できあがっているミラーノとエリーが抗議の声をあげ、なぜか、リオーネにまとわりつく。

 リオーネは、蛙が潰れたような呻き声を漏らした。


「……オレがまだ残るから。いいかげん、子どもたちを開放してやれよ」


 ナニを膝の上から下ろし、ギルがしぶしぶ女性陣の相手を申し出る。


 これから酔っ払いふたりの相手をすると思うと気が重くなるが、子どもたちをこの肉食ウワバミにつきあわせるわけにはいかない。


 いつも大体、こういう流れでギルは最後まで女性陣とつきあう羽目になる。

 今日は子どもたちがいるからか、フィリアが退散する時間が早くなったような気がする。


 めいっぱい恨みを込めてフィリアを睨みつけるが、フィリアはそっと視線を外し、明後日の方向を向く。


「…………」

「ここまでのオーダーは、ぼくとフロルが奢るよ。でも、ここから先は、自分たちで払うんだよ」


 と言って、ミラーノとエリーの飲み過ぎをフィリアはやんわりと牽制する。

 この言葉がどこまでギルを救うことになるかはわからないが、後はギルひとりでがんばってもらうしかない。


「わかったわよ」

「ごちそーさま。またねー」


 ミラーノとエリーのあっさりとした返事に見送られ、フィリアは子どもたちを酒場の外へと連れて行く。


 なにか言いたそうにしているギルは、さらりと無視した。


 ****


「もう遅いから、家まで送ってあげるよ。きみたちは、どこに住んでいるのかな?」


 会計を済ませたフィリアは、先に店先で待っていたリオーネとナニに声をかける。


 夜も深まり、通りを歩く人は少ない。

 多くの照明用の魔道具を所持し、魔法を使いこなす上流階級の人間でもなければ、人々は太陽とともに活動し、夜間の外出は極力控える。


 帝都であっても、平民は家に帰り、明日に備えて早々に眠りにつくのだ。


 酒場兼宿屋である店内からは賑やかな声がまだ聞こえているが、ほとんどの店は看板を下ろし、ひっそりと静まり返っている。


 これからは、陽の下で生きることを許されていない人々が、暗躍を開始する時間となる。

 幼い子どもたちがウロウロする時間ではない。


「見送りは不要。この距離なら【帰還】の魔法で帰れる」

「おれも」

「そうなんだ」


 フィリアの申し出はきっぱりと断られた。

 あれだけの攻撃魔法を使えるふたりなら、【帰還】の魔法が使えても不思議ではない。


 フィリアの想像どおり、子どもたちは口々に【帰還】の詠唱をはじめる。


「え……ちょ、ちょっと。まっ……」


 フィリアが慌てる。

 重大なことに気づいたが、それを指摘する前に、子どもたちは呪文を唱え終えて、フィリアの前から忽然と姿を消した。


「忘れ物……」


 先程まで子どもたちがいた空間に向かって、フィリアが呆然と呟く。


 フィリアの腕の中には、すやすやと穏やかな寝息をたてて眠るエルトがいた。

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