8-2.さて、どうしたものか……
小さな溜め息をついた後、ルースはのろのろと書類のページをめくっていく。
ちびっ子たちの証言と記録に食い違いがないかチェックを開始する。
なかなかに読み応えのある分量だ。
ページ数ではなく、書かれている濃い内容に心が折れてしまいそうになる。
同室内に設けられている秘書の席では、トレスが怖い顔をして、書類作業を続けていた。
トレスの心中はというと、穏やかではないようで、ピリピリとした気配がこちらにまで伝わってくる。
余裕を失っているのがまるわかりだ。
『激レア薬草採取大事件』と『モブじゃないゴブリン討伐大事件』を一度に聞かされたら、動揺するのが普通の反応である。
逆にケロッとして、顔色ひとつ変えない方が異常だろう。そんな奴がいるのなら、そいつは間違いなく要注意人物だ。
(さて、どうしたものか……)
書類を読み終えたルースは、顎に手をやり、ぼんやりと考え込む。
自身の能力低下もそうだが、なによりも使える手駒が少なすぎて、最善の手がとれない。
今回の予想していなかった展開にあわせて、いくつかの軌道修正が必要だった。
その一つに視線を向ける。 本日中に必要な書類を書き終わったトレスが席を立ち、こちらへと近づいてくる。
今日は大量の【書類鳥】のやりとりに魔力と気力を消費しすぎたのか、トレスの足元が少しふらついている。
「……ギルド長、必要書類の作成が終わりました」
「ああ。ありがとう。ご苦労だった」
ルースは労いの言葉をかけながら、読み応えのありそうな書類の束を、トレスから受け取った。
いつもなら、トレスは嬉しそうに頷き、書類に目を通すルースを食い入るように見つめてくるのだが、今日は心ここにあらずといった風で、視線が頼りなく彷徨っている。顔色もさらに悪くなっている。
迷っているのだろう。微笑ましいくらいとてもわかりやすい反応だった。
だからこそ、やりにくい一面もある。
秘書としては優秀だが、諜報員としては、問題アリだ。
まあ、諜報員としての訓練を受けていない普通の冒険者だから、当然の反応である。
そもそも、彼の出身国の国民性というか、エルフの種族特性とでもいうのだろうか。征服欲が少なく、積極的に外交しようという考えもない。ゆえに、諜報活動の質はあまりよろしくない。
特に、トレスの出身国は、その傾向が強いようである。
なぜなら、情報収集においては、彼ら自身が動くことはまれで、主に精霊や召喚獣の使役に頼るところが大きいからだ。
暗部の活動に必要とされているスキルは、冒険者レベルといったところで、さほど重要視されていない。
トレスが帝都の冒険者ギルドにやってきたのも、帝都の様子、冒険者ギルド本部の動向を故国にいち早く伝えるため、という目的以上のものはないようだ。
排他的で他国との交流を求めないトレスの故国であっても、五年前の『エレッツハイム城の悪夢』は無視できなかったようである。
いや、精霊や召喚獣が、気を利かして、世情に疎いエルフたちに警告をしたのかもしれない。そちらの可能性の方が高い。
他国との交流が少ない分、自分たちで独自に情報を集めなければならない、と判断した、といったところだろうか。
今までは相手の思惑を探るためにも放置していたが、こちらが心配になるくらい、なにも起こらなかった。
諜報活動ではなく、出稼ぎにきたのか? とルースが不思議がるくらい、トレスは真面目に専属秘書としての業務をこなしていたのである。
だが、ハーフエルフのお遊びに付き合うのも、そろそろ終わりにするときがきたようだ。
(あとひと押し……が必要か?)
ルースは渡された書類にざっと目を通し、机の上に置いた。
専属秘書ができる範囲はここまでだ。
ここから先の作業は、ギルド長のみしか許されていない。
ルースは片手で頬杖をつき、返事待ちのトレスを見上げる。
もう片方の親指で、机の上を「コン、コン、コン」と軽く三度叩く。
「今日はこれで終了だ。あとは、わたしが対処する」
「…………わかりました」
ルースの机の上にある三人分のドッグタグに気づいたのか、トレスの返事が少しだけ遅れた。
トレスの唇がなにかを言おうと動いたが、言葉にはならなかった。
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