8-1.どれだけサインが必要なんだよ

(ああ……やる気がでない……)


 爆弾のような、というか、危険物そのものとしか言いようのない子どもたちと、それに巻き込まれてしまった哀れな『赤い鳥』のメンバーを応接室から追い出すと、ルースギルド長は執務室に戻った。


(ようやく静かになった……)


 とても疲れた。身体も心も疲れ果てており、崩れ落ちるようにして椅子に座る。


 広い机の上には、ルースのサインを必要とする書類が並べられている。

 それを一枚、一枚、丁寧に確認しながら、のろのろとサインを書いていく。


(ったく……。どれだけサインが必要なんだよ)


 ペンを忙しく動かしながら悪態をつく。

 これでも、本日中に必要な――ー刻を争う――ものばかりである。

 トレスに作成を任せられない機密書類や、明日以降でよいものは含まれていない。

 文面も楽しい内容ではないので、余計に気が滅入ってくる。

 明日以降の作業を想像し、さらに気持ちが沈んでしまう。


 トレスが同じ部屋で作業をしているので、ぼやきはあくまでも、心の中だけだ。


 専属秘書が用意した書類は完璧で、読みやすい。

 今回は不幸にも、衝撃的な内容ばかりだったので、ところどころに文字の乱れがあるが、誤字はなく、書き直しとなるほどではない。それが唯一の救いというのも、あまりにもささやかすぎて、救いがない気がする。


 本日中に必要な書類にサインを書き終えると、トレスがそれを回収し、魔法が使えない、いや、魔法を使いたくないルースにかわって、【書類鳥】を関係各所に転送していく。


(今日は【書類鳥】もたくさん飛んだな……)


 トレスの魔力で生まれた【書類鳥】が、夜間にもかかわらず執務室を飛び立っていく。


 驚いたことに、返事が飛んでくる場合もあるので、自分たち以外にも、まだ働いている部署があるのだろう。


 というか、返事の【書類鳥】が多すぎる。一羽飛んだと思ったら、五羽戻ってくるという、不思議な現象が発生していた。

 相手側も相当混乱しているようだ。


 トレスの対応を見守りながら、ワーカーホリックどもめ、とルースは悪態をつく。

 書類が新たな書類を生み出していく。


 この作業を全部、自分ひとりでやったら、間違いなく吐血だ。軽く二、三回は死にかける量だ。


 不意に、『赤い鳥』の魔術師と回復術師の巨乳コンビが、応接室を退出するときに、これから打ち上げだと言って、強引にメンバーを誘っていたのを思い出す。


 リオーネが抵抗するも虚しく、ずるずると巨乳コンビに引きずられていたので、その勢いのまま、子どもたちも一緒に酒場に連行されただろう。


 エルトはフィリアに抱きかかえられたままだったが、なぜか、ギルもナニを抱いたまま廊下を歩いていた。


 なぜ、あのふたりが子どもたちに執着するのか、ルースにはわからなかった。

 警戒心の強い子どもたちも、なぜかあのふたりには懐いている。


 レア薬草三百本とか、ゴブリン王国殲滅とか……頭が痛くなることばかりで見落としてしまったのだが、この段階でルースがふたりの行動にもっと疑念を抱けば、あのふたりの運命も変わっていただろう。


 だが、このときのルースの頭の中はレア薬草三百本とか、ゴブリン王国殲滅とか、ちびっ子たちのステータス再チェック作業とかでいっぱい、いっぱいで、フィリアとギルのことにまで注意がまわらなかったのである。


 ちびっ子たちの世話を、子ども扱いの上手なフィリアとギルに丸投げできてよかった……と思ったくらいである。


 今頃、どこかの酒場で、『赤い鳥』と子どもたちは、楽しい夜を過しているにちがいない。

 部屋の中を飛び回っている【書類鳥】を眺めながら、ルースギルド長はそんなことを考えていた。


 子どもたちには、刺激の強い夜になるかもしれないが、まあ……冒険者にしては珍しく生真面目なフィリアがいれば、そこまで心配する必要もないだろう。


 ルースができることといえば、酒場で乱闘騒ぎといったベタな展開にならないことを、祈ることぐらいだ。


 冒険者たちはお楽しみの時間となったが、自分はまだ残務整理の只中にいる。


 ルースはサイン不要の書類――ちびっ子たちの証言を記録した書類――を手に取った。なかなかの厚みがある。

 手に取った瞬間、ずしりとした重みを感じ取り、またまたルースのやる気が削がれていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る