4-2.はいりまーす!

 この陽の光が差し込まぬ『深淵』の中にギンフウがいつづけることになったのも、『エレッツハイム城の悪夢』に関係している。


 この『深淵』と呼ばれる暗闇に包まれた場所は、ギンフウから時間の感覚を容赦なく奪っていく。


 だが、時間というものは確実に、誰に対しても平等に存在している。


 第十三騎士団が救い、その団長であるギンフウが庇護した子どもたちは、五年の間に成長した。


 どの子も魔力が多く、また、『エレッツハイム城の悪夢』と深く関わったために、普通の子らとは違う成長速度をみせているが、それでも子どもらは確実に成長している。


 その姿がギンフウに時間の流れと過去を思い出させるのだ。


 ギンフウは羽ペンをインク壺の中に入れると、軽く肩と首を動かした。


 認めたくはなかったが、今日は仕事に集中できない。


 癒せない心の痛みは、どうすることもできない。

 重くのしかかる苛立ちをギンフウは目を閉じてやりすごす。


 ハヤテ、カフウ、セイラン……ギンフウが庇護しているこの三人に、血のつながりはないだろう。


 カフウはセイランのことを自分のオトウトだと主張したが、ふたりが縁者だとは思えない。


 セイランは未だに「とうさん」とギンフウのことを呼んで慕ってくれているが、もちろん、ギンフウは子どもたちの血縁ではない。


 ギンフウは子どもたちの養父であり、後見人であり……そして、監視者でもあった。


 子どもたちとギンフウを繋いでいる共通点は、五年前に起こった『エレッツハイム城の悪夢』の生還者であるという一点のみだ。


 数少ない生き残り同士。


 全滅していてもおかしくない陰惨な事件で、なぜか生き残ってしまった不吉な者として周囲から疎まれ、抹殺されそうになった過去が、彼らとの絆になったのだ。


 『エレッツハイム城の悪夢』で多くのものを失った者同士が、我が身に負った傷を庇いながら舐めあっているだけなのかもしれない。


 生還できたとはいえ、闇に堕ちた神への生贄として捧げられた子どもたちが、全くの無傷であるはずもない。


 生贄奴隷としての宿命を与えられた子どもたちは、心――魂――に深い傷を負い、錯乱し、記憶のほとんどを失っていた。


 己の名前も年齢も、親の名前も忘れてしまった子どもたちに、ギンフウは新たな名を与えた。

 そして、生き残った部下たちとともに、子どもたちの傷をゆっくりと癒やし、成長を促した。


 闇に包まれた『深淵』と呼ばれる場所ではあったが、その昏い場所で、大事に、大事に子どもたちを育てた。


 そして、今日、子どもたちは、大人になろうと次の段階へと進もうとしている。


 まあ、若干一名だけは、まだ手元に置いておきたかったのだが、なかなかおもうとおりにコトは運ばないようである。


(今頃、あいつらは冒険者ギルドで登録中かな……)


 書斎椅子に深く身を沈め、そんなことを考えていると、ノックの音が聞こえた。


「はいりまーす!」


 部屋の主が返事をする前に扉が開き、妖艶なエルフがするりと室内に入ってきた。


「コクラン……何度言ったらわかるんだ? ノックをしたら、勝手に部屋に入れるというわけではないぞ」


 ギンフウは形の良い眉をひそめながら、妖艶な色香を振りまいているエルフ――コクラン――を睨みつける。

 副官がいない今、彼女がギンフウの右腕として、采配をふるっている。


「いいじゃない。勝手に入っていいときにだけ、勝手に入ってるだけだから」


 酒場のマダムとして君臨しているコクランは、この程度の視線に屈することなく、ギンフウが座る机の側にまで、つかつかと歩み寄る。


「コクラン、それは詭弁というものだ」

「堅苦しいこと言わないの。ど――せ、入っちゃ駄目なときは、ギンフウはガッチリ結界を張ってるじゃない? その時は、ちゃんと空気を読んで遠慮するからね」

「……結界を張っても、それをぶち破って入ってくる奴の言う科白か?」

「破られるような、ヤワな結界なのが悪いのよ。本当に嫌なら、死ぬ気でかかってきなさいよ」

「魔力の無駄遣いはしたくない……」

「有り余ってるくせに」


 ギンフウは不機嫌な顔のまま、書類にサインを書きこんでいく。

 その合間にコクランの相手を適当にする。


「相変わらずの塩対応ね……。色男が台無しだわ」


 と、ブツブツ文句を言いながらも、コクランは流れるような動作で、一枚の書類をボスの前に差し出した。



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