4-1.あれから五年か……
幼い子どもたちを断腸の思いで見送った後、『深淵』のボスであるギンフウは、酒場の二階にある自分の書斎に戻り、溜まっている書類の処理をはじめた。
三人の子どもたちが、元気よく酒場を出発してから一時間ほど時間が過ぎた。
『深淵』の書斎に窓はない。魔導具の灯りが室内をぼんやりと照らしているだけだ。書斎全体を照らすのには心もとない光量で、部屋の隅の方は闇と同化していた。
この『深淵』は、帝都の深い場所、闇に包まれた中に存在している。外界の光が決して差し込まぬ場所だ。
『深淵』内部で時間の経過を知るには、己の体内時計の他には、時刻と日にちを刻む魔導具だけが頼りだ。
閉ざされた空間で、ギンフウは分厚い書類の束を手にとると、パラパラとめくりはじめる。
「あれから五年か……」
書類をめくる手が止まり、ギンフウの整った顔に苦い笑みが浮かんだ。
自然とこぼれ落ちた言葉に、胸が鈍い痛みに襲われる。
鋭い刃で突き刺されたような、あるいは、灼熱に燃え盛る鉄棒を押し当てられた痛みは、五年が過ぎても深々と突き刺さり、ギンフウを苦しみのどん底へと突き落とす。
目を閉じ、息を潜め、じっとその痛みに耐える。
痛みをやり過ごし、ゆっくりと目を開けると、書類の山が視界に入ってきた。
目の前にそびえる書類の山に、ギンフウは思わず嘆息する。
ひとときでも油断すると、書類関係はすぐに溜まるし、処理したそばから、すぐに新しい書類があちこちから提出され、少しも楽しくない。
処理待ちの書類の中には、部下からの報告書もあるし、支援者からの書状もある。
この膨大な紙の山の中には、無関係に思えた事件と事件が繋がっている……ヒントが各所に散らばっている。
それを見つけ出し、つなぎ合わせ、組み立てるのがギンフウの役目でもある。
あらかじめコクランが一般書類には目を通して分類をしてくれるが、それでもギンフウが処理しなければならない量は膨大だった。
ギンフウは己の手に届く全ての書類に目を通し、ひとつひとつ内容を吟味する。
彼は紙一枚の文書もおろそかにできない立場にいた。
依頼人への報告書類に自分のサインを記載すると、ギンフウは右手側にある書類の山と左手側にある書類の山を見比べる。
この量の報告を依頼人もまた読まなければならないのか、と思うと、少しばかり依頼人にも同情してしまいそうだ。
未処理の書類の山がさきほどから全く減っていないような気がする。
そして、処理済みの書類は少しも増えていない。
勘違いではないだろう。
騎士団の長をしていた頃と比べると、目を通さなければならない書類の量が、あきらかに増えている。
その事実をギンフウは粛々と受け止めてはいるが、増えた書類は、騎士団時代は副官が処理していたものだ。
五年前の『あの事件』で副官を失ってからは、彼が引き受けていたものもギンフウが処理している。
前線に立ち、身体を動かしている方が好きなのだが、机に向かう仕事が苦手というわけではない。
ただ、書類仕事をしていると、五年という歳月が過ぎた今でも、己自身が失ってしまったものの多さを思い出して、やるせなさが募り、作業の手が止まってしまうのだ。
第十三騎士団全滅の狼煙を打ち上げた五年前の『あの日』からギンフウの時間は止まったまま動いていない。
どうやら巷では『あの日』のことを、事件現場の名称をとって『エレッツハイム城の悪夢』と呼び合うようになったらしい。
民たちが言い始めた呼称を、帝国が正式に認めた形だ。
ギンフウとしては、もう少し気の利いた呼び名はなかったのか、と思ったが、帝国もまた疲弊しており、事件名称を考える余力も残されていなかったのだろう。
『エレッツハイム城の悪夢』は、多くの人々から多くのモノを奪った。
ギンフウひとりが被害者ではないのだが、彼もまた多くのモノを奪われたひとりであった。
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