4.真相

 ぼろぎれのようになった濡れた衣服を替え、毛布でくるみ、焚火を起こして暖め……三人は夜通しリュインを介抱したが、固まった四肢は容易には動かず、翌日になっても歩けるようにはならなかった。リリィとハルは、交代で彼女をおぶい、山麓の村まで送り届けた。



「えっ?……リュイン?リュインなのかい!?」

 井戸で水を汲んていた中年の婦人たちが、ハルの背の姿に気付いた。ひとりが村の中へと走っていった。その者は、背の曲がった老婆の腕を取り戻って来た。異邦人におぶわれた姿を認めると、老婆は目を見開き、よろけながら駆け寄った。

「リュイン……ああ、リュイン!あああ……」

 彼女の母だった。ハルはリュインを背から降ろし、母に抱き締めさせた。



 泊っていけという村人たちの申し出を固辞し、三人はその地を後にした。


 先頭で進むハル。

 むき出した石から石へとカモシカのように跳ねながら、後ろを歩む少女に尋ねた。

「ボウマンのこと……知ってたのか?」

「ええ」

 リリィは、大平原に沈む夕日を面に受けていた。

 道を下るハルの表情は複雑だった。三十年ものあいだ探し求め、ようやく見いだし、手が届く寸前、彼は背を向けた。その心境をおもんばかっていた。


「彼女は蘇ったけど……つらい人生になるかもしれないわね。あなたも見たと思うけど、命は取り戻しても、指はほとんど腐り落ちるでしょう。旧知の村人たちとも時を分かたれた」

「そうだな……」

 自分たちのしたことが本当に良かったのか。ハルには判断しかねた。

 だが同時に彼女は理解していた。


(世の中、薪を割ったように良いことと悪いことがあるわけじゃねぇ。そして薪を割ったように良いヤツと悪いヤツがいるわけでもねぇ。コイツみたいにな)


 ハルは振り返った。立ち止まり、両手を広げる。


「それにしてもすげぇな!氷漬けの人間を生き返らせちまうなんて。どんな術使ったんだ?」

 だが、彼女を見下ろす少女の目に笑みはなかった。


「私は……何もしていないわ」

「えっ……?」

「私は何の術も使っていない。息を吹き返したのは、よ」

「ウソだろ……どういうことだよ!?」

 夕日に衣装を染め、少女は答えた。


「王城の図書館で、たくさんの文献を調べた。反魂はんごんの秘法に関する記述は多くあった。でも、そのどれも今ひとつ信憑性に欠けていた。調べが進んで……私にはわかった。その術は存在しない、迷信なんだって」

「そんな……」

「この世界では、毎年何万と言う人間が生まれ、死んでゆく。天寿を全うする老人だけじゃない。病、不慮の事故、犯罪、戦、天災……自分の力ではどうすることもできない、理不尽な理由で身近な人の命が奪われる」

「……………」

「愛する人を失うのは悲しいこと。その耐えがたい心の痛みに、誰しも思うわ。時を巻き戻したい、生き返って欲しいって。有史以前から、何百万、何千万と積み重なったそんな人々の強い思いが……ありもしない秘術を生み出してしまった」

 諭すような少女の目。ハルはうつむき唇を噛んだ。


「……それに、創造ヤウエーより破壊デゼラギー……私の力は、彼の願いとは背反するもの。私はこれまで、むしろそんな悲しみを作ってきた立場。もとよりできっこなかったし、する資格もなかった。失敗すれば、彼もあきらめがつくと思って引き受けた」


「わーったよ」

 ハルが顔を上げた。その目には、寂しげながら、笑みが戻っていた。

「でも……あたいはちょっとうれしかったぜ」

 民族衣装の後ろから覗くシールも穏やかな表情を見せる。ハルの想いを汲み取ったのだろう。

「……おめぇが自分のことより他人のことを考えて行動するなんてな。こりゃお天道マーゼル様もびっくりだぜ」

 リリィがいたずらっぽく笑った。

「百万ソリタは魅力的だったでしょ」

「受け取れるつもりなかったくせに……って!これどーすんだよ!?成功しちまったじゃねぇか!金払わせんのか!?」



 ※


 王都に戻ったリリィは、シールに手紙を代筆させた。

 使いの者を出そうとしたが、ハルが自分で届けると持って出て行った。



「ハル、さん……」

「しばらくぶりだな。達者にしてたか?」

 ボウマンは、かつてのハルたちの住まいと似た、出稼ぎ者たちの下宿で暮らしていた。


「あの時は……黙って姿を消して申し訳ありませんでした」

「後でリリィから聞いたよ。いいってことよ」

 彼女は懐から封書を差し出した。

「まじない師殿からの伝言だ」

「あの、それでリュインは……」

「手紙に書いてある。自分の目で確かめな」

 「あたいは字が読めねーけどな」、ハハハと笑い、ハルはきびすを返した。


 開封したボウマンは、シールの達筆に目を這わせた。


「リュインが……まさか……」

 手紙には、リュインが息を吹き返したこと、彼女を故郷の村まで送り届けたこと、報酬の受け取りは辞退することが簡潔に書かれていた。

「リュイン……リュイン……うわあ、わあああああああッ!!」


 

 ハルが歩を止めた。

 通りにまであふれ出る慟哭。


 彼女は静かに目を閉じた。

 その頬を、一陣の風が撫でた。

 その、柔らかで、暖かな感触。



 ―――春は、もうそこまで来ていた。




   (魂の風は、ただ東から西に 完)

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魂の風は、ただ東から西に ~まじない師リリィの事件記録~ ittpg @maki_misaki

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