漂う毒

 ワーウルフ。

 二足歩行で、知能が高くて、何より野蛮。それがヤツらの正体だという。


 教会で手当てしたときに強く握り潰された跡、強く打ち据えられた傷、鋭い爪牙の痕が見受けられた。

 わぁい、本格的に剣と魔法の世界だ――とならないのは、教会の惨状を見たからだろう。


 人が死ぬ。傷つき倒れる。疲れ、倦み、腐る。剣と魔法でも、ナイフとスマホでも変わらない。


 生きているのなら、殺せるのだ。


「はは。大きく出たな」

 そういうアッシュは、しかし笑わない。

「そういうのなら、その縄から自力で抜け出せるのでは?」

 ……そういうことするんだ。

「やれるけど、念のため窓を全部開けてからにしたほうがいいよ」

「ご忠告どうも」


 少し煙たい夜風が入り込んできたのを確認して、手縄を酸で焼き切る。異臭がすごい。


「この通り。足のほうはどうしてほしい?」

 足首を遊ばせて、アッシュに伺う。

「いや、十分だ」

 抜……いや、納剣だった。キン、と音がして、ボクの足を縛り揃えていた蔦が切り払われた。


「気に入ったよ。いま、少し見えていたね?」

 柄に手を添え、アッシュはニヤりと笑う。

「アイリが毒を扱うように、俺は斬撃を操る。それがこの【斬閃領域エスパーダ】だ」

 ――と、緋色の瞳は金の髪を揺らして謳う。


「いまのでわかった。アイリ……きみは話のできる人だ。脱走はおろか、この村一つ壊滅させて逃げることもできただろう。それをしなかったあなたを信じたい」

「いまのでわかったけどさ、アッシュの【斬閃領域エスパーダ】は一振りで対象一つを絶対に斬れるヤツだよね」

「……ハ。俺が前言撤回できる男なら、ここで斬れていたんだが」

 アッシュ・レギオンは、そうして初めて笑顔を見せた。獰猛なものだった。



◆◆◆



「ワーウルフ撃退作戦の要、アイリだ」

「アイリです」


 教会の祭祀室。

 鎧を着こんだ騎士団と農具で武装した村人たちの前に、ボクとアッシュが立っている。

 あとで家の名を名乗らないのか、とアッシュに問われたが、毒使いとして呼ばれた手前、アスラピスクスは違うだろう。


「おぉ、アスラピスクスの……」

「大医術師の……」

「大軍師イリスさまの妹君か……」

 ……イリス? 妹?

「そうだ」

 と、アッシュ。にわかに色めき立つ騎士団の面々。

 大軍師ってなに?

「期待していいかな、アイリ」

 さっき大口を叩いた手前、気弱な答えはできないだろう。

「ウン。イイヨ」

 場は、わぁっと沸き上がった。よせやい。

 作戦のために壁面に直接描かれた地形に目を逃がす。


「…………」

 逃げた視線は、この辺りの高さを示しているだろう稜線へ。


「アッシュ、ワーウルフが攻めてくるのはこっちの森から?」

「? あぁ、そうだな」

 これまでの襲撃の資料を見やったアッシュは、問われた意図がわからないまま頷いてくれた。


「風向きは?」

「……どうだ?」

「はい。夜明けまで襲撃側に向けての打ち下ろし、のちに雨です。風上……ヤツらにとって、我々は恰好の餌です」

 術師然とした男が、顔を青くして答える。


「…………じゃあ、勝てるね」

 ボクたちが風上で、高さも上。しかも雨が降ってくれるというオマケ付きだ。


 騒然とする騎士団たち。

 無理もない。ボクが生きていた現代においても、こんな白兵戦上等な環境だと風下が圧倒的に有利だ。装備が同等で、偵察を兼ねた猟犬を放てば、まぁ勝ち確……と、ミリオタの友人が現代戦の同人誌を書きながら語っていた。ボクはゲストでいろいろ着たり持ったりした……な状況なわけだ。


 しかし、【毒】。


 ワーウルフの生態がどうあれ、彼らが呼吸するのならば――



 ◆◆◆



 日が昇るころ、遠見の魔術を使える術師数人が、口々に叫んだ。

「ワーウルフ、……全滅ですッ! 残存ゼロ!」

「待機していた騎士団および村民、被害ゼロ!」

「兵站、損耗軽微!」

 この場合の兵站とは、騎士団運用にまつわる支出だ。彼らの遠征費、待機している時間や食料を指している。さすがに、こればかりはゼロにはできないか。


「アイリ……」

 ただ一人、ボクに畏怖の念を向けるアッシュ。

「きみは一体なにを」

 そういう手は、柄に伸びていた。


 そうだろう。脅威だろう。

 ワーウルフが攻めてくるという森に向かって、村にある一番いい椅子と軽食を要求した少女が座っていただけでこの結果なのだ。この力が自分たちに向けられる前に――と、完全勝利に喜ぶ騎士団たちを横目に、アッシュはボクをこそ警戒している。


「硫化水素だよ」

 宴だ酒だと沸き立つ片隅で、ボクは保身のためではなく、彼への尊敬の表れとしてタネを明かした。

「りゅう、か……?」

「あぁ、うん」


 説明のため、宴会のごちそうの中から串焼きを二つ持ってくる。それだけのためにもみくちゃにされて背中とか肩とかを軽く叩かれた。体育会系のノリには一生慣れないだろうな、と再確認した次第である。一生はもう終わってるんだけどね。


「はい、どうぞ」

 一本をアッシュに手渡す。

「うん、おいしい」

「アッシュ、それが呼吸ね」

「うん? うん」

 食べ終えるアッシュ。

「はい。息しちゃダメ」

「え? あぁ」

 息を止める金髪赤目騎士。友達が飼っていた犬とかの素直さによく似ている。面白……。

「はい、これ食べると息できるよ」

「(おお、ありがたい)」

 目は口ほどにモノを言うんだな。

「これ食べたら死んじゃうよ」

「!」

「っていうのが、硫化水素。ステイステイステイ! 死なない毒じゃない息していいから!」

 一瞬、マジで剣を抜きかけたよコイツ。仕方ないけどさ。


「……つまり?」

「息をしたら死ぬ毒、だね」

「……なるほど」

「ちなみに雨に弱いから、心配しないでね」

「そうか。きみを拘束する」

「は?」

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