二章 後宮を騒がせる新しい寵姫
第1話 孫太后
その日、
(
皇太后の居所、後宮の最奥の
先帝の皇后であった女。今上帝
女ながらに学識に優れ、幼くして即位した絳凱を
後宮の女たちがひれ伏すだけでなく、
(後宮で足場を固めるなら、決して疎まれてはならない相手……!)
翠薇は、皇太子の死のどさくさに紛れて、皇帝の気まぐれで手がついた怪しげな女に過ぎない。すでに皇太后からの心証は悪いはず。
それを覆すための手札を、用意してはいるけれど──油断せずに、かからなければ。
* * *
このような豪奢な装いで身を飾るようになってまだ日が浅いけれど、なかなかの立ち居振る舞いになっているのではないだろうか。
何しろ、もの心ついてからというもの、翠薇は後宮の
低く頭を垂れると、髪に挿した
「このたび
「
が、彼女の口上は叩き斬るような鋭い声によって遮られた。
「──御意」
命令に従って身体を起こすと、
(この女が──)
翠薇の顔をじっくりと眺めた後──孫太后は不機嫌そうに吐き捨てた。
「姉に似ておるな」
「はい。皇上もそのように仰ってくださいました」
翠薇が目を伏せるのは、かつて同じようにこの場に参じたであろう、姉の
(使い捨てた
目の前にいる女は、姉が懐妊した時も、死を命じられた時も同じく後宮に君臨していた。一応は姉を愛した
だから──この女も、翠薇にとっては
「早くそなたと話をせねばと思っていたのだ」
「恐れ入ります。光栄でございます」
とはいえ、今は立ち向かうべくもない。これ以上孫太后の機嫌を損ねては、翠薇はこの部屋を生きて出られるかどうかも危ういのだ。
「よくもぬけぬけと……!」
ほら、
「
「讒言、などと──」
ほら来た、と思いながら。翠薇は戸惑うふりで声と眼差しを揺らせた。
彼女ではなく、心優しい姉がこの場にいたならそうしたであろうように。いかにも
「思い詰めた様子の宮女がおりましたゆえ、問い質したのです。それで……あの、恐ろしいことを申しましたので。皇上のお耳に入れないわけには、と」
「言わせたのはそなたではないのか? 哀れな丹を死なせた咎を免れるために、ありもしないことを言い含めたのではないのか」
「そのような──」
さすが、孫太后は翠薇の介入を正確に読んでいる。
でも、それは翠薇のほうでも同じこと。呼び出された場で追究されることも、何を言うべきかもとうに考えてある。
「私は……お調べするように申し上げたまででございます。丹が──いえ、太子様が病気で亡くなられたのではなかったなどと、信じたくはございませんでしたのに」
「
皇帝の
「苦渋のご決断かと存じます。皇上は、たいへん御心を痛めておいででした」
「
そして、翠薇だって。悲しみ嘆くふりで、目元を押さえた袖の影から、対峙する権力者の一挙一動を窺っている。
(
では、孫太后の不機嫌は、怪しげな女が貴人の位を得たからだけではないのだ。
翠薇の推測が当たっているなら、
絶大な権力者を相手に、八つ当たりで済んでいるのは──翠薇が嘘を吐いているという証拠がないからだ。そして、もうひとつ理由がある。
「でも……
百戦錬磨の女傑のこと、忘れるはずもないだろう。言い辛そうに、おずおずと述べながら、翠薇はいっそう目を凝らす。
(どう答えるの? 認めるの? 握り潰すの?)
翠薇が証拠まで捏造したのだ、との主張はさすがに苦しいだろう。彼女に毒を手に入れる手段などないのは、調べればすぐわかる。あの
(お前が、丹を殺した。私のことも、その咎を押し付けて殺そうとしていた……!)
捻じ曲げられた筋書きを、この女は強引に修正しようというのだろうか。翠薇や桃花の口を封じて、証拠などなかったことにして。
孫太后は、翠薇の指摘にすぐには答えず、黙考している。
圧し掛かるような沈黙が、重くて怖い。翠薇の額から、ひと筋の汗が伝う。
(私が死ねば、皇帝は不審にも不快にも思うはずよ)
太后の胸先ひとつで殺されずに済むための、翠薇の希望のなんとか細いことだろう。
絳凱は、しょせん姉を見殺しにしたていどの男だ。義母との対立を避けて、召したばかりの寵姫の死に目を
「……不思議でならぬ」
「──は?」
翠薇の不安をたっぷりと煽っておいて、太后はふと、呟いた。目を見開いた翠薇に向けられた笑みは意外なほどに穏やかで、けれど同時に剣呑だった。
「なぜ、よりによって
思いのほかにはっきりと
(陥れる相手をどう選んだのか、吐け、というわけ……?)
ふたりとも、互いの罪も欺瞞も承知している。だから、多くを語らずとも、通じることができた。
孫太后は、翠薇にいったんの猶予をくれたのだ。あるべき筋書きを曲げて、
(望むところよ)
手札を見せる機会を与えられたことを知って、翠薇もにこりと微笑んだ。
「恐れながら──そのほうが
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