第4話 偽証
「どうして……そのようなことを……」
それに、愚かな娘が何も気付いていないのは好都合だった。何もかもを見通していると思ってくれるなら、そのほうが何かとやりやすい。
翠薇は、すぐには答えず、
そうして桃花を焦らせ、品の良い甘酸っぱさで彼女の怒りと憎悪を宥める。感情を剥き出しにしないほうが、この娘は恐れてくれるだろう。
「太子が死ねば、皇帝は怒る。怒りに任せて私たちに死を命じれば、丹の症状を説明する者は誰もいなくなる。手を汚した褒美に、お前だけは助けてやるとでも言われていたのかしら」
口にしてみると、危ういところだったのだ、と思う。見えない手に首を絞められるようで、
その者は、翠薇たちの不手際をことさらに言い立てて、絳凱の心証を損ねていたかもしれない。弁明の余地さえ与えられず、殺されることになっていたかもしれないのだ。
(黒幕は──それなら、皇帝に近しい者なんでしょうね)
顔色を、白どころか土の色に変じさせて震える桃花は、黒幕の名など知らないだろう。
卑しい
「私、はっ! 何も、知らなくて──」
「何も、おかしいとも思わなかった? 元気だった子がみるみる窶れていったのに? 何も言わなかった? 薬と一緒に、毒を与え続けた?」
でも、桃花を哀れんだりなどしない。たった七歳の子が殺されて良い道理などないのだから。毒だと知らなかったというのが言い訳でないとしても、その罪を見逃してやるなどできはしない。
「……ごめんなさい。どうか、あの」
許して、などとは口が裂けても言えないだろう。
言われるがまま操られるがまま、一国の皇太子を殺したのだと、愚かな
「──良いのよ。どうしようもなかったのでしょう」
でも──翠薇は唇に弧を描かせて、告げた。
憎悪が
「え──」
信じられない、と言わんばかりに目を見開いた桃花の、手を握ってやりさえする。
糾弾の恐怖に血の気が引いているのだろうか、死人のように冷たく強張った指先を
「
「ほ、ほんと……?」
桃花の土色の頬に、ほんの少しだけ赤みが戻った。もちろん、すぐに頭から信じ込んだりしないだろう。都合が良すぎる、裏があるに違いないと思って当然だ。
「本当よ」
そして、その通りでもある。
希望と疑いの間で揺れる桃花の心中を思って、翠薇の頬に自然な笑みが浮かぶ。続ける言葉も、軽やかに淀みないものになる。
「だから、証言してくれるわね? 黒幕が、何者なのか」
「で、でも。私。そんなこと知らな──」
「私が言う通りの名を挙げれば良いのよ」
桃花の顔色が再び青褪め、さらにはどす黒く染まっていく様を、翠薇は
求められる情報を知らない、という不安はまだ生ぬるい。
知っているか知らないかに関わらず、偽証をしろ、と迫られているのを理解した瞬間は、死を命じられたも同然の心持ちがするのではないだろうか。
「そんな。恐ろしいことは……」
「七つの子に毒を盛るよりは恐ろしくないわ」
桃花が手を引こうとするのを許さず、翠薇は指に力を込めた。爪が食い込む痛みに娘が喘ぐのも憎らしい。どれほど強く握りめても、丹の手はもうぴくりとも動かなかったのに。
桃花の手を握りしめる翠薇のそれは、今や罪人を戒める
(逃げられるとは思ってないでしょうね?)
桃花の荒い呼吸の音に、茶が沸き立つ音が重なる。菓子を口実に呼び出したから淹れたのに、この調子だと呑まないままで終わりそうだ。
「言う通りにしないなら、庇わない。皇太子を弑した罪で斬首だか八つ裂きだかにされるだけよ」
「嫌……っ」
言う通りにしたところで、無事に済むとはひと言も言っていないのだけれど。まあ、言う必要もないだろう。
「では、分かるわね?」
声高く喚いた桃花に、翠薇はにこりと微笑みかけた。
暗闇の中のひと筋の光明に見えるように。
甥の丹に見せていた
「次に皇上がお出でになった時──何を申し上げるかを教えるから。ちゃんと覚えるのよ?」
「は、はい」
卑しく愚かな者は利用されて捨てられるもの。翠薇の命令にひたすら頷く桃花は、自身を利用する者が変わっただけだといつ気付くだろう。
(気付いたところで、遅いけど)
丹に毒を呑ませた者を、翠薇は決して許さない。ただ──罰を与えるのは、何も彼女が自らやる必要はない。
(私よりもよほど、良いやり方を知っているのでしょうね)
毒の存在が露見するのは、黒幕にとっても予想外の事態のはず。失態を犯した手駒を黒幕が見逃すはずがないこと、翠薇は確信していた。
* * *
皇太子の葬礼が執り行われる陰で、後宮ではひとりの妃が廃された。皇太子の死に責ありとの嫌疑がかけられたためだ。
その妃は
にも関わらず有無を言わせず捕らえられたのは、宮女の証言があったから。そして、皇太子の病状を引き起こす毒が、彼女の殿舎から発見されたからだ。
「嘘! 私はそのようなこと命じていない! 何者かの陰謀です!」
今や寵姫のひとりとして皇帝の傍に侍りながら、翠薇は密かに嗤っていた。
(知っているわ。残念ね)
桃花はまだ毒を持っていたから、人を遣わして
もちろん、
姉が死を賜ったのを見届けて、安心して出産に臨んだ女だからだ。だから当然の報いを受けさせただけだ。自身が預かり知らぬことで勝手に命運が決められる、という。
(私が噛んでいると、気付いた者はどれだけいるかしら?)
少なくとも、黒幕は気付いただろう。そうでなくては困る。
翠薇が復讐すべき相手は多すぎる。ひとりずつ、一歩ずつ、手の届くところに近づかなければならないのだから。
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