第4話 偽証

「どうして……そのようなことを……」


 桃花とうかの震える声での問いかけを、翠薇すいびは無視した。分かり切ったことをわざわざ口に出す手間が惜しい。

 それに、愚かな娘が何も気付いていないのは好都合だった。何もかもを見通していると思ってくれるなら、そのほうが何かと


 翠薇は、すぐには答えず、山査子サンザシを砂糖で煮固めたかんを口に運んだ。

 そうして桃花を焦らせ、品の良い甘酸っぱさで彼女の怒りと憎悪を宥める。感情を剥き出しにしないほうが、この娘は恐れてくれるだろう。


「太子が死ねば、皇帝は怒る。怒りに任せて私たちに死を命じれば、丹の症状を説明する者は誰もいなくなる。手を汚した褒美に、お前だけは助けてやるとでも言われていたのかしら」


 口にしてみると、危ういところだったのだ、と思う。見えない手に首を絞められるようで、山査子サンザシの甘味がねっとりと喉に絡んで息苦しい。


 絳凱こうがいが、遠征から戻った足で、この殿舎を訪れなかったら。ことの次第をただすのに、まずはほかの者に当たっていたとしたら。

 その者は、翠薇たちの不手際をことさらに言い立てて、絳凱の心証を損ねていたかもしれない。弁明の余地さえ与えられず、殺されることになっていたかもしれないのだ。


は──それなら、皇帝に近しい者なんでしょうね)


 顔色を、白どころか土の色に変じさせて震える桃花は、黒幕の名など知らないだろう。

 卑しいはしための扱いなどそんなものだ。何も知らされぬまま利用されて使い捨てられる。翠薇の姉がそうだったように。


「私、はっ! 何も、知らなくて──」

「何も、おかしいとも思わなかった? 元気だった子がみるみる窶れていったのに? 何も言わなかった? 薬と一緒に、毒を与え続けた?」


 でも、桃花を哀れんだりなどしない。たった七歳の子が殺されて良い道理などないのだから。毒だと知らなかったというのが言い訳でとしても、その罪を見逃してやるなどできはしない。


「……ごめんなさい。どうか、あの」


 許して、などとは口が裂けても言えないだろう。


 言われるがまま操られるがまま、一国の皇太子を殺したのだと、愚かなはしためにもようやく理解できただろうから。そうでなくても、丹は翠薇の甥だ。姉の忘れ形見を殺されて、笑って済ませることなどできるものか。


「──良いのよ。どうしようもなかったのでしょう」


 でも──翠薇は唇に弧を描かせて、告げた。

 憎悪が重石おもしとなって舌の動きは鈍く、腹の底で沸き立つ怒りが喉に粘りつくようで息苦しさを感じたけれど。どうにか笑顔らしい表情を浮かべたはずだ。


「え──」


 信じられない、と言わんばかりに目を見開いた桃花の、手を握ってやりさえする。

 糾弾の恐怖に血の気が引いているのだろうか、死人のように冷たく強張った指先をさすってやりながら、翠薇は囁く。


皇上こうじょうは私の頼みを聞いてくださると思う。お前は言いなりになっただけだと、真に裁くべきは──命じた者だと言ってあげる」

「ほ、ほんと……?」


 桃花の土色の頬に、ほんの少しだけ赤みが戻った。もちろん、すぐに頭から信じ込んだりしないだろう。都合が良すぎる、裏があるに違いないと思って当然だ。


「本当よ」


 そして、その通りでもある。

 希望と疑いの間で揺れる桃花の心中を思って、翠薇の頬に自然な笑みが浮かぶ。続ける言葉も、軽やかに淀みないものになる。


「だから、証言してくれるわね? が、何者なのか」

「で、でも。私。そんなこと知らな──」

「私が言う通りの名を挙げれば良いのよ」


 桃花の顔色が再び青褪め、さらにはどす黒く染まっていく様を、翠薇はよろこんで眺めた。


 求められる情報を知らない、という不安はまだ生ぬるい。

 知っているか知らないかに関わらず、偽証をしろ、と迫られているのを理解した瞬間は、死を命じられたも同然の心持ちがするのではないだろうか。


「そんな。恐ろしいことは……」

「七つの子に毒を盛るよりは恐ろしくないわ」


 桃花が手を引こうとするのを許さず、翠薇は指に力を込めた。爪が食い込む痛みに娘が喘ぐのも憎らしい。どれほど強く握りめても、丹の手はもうぴくりとも動かなかったのに。


 桃花の手を握りしめる翠薇のそれは、今や罪人を戒めるかせだった。


(逃げられるとは思ってないでしょうね?)


 桃花の荒い呼吸の音に、茶が沸き立つ音が重なる。菓子を口実に呼び出したから淹れたのに、この調子だと呑まないままで終わりそうだ。


「言う通りにしないなら、庇わない。皇太子を弑した罪で斬首だか八つ裂きだかにされるだけよ」

「嫌……っ」


 言う通りにしたところで、無事に済むとはひと言も言っていないのだけれど。まあ、言う必要もないだろう。


「では、分かるわね?」


 声高く喚いた桃花に、翠薇はにこりと微笑みかけた。


 暗闇の中のひと筋の光明に見えるように。

 甥の丹に見せていた慈母じぼの笑みで、桃花もよく知る姉を鏡で映したような優しい顔で、後ろ暗い企みごとを口にする。


「次に皇上がお出でになった時──何を申し上げるかを教えるから。ちゃんと覚えるのよ?」

「は、はい」


 卑しく愚かな者は利用されて捨てられるもの。翠薇の命令にひたすら頷く桃花は、自身を利用する者が変わっただけだといつ気付くだろう。


(気付いたところで、遅いけど)


 丹に毒を呑ませた者を、翠薇は決して許さない。ただ──罰を与えるのは、何も彼女が自らやる必要はない。


(私よりもよほど、やり方を知っているのでしょうね)


 毒の存在が露見するのは、にとっても予想外の事態のはず。失態を犯した手駒をが見逃すはずがないこと、翠薇は確信していた。


      * * *


 皇太子の葬礼が執り行われる陰で、後宮ではひとりの妃が廃された。皇太子の死に責ありとの嫌疑がかけられたためだ。


 その妃は辟閭へきりょ氏。皇后に次ぐ左昭儀さしょうぎの位を受け、皇子も儲け、実家も権勢を誇っていた。

 にも関わらず有無を言わせず捕らえられたのは、宮女の証言があったから。そして、皇太子のを引き起こす毒が、彼女の殿舎から発見されたからだ。


「嘘! 私はそのようなこと命じていない! 何者かの陰謀です!」


 左昭儀さしょうぎの悲鳴はうるさく甲高く、丹の死を悼む声を掻き消す耳障りなものだった。けれど同時に、翠薇にとってはたいそう甘美な調べでもあった。


 今や寵姫のひとりとして皇帝の傍に侍りながら、翠薇は密かに嗤っていた。


(知っているわ。残念ね)


 桃花はまだ毒を持っていたから、人を遣わして左昭儀さしょうぎの殿舎に仕込ませたのだ。証言と証拠が揃えば、傍目には悪事を暴かれた女が見苦しく言い訳をしているようにしか見えないだろう。


 もちろん、左昭儀さしょうぎの訴えが真実であるのを翠薇は知っている。でも、同情はしない。

 姉が死を賜ったのを見届けて、出産に臨んだ女だからだ。だから当然の報いを受けさせただけだ。自身が預かり知らぬことで勝手に命運が決められる、という。


(私が噛んでいると、気付いた者はどれだけいるかしら?)


 少なくとも、は気付いただろう。そうでなくては困る。

 翠薇が復讐すべき相手は多すぎる。ひとりずつ、一歩ずつ、手の届くところに近づかなければならないのだから。

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