東へ向かう列車にて

はくすや

三等室の乗客

 列車の長旅は単調な時間との戦いだ。それは老若男女を問わない。

 窓の外の景色に見飽きた幼い姉弟はどこか別の部屋へ探検に行った。

 高齢の老夫人は編み物の手を休め、うとうとしている。その横にいた夫らしき男は丸眼鏡を外し、読んでいた本を傍らに置いた。

 きみはひたすら書きものをしている。それがきみの生涯の仕事だからだ。

 エゼルムンド帝国旧オーデリア領に入ったところの小さな駅で列車はしばらく停車することになった。

 高原の駅。遠くに連なる高い山はすっかり白くなっていてどんよりとした灰色の空とともにきみに陰鬱な空気をもたらした。

 駅には売り子が入ってきている。精一杯着飾ったつもりの少女のロングスカートはくすんだ赤い色をしていて裾が擦り切れていた。

 少女が手にする籠には手編みのマフラーが綺麗に積まれていた。彼女が着ているものと比べてその一つ一つがどれもこれも鮮やかな色合いをしている。

「マフラー、ストールはいりませんか?」

 編み物をしていた老婦人が買うはずもない。幼い姉弟の母親は窓の外に顔を背けた。

 きみは気紛れを起こし、少女からモスグリーンのマフラーを買った。

 色とりどりのマフラーの中からきみがそれを選んだのは、おそらくそれが売れ残る色だと思ったからだ。変に気をまわすきみのいつもの習性から出た行為だった。

 定員八名の三等車室にはもう一人、傭兵をしていたことがありそうな三十代の男が乗っていたが、少女が近づくと、握っていた刀剣を立てた。どんな相手にも警戒を怠らないのが騎士の証とでも言うように。

 マフラー売りの少女は逃げるようにして部屋を出て行った。

 やがて列車は汽笛を鳴らし、ゆっくりと動き始めた。

 幼い姉弟が車室に戻ってきた。弟の方が母親に抱きつき、車室は一気に賑やかになった。

 元傭兵らしき男が顔をしかめる。

 何か一触即発の事態にならないか、きみは気がかりだった。

 ほどなくして扉が開いた。

 赤い髪に紫のマフラーをした十五歳前後の少女が小さなリュック一つの軽装で入って来た。田舎の駅から乗車してきたようだ。

 続いて入って来た車掌がその少女に対して改札を行った。

 この少女はどこへ行くのか。旅行にしては荷物が少ない、と同じく荷物が少ないきみは興味をもった。

 この先はぺテルギアに向かっていく。一年の半分近くが冬といえるような極寒の大陸だ。

 途中で降りるのだろうか。だとしてもあと停車する駅は……。

 幼い姉弟は退屈をもてあましていた。母親は疲れ切っていて相手をしてくれない。必然的に彼らの興味は新参者に向けられる。

「お姉ちゃん、どこへ行くの?」弟の方が声をかけた。

 赤い髪の少女はどこか地名を答えたが、きみの知らない地名だった。

「それってどこ?」兎角とかくこどもの好奇心は尽きることがない。

 元傭兵らしき男が「け!」とか声を出して足音をたてた。

「しー!」と赤い髪の少女は幼い姉弟に静かにするよう言い聞かせた。

「きみたち、寒くなるからマフラーはした方が良いよ」赤い髪の少女が言った。

「えええ、まだ寒くないよ」弟が答えた。

「じゃあ、こんな話は知っているかな?」

 赤い髪の少女は、幼い姉弟の興味を引くように何か逸話らしきものを語り始めた。

「この列車、どこに向かっているか知っているかい?」彼女の語り口はどこか少年的だ。それがまた彼女の美しい顔にはよく似合っているときみは思う。

 幼い姉弟は揃ってぺテルギアの都市名を答えた。

「ふつうはそうなんだけれど、実は一部別のところに行くんだ」

「えええ」姉弟は信じられないという顔をする。

「長い列車のうち一両だけ、行先が違うんだよ」

「え、どこ?」

「この広い大陸の下には、これと同じくらい、いやこの大陸よりもずっと広い迷宮があるんだ。その名をクインカ・アダマス大迷宮という……」

 その名を聞き、きみはその話にひきこまれた。それこそきみが生涯をかけて書き続ける大迷宮の名だったからだ。

「その迷宮は時空を超えたところにあるいくつもの別世界につながっているらしい。こことは違う高度な文明が栄えた世界。逆に文明とは無縁の野生がはびこる世界。あるいは何もない、何もおこらない世界。そうしたところとつながっているという。しかし誰もそのことは知らない。そこに紛れ込んだ人間で、もとの世界に戻ってきた者がいないからだ。一部の例外を除いて」

 幼い姉弟は黙って話を聞いていた。

 母親は窓の外を見ている。

 老婦人は編み物を再開し、その夫は丸眼鏡をして本を読みふけっていた。

 元傭兵らしき男は鋭い目を語り手に向けていた。

 そしてきみは、幼い姉弟とともに赤い髪の少女が語る話に耳を傾ける。

「この列車、じつはふだん走る列車と違って、一両多いんだ……」

「え?」

「ふだんは客車が十二両なのだけれど、今日のこの列車は十三両になっている」

 そうだったか? きみは乗り込むときのことを思い出したが、車両の数まではわからない。

「六号車が二両あったの、気づいたかい?」

 赤い髪の少女の問いに、幼い姉弟は目を大きく見開いた。

「それ、それ」と弟の方が興奮する。「隣が六号車だったよ!」

「ママ」と姉の方が母親の腕を引いた。

 母親は面倒くさそうに冷たい顔を向けた。

 きみも驚く。きみが乗っているこの車両もまた六号車だったからだ。

 きみにはわからなかったが、列車内を探検していた幼い姉弟には六号車が二両あったことがわかったのだろう。

「つぎの長いトンネルに入った時、二両ある六号車のうちのひとつが消える。そしてそれはこの大陸の下にある大迷宮へ行くんだ……」

「行ったらどうなるの?」

「二度とこの世界には戻って来られない」

「どっちの車両が消えるの?」

「それはわからない」

「七号車に移動しようよー」弟が叫んだ。

「それはだめだよ」赤い髪の少女が言った。「六号車のチケットを持っている者は他の車両に移れない」

「通路にいれば良いじゃん」

「六号車のチケットを持っていると、七号車に行っても、そこが六号車になってしまうんだ」

「そんなわけが……」出て行こうとする弟の方を赤い髪の少女がとめた。

「心配いらないよ。助かる方法がひとつだけある」

「何?」

「マフラーをするんだ」

「へ?」

「さっき売り子がマフラーを売りに来ただろう? それは迷宮に迷い込まないための魔除けみたいなものなんだ。七色のマフラーのうちどれかをしていれば問題の六号車に乗っていたとしても大丈夫。残った方の六号車に合流できるというわけだ」

 なんだか突っ込みたいところが山ほどあるが、きみはひとまず安心する。

 これからいよいよ寒いところに入って行く。列車の暖房だけでは限界があるのだ。こどもにマフラーをさせるにはちょうど良い理由だろう。

 姉弟が目を向けると、母親が赤とオレンジのマフラーを彼らに手渡した。母親自身もピンクのマフラーをしている。

 老婦人は編んでいた黄色のマフラーを夫に巻いた。そして自分も茶色のマフラーをした。

 赤い髪の少女は紫のマフラーをしていた。きみは緑のマフラーをしている。

 マフラーをしていないのは元傭兵らしき男だけだった。

「そちらの騎士さんはマフラーをしないの?」

 大胆にも赤い髪の少女は、鋭い目で威嚇する元傭兵らしき男に訊いた。

「知るかよ」

 男は無愛想に目を閉じた。

 七色のマフラーをした七人。

 マフラーをしていない一人。

 どこかで聞いたことがある、と君は思った。どこだろう……

 やがて列車は長いトンネルに入った。

 灯りが消え、闇に包まれた。

 トンネルで通電が切り替わることがある。一時的に魔光石がたかれるはずだ。

 幼い姉弟は悲鳴をあげていた。

「大丈夫、大丈夫」と母親の声が聞こえる。

 やがて点灯した。

 まだトンネル内を走っているが、車室は明るくなった。魔光石による照明が室内を照らしていた。

 幼い姉弟はほっとした笑顔を母親に向けていた。

 老婦人はうとうとしている。

 その夫はふたたび本を読み始めた。

 きみは赤い髪の少女と目が合った。

 こころなしか彼女の口元が妖しく微笑んでいるように見えた。

 きみは彼女の美しい顔に見とれていたことを恥じて目を逸らした。

 その視線の先に、使いこまれて多くの血を吸ったと思われる刀剣が一本落ちていた。

 はて、こんなところに刀剣などあったか?

 きみは不思議に思った。

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